硝煙なき戦場 闘う白衣

2020-03-30 14:21:07

 

武漢大学中南病院の重症隔離病室で旧正月を迎え、新年を祝い合う医師と患者(新華社)

この硝煙なき戦争の主力部隊は医療スタッフだ。夜を日に継ぐ救護で目を赤くし、顔にマスクのゴムの跡を残し、防護服の中を汗でびっしょり濡らしながらも、彼らは持ち場を死守している。習総書記は先月10日、武漢の火神山病院の病棟で働く医療スタッフと会い、こう激励した――「防護服を着てマスクを着けているので、皆さんの顔は分かりません。しかし、皆さんは私の心の中では最も愛すべき人たちです」。

後には引けない 使命で治療

「家族のことは聞かないで」。家庭の状況を尋ねる記者に、湖北省中西医結合病院の呼吸重症医学科の張継先主任(54)は背を向け、しばらく黙った後、絞り出すように言った。

張医師は昨年12月末、最も早くこの感染拡大の兆しに気付き、疾病予防管理センターに報告。感染予防抑制が必要だと警鐘を鳴らした。

その後、張医師はほとんど休んでいない。いち早く病院に駆け付け患者に応急手当をするため、彼女は思い切って病院近くの宿泊所に泊まることにした。「家庭のことに割いている時間がなく、両親には申し訳なく思っています」。張医師は声を詰まらせた。

武漢で感染症が流行して以来、現地の医療スタッフは感染拡大の予防と抑制の重責を担ってきた。昼夜を問わず奔走し、家に戻ることも困難になった。武漢の伝染病専門病院である金銀潭病院は、新型肺炎の重症患者と重篤患者が最も多い病院の一つだ。病棟内では、処置を求める呼び出し音がひっきりなしに鳴り響き、外の通りの静寂ぶりと大きなコントラストを見せていた。

医療スタッフにすれば、毎日ウイルスの脅威を突き付けられている危険な状態だが、努力と希望を捨てる者は誰もいなかった。

武漢市肺臓科病院のICU(集中治療室)の胡明主任は、同じ専門の友人が感染して危篤だという知らせを聞いて、声を殺して泣いた。だが記者から、「知らせを聞いても引き続きICUに入りますか」と聞かれると、「必ず入らねば……これはやらねばならないことだ」とつぶやいた。

武漢大学人民病院呼吸器内科の余昌平医師(52)は勤務中に感染してしまった。彼は入院中に動画を撮ってネットで公開。自らの治療経験を公表し、新型コロナウイルスに関する科学知識の普及を図った。余医師の楽観的な態度と、ユーモアあふれる話しぶり、さらに実用的な知識に、あっという間に350万人以上のフォロワーが付いた。

武漢大学中南病院救急センターの趙智剛医師(40)は、隔離治療中もオンラインで診察を続け、延べ700人余りの人々を診察した。趙医師はオンライン診療の際、患者に正しい対処方法を教えるだけでなく、気持ちを穏やかに保ち、パニックにならないよう言い聞かせた。

健康を取り戻して退院し、隔離期間が終了した後、彼らは早速また分厚い防護服を着て、病室という「戦場」に赴いていった。

つかの間の団らん、武漢へ

家々が家族団らんを楽しむ旧暦の大みそかだった今年1月24日。広東や上海から医療隊の第1陣が武漢に派遣された。すぐ後に続いたのは、人民解放軍陸海空3軍の軍医大学の医療隊だ。それから数日間、北京や山東、遼寧など全国各地からの医療支援隊が続々と到着した。

 

武漢へ支援に向かう劉光耀さん(右)と喬氷さんは出発前、帰ってきたら結婚しようと誓い合った(新華社)

河南省第三人民病院急性重症医学科の看護師、劉光耀さんと喬氷さんは恋人同士だ。2人はもともとこの2月に、婚約式を行うと決めていた。しかし、感染拡大で計画はふいになった。劉さんと喬さんは互いの両親を説得し式典を取り消し、2人そろって武漢へ支援に行くことを志願した。

その出発前、劉さんはクリップを曲げて「指輪」を作り、喬さんに「無事に帰ってきたら結婚しよう」と告げた。

2人は武漢の同じ病棟にいる。だが会って話を交わす機会は少ない。わずかに時々、ゴーグル越しにまなざしを交わし、互いにせわしい様子を見るだけだ。

「大型バスに乗ってホテルから病院に向かう短い数十分が、大好きな時間です。だって喬氷と一緒にいられるからね」と劉さんは笑った。「たとえ会う時間が少ないからといって、文句を言うことはしません。私たちはここに来た初心をしっかりと覚えているからです」

古里を遠く離れた医療隊は、家族や友人にとって気がかりの種だ。山西省太原市から派遣された医療隊の高暁玲医師は日記にこう記した。「娘とビデオ通話している時、彼女はずっと泣いていました。夫は毎晩心配で眠れず、夜中の2時3時であろうとウイーチャットでメッセージを送ると、瞬時に返信が来ます。普段はめったに連絡がない人からも今は毎日便りがあり、私を励ましてくれます」

