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慈悲救世の精神が宿る1000年の歴史を持つ渡し場・西津渡

 

全長約1000mの歴史ある通り。六朝時代に建設が始まり、唐・宋・元・明・清の時代を経て、現在の規模となった。通りの随所に六朝から清代までの歴史の形跡を見ることができる。

西津渡は三国時代には「蒜山渡」と呼ばれていた。唐代には「金陵渡」と呼ばれ、「西津渡」と称されるようになったのは宋代以降のこと。ここはもともと長江に近く、すぐ下を大河が滔々と流れ、渡し場が設けられていた。しかし、清代以降は土砂の堆積によって長江の浅瀬が広がり、流れがしだいに北へと移動したため、西津渡は長江の岸から離れてしまった。

北宋の詩人・王安石がここで「京口瓜洲一水間、鍾山只隔数重山……」と詠ったのをはじめ、李白や孟浩然、マルコポーロなど名だたる人物がここを訪れ、その思いを後世に残している。

渡し場として1000年余りの歴史を持つ西津渡には、昔から慈悲救世の精神が宿る。昭関石塔の右側には清代末期の建造物があるが、これは世界でももっとも早い時期に作られた民間の救生組織「西津古渡救生会」の跡地である。さらに、「観音洞」や「超岸寺」などの仏教文化、「鉄柱宮」などの道教文化、そして沿道に林立する商店によって、独特の歴史文化街が形づくられている。

 

「チャイナネット」 2009年3月18日

 

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