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四川省・峨眉山市 昔日の繁栄を再現する「金頂」

 

 峨眉山の仏教は、明、清の時代に真っ盛りになり、山全体には150余りの仏教寺院があった。明の万暦30年(1602年)、西蜀藩王の寄進を受け妙峰禅師が創建した銅殿は、峨眉山の千仏頂に建てられた。銅殿は瓦、柱、門、櫺(窓格子)、窓及び四方の壁がすべて、金をなじませた銅で作られたもので、太陽の光に照らされてキラキラと金色に輝くため、金殿または金頂と呼ばれるようになった。そして、金殿の建てられた千仏頂もまた金頂と呼ばれるようになった。

 

華蔵寺大雄宝殿内に祀られている三世諸仏 中国各地からやって来る徳望ある高僧が、四面十方普賢菩薩金像に開眼法会を行う 開眼法会に参加した日本の清水寺の僧

チベット仏教を信仰する信徒たちは、金頂の平らなところで「ロンダ」と呼ばれる馬、龍、獅子、トラ、オオトリなどが描かれた色紙を空に向かってばらまき、吉祥を願う

 

  金頂には峨眉山の精華が集まっている。最盛期には、錫瓦殿や銅瓦殿、金殿、光相寺、祖殿などが、峨眉山最大の建築群を形作った。

 

 近代の戦争や動乱、天災は、峨眉山や金頂にも損害をもたらした。清の光緒16年(1890年)、金殿は火災で倒壊し、懸崖から落ちてしまった。その2年後、照月和尚は元の場所に大殿を再建した。構造はレンガづくりに変わったが、殿頂はやはり金メッキであった。折あしく1923年、1931年に発生した2度の火災によって、金殿は再びに崩壊してしまった。1953年、人民政府は金頂に重点的な修繕を施し一新したが、1966年に始まった「文化大革命」が再び莫大な損害をもたらした。1986年から1989年にかけて、金殿は再度修復されたが、昔日の光り輝くような華麗な趣とは著しく隔たったものであった。

 

明代の磁器製の仏(写真・呉健)
 2003年の元旦から、国務院の批准を受けた『峨眉山金頂風景区建設の計画』に基づいて、金頂の修繕建設工事が始まった。2006年春、金殿、銀殿、銅殿及び高さ48メートル、重さ660トンの四面十方普賢菩薩金像からなる新たな金頂が、人々の目の前に姿を現した。

 

 2006年6月18日、中国仏教協会、峨眉山管理委員会らによる「峨眉山金頂十方普賢開眼法会および華蔵寺復元落成祝典」が金頂で開催された。中国各地からやって来た徳望のある高僧、各仏教名山の長老、また日本や韓国、シンガポール、インドネシアなどの高僧、僧徒、信徒など合わせて3000人以上が金頂に集まり、この開眼の祝典に参加した。

 

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