医療スタッフは仕事の前、必ず防護服とアイソレーションガウン(簡易予防衣)を着て、何枚もの手袋をし、幾重もの緩衝帯と隔離ゲートを通らなければ病棟に入れない。厳重な防護措置で医療スタッフの身を守ることは、かえって不便さを招いている。

雷神山病院を支援する遼寧省丹東市医療隊看護師の李作華さんはこう語る。「仕事を終えた同僚の衣服はぐっしょり濡れていました。分厚い防護装備のため、普段の操作を行うのも容易ではありません。仕事の効率を守るという前提の下、できるだけゆっくり歩いて、活動量が増えたり、酸素消費が多くなり過ぎて呼吸が苦しくなったり、酸欠状態になるのを防いでいます」

 

疲れ果て廊下で眠るように休む武漢同済病院の医療スタッフ(cnsphoto

感染した患者に対して治療と看護が必要なのはもちろんだが、心理的な慰めと思いやりも同じように重要だ。

健康を回復し金銀潭病院から退院した重症患者の于さんは、こう振り返った。「最初は全然食欲がありませんでした。ところが、医師がなるべく多く食べて水分を飲んで、身体にエネルギーを補充するよう勧めるので、一生懸命食べ物を口に押し込み、何とか飲み込みました。医師たちの気遣いと善意は大きな励ましでした」。今回の入院で一番の感慨は、医療スタッフの大変さを実感したことだと于さんは言う。「彼らは足を引きずり歩くほど疲れていても、深夜や未明までずっと忙しく働き、何とかわずかの時間を作って廊下に居場所を見つけては、つかの間の休息を取っています。その間も呼び出し機が鳴らないか気を付けていて、いつでもさまざまな突発状況に対応できるよう準備しています」

3月初めまでに、全国30の省自治区轄市から4万2000人以上の医療スタッフが、湖北に支援に向かった。異郷の地において彼らは、家族からの心配を背負いながら、感染の危険を顧みず、死神と競走し病魔と闘っていた。

 

武漢市は仮設病院に新型肺炎の軽症患者を受け入れ、隔離治療を行った。最後の患者が治療を終えて310日に退院、同市内16カ所の仮設病院は全て閉鎖された。35日間の治療期間中、仮設病院は累計12000人の軽症患者を治療した(asianewsphoto

広がる「解熱」の地図

湖北省以外、中国の他の地域の医療スタッフも、彼らの「戦場」を死守している。福建省漳州市松洲村では、鍾重新医師(78)が、毎日バイクに乗って村の家々を訪れては、体温を測ったり診療を行っている。浙江省紹興市では、医療スタッフの夫婦が隔離病棟の廊下でばったり出会った。2人は防護服を着ていても互いが分かり、そっとハグした後、それぞれ引き続き仕事に戻っていった。

医療スタッフは、最前線で日夜奮闘していた。医療科学研究団体もウイルスを解明し、解毒薬を探し、ワクチンを研究開発するという難題に取り組んでいる。

感染症の流行後、中国の科学研究団体はわずか2週間で新型コロナウイルスを分離検出し、ウイルスの全遺伝子配列をWHOと共有した。その後中国は迅速診断製品を開発。感度が高く簡単に扱える新型コロナウイルス検出試薬キットを発表した。日本で新型コロナウイルスの検出試薬が不足しているのを知り、中国では緊急に、日本の国立感染症研究所にこの検出器具を寄贈した。

新型コロナウイルスの感染に対する認識の深まりと臨床経験の増加に伴い、国家衛生健康委員会は、3月4日までに7バージョンの『新型コロナウイルスによる肺炎治療プラン』を通達。臨床治療と薬物の使用のために、より正確な指針を提示した。

また、西洋医学の診療と組み合わせるため、軽症患者の病状悪化を食い止める方向で中医(漢方)薬の使用を積極的に検討し、一定の治療効果のある数種類の漢方処方薬を開発した。現在、漢方と西洋医学を統合した治療プランを通常の診療プランに組み込み、全国の確定診断例のうち、漢方医薬による治療を受けた感染者は全体の90%以上を占めている。

ワクチンの開発分野では現在、中国は五つの技術ルートでワクチンの研究開発を同時展開している。一部の計画はすでに動物実験の段階に入っており、最も早いワクチンは、4月下旬頃には臨床試験を申請するとみられる。

医療スタッフの努力は無駄ではなかった。2月初めから、全国の新型肺炎の治癒率は死亡率を上回り始めた。2月中旬から、確定診断例は全国で継続的に減少しつつあり、武漢以外の地域で感染拡大はほぼ食い止められた。以前は真っ赤に染まっていた中国の感染状況を示す地図は、薄い色に変わり始めている。3月18日時点で、13の省自治区直轄市は、感染ゼロの無色になった。完治退院する患者や、地図上から次第に「熱が引いていく」のを見ると、人々の健康を守るために我を忘れて必死に奮闘した白衣の天使たちこそ、今、最も愛すべき人ではないだろうかと思える。(李家祺=文)

人民中国インターネット版 2020330

 

 

 
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