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太極拳の発祥地 陳家溝(2)

 

陳家溝にある陳氏の祠堂には、「陳式太極拳」の発展過程が刻まれた石碑がある。祠堂の管理人であり、村の武術学校の校長を務めたこともある陳俊凌さんから、「陳式太極拳」がどのように受け継がれ、広まっていったかを聞いた。

 

陳長興が楊露禅に太極拳を教える様子

 

家伝の武術を体系化

 

陳式太極拳の創始者は陳家溝の陳氏9代目の陳王廷(1600~1680年)だ。陳王廷は明末から清初にかