感染症が問う「これから」

2020-04-09 12:06:19

NHKアナウンサー、ジャーナリスト 木村知義=文

新型コロナウイルスとの闘いを巡る「風景」は3月半ばから大きく様変わりした。

「主戦場」は欧州そして米国へと移り、状況は一層深刻になった。一方、「武漢封鎖」という、感染症対策ではかつて経験したことのない果敢な対策を断行した中国では、当初の苦境を乗り越え生産活動も再開へと動き始めた。海外から中国に入ってくる感染への警戒を怠ることができない緊張は続いているが、生産活動のみならず都市機能の回復など人々の暮らしを取り戻す歩みが、世界にとって一筋の光となっている。

しかし、日本では感染拡大に歯止めがかからず「緊急事態宣言」「首都封鎖」を巡って議論が交錯し、「国難」「有事」といった言葉が登場した。それだけに、今こそ冷静に事態を見つめ、考えてみなければならない。      

ここでは日本と中国の関係を軸に、いまわれわれに問われる「利」と「理」と「情」(心のありよう)について考えてみる。

グローバル化時代と共通利益

まず「利」である。

「国境が点線になる」という表現があるが、現代は人、モノ、カネ、そして情報が国境を越えて行き来するグローバル化の時代である。この移動こそが現代世界のダイナミズムを生み出していることを、いま改めて思い起こしてみなければならない。

海外からの訪日客(インバウンド)の中心であった中国からの旅行者が消えてホテルや旅館、土産物屋、デパートに至るまで経済的な打撃は計り知れない。すでに関連した倒産も起きた。改めて現代世界における移動の意義を知らされることになったといえよう。

さらに、移動と不可分の関係にある相互依存の現代世界という現実認識の重要性である。今回の新型コロナウイルス問題で中国からの部品供給が滞って、日本や米国のみならず世界の製造業は苦境に陥った。武漢が製造業やハイテク産業の集積地域であったこともあるが、それ以上に中国を軸としたグローバルサプライチェーンが止まってしまったのだった。世界の相互依存関係は、もはやゼロサムゲームの成り立たない「運命共同体」であることを、理屈ではなく実体経済における体験を通して思い知ることになった。世界銀行やIMF(国際通貨基金)ともに世界経済の先行きへの深刻な懸念を隠さない。リーマンショックを上回る「嵐」となって世界を襲う恐れも語られている。それをどう防ぐのか、今回の新型コロナウイルス禍を前にわれわれは、世界の共通利益をどう守り、発展させるのかという命題と改めて向き合うことになった。

排外主義を乗り越えるために

そこで「理」である。

この事態に排除と排外主義の思想と行動がはい入る余地はないはずだが、欧州では中国人のみならず「東洋人」(アジア)への排斥や差別の動きが浮上した。米国の思想家故エドワード・サイードがかつて「オリエンタリズム」として鋭く批判した、西欧における東洋(アジア)への歪んだ「ものの見方」が依然として乗り越えられていないことを見せつけられたのである。こうした歪んだ中国観やアジア観は、同じアジアに暮らすはずの日本においてもじわじわと醸し出され、あるいは公然と語られる状況にある。人間の「劣情」というべき排外思想や差別思想との闘いの重要性は、増しこそすれおろそかにできないことを痛感する。隣人である中国および中国人と共にどう生きるのか、その根底に求められる中国観が鋭く問われ、われわれが試されていることを身につまされて知らされる。

協力と協働で立ち向かう

ではどうすればいいのか、解はどこにあるのか。

それは協力と支え合い、協働にしかない。難局に立ち向かう者として共に力を合わせ、知恵を結集してこの困難に対して闘う。その協働の行動にしか、世界の共通利益を守る道はない。それゆえ、協働を可能にする信頼関係が何よりも大事になる。医療崩壊の極限状態に苦しむ中国・武漢に対して日中両国間で医療・疫学的協力ができていれば、もちろんそれだけで感染拡大が防げたなどと甘くは考えないが、日中関係の展開は異なったものになっていたはずだ。感染拡大に苦しむイタリアやイランなどに対して中国は物資の支援だけでなく医療支援チームを送ったが、受け入れる側も決断が必要だったといえよう。相互の信頼がなければ受け入れることはできない。日中間でこうした協力や協働ができなかったことを、日中関係の未来のために、いまこそ深く反芻しておかなくてはならない。

各国の利害が交錯する中、自国中心主義で世界を制覇することを「グローバリズム」とするような発想も絶えないこの世界にあって、信頼関係の構築は容易ではない。しかし、米国のトランプ大統領の言動の振れ幅が如実に示すように、自国中心主義ではこうした危機は乗り越えられないことがはっきりした。今回の新型コロナウイルス禍からわれわれはまさに「人類運命共同体」の内実を築き、高めていくことこそが人類史的命題であることを学んでいるのだと思う。ここに「利」と「理」が強くつながることになる。

思いやりと支え合いの世界へ

最後に、こうした「利」と「理」の根底に求められる「情」の問題である。言葉を変えればわれわれの人間観であり、人への思いやりと想像力の深さである。

ウイルス感染が引き起こす病魔に倒れ命を失った人々のことを思うと言葉を失う。また、感染が日増しに広がる極限状態の中で悪戦苦闘しながら治療に当たった医師や医療スタッフを思うと胸に迫るものがある。さらに、感染者や死者が幾何級数的に増えていく緊迫した状況の中でも、国家衛生健康委員会ハイレベル専門家グループ長の鍾南山氏をはじめ中国の医学・疫学専門家による調査と分析が並行して行われ、『ランセット』をはじめとする世界の医学雑誌に随時情報が提供されたことは特筆すべきことである。1月の早い段階で新型コロナウイルスの分離や遺伝子配列の解析が行われ、世界に開示・提供されたことと併せて、各国の疫学・医療関係者の知見を深めることに大きく寄与し、その後の対策に重要な意義を持った。

もう一つ忘れてならないのは、武漢の極限状態で闘った医師をはじめ医療スタッフの精神的トラウマについてではないだろうか。医療スタッフの疲労困憊は筆舌に尽くしがたいものだっただろうと思う。そこには人々の死を前にして、命を救えなかった無念の思いに苛まれる医療関係者が数多くいたのではないかと想像する。落ち着きを取り戻したときに襲われる喪失感、精神的トラウマを思うと、胸の痛む思いが募る。医療から遠く離れたところに身を置いていても、苦しみと悲しみを共に分かち合おうという心の中の「語り掛け」をもって、「頑張れ」と言う言葉に代えたいと思う。

未体験のウイルス感染症という「恐怖」は私たちを不安に陥れる。その不安のなかで私自身を含め一人一人が、現代世界を生きる人間として、鋭く問われ、試されていることを身に染みて感じる。改めて、われわれの世界観と中国観が問われていること、さらに人間存在への想像力が試され、他者への思いやりといった「情」においても試されていることを痛感する。

困難と試練は人を強くし、思索を深くさせるという実感を日々強くしながら、この試練を乗り越えた先にある新しい世界に希望を託し、事態の一日も早い終息を祈りたい。

 

人民中国インターネット版 2020年4月9日

関連文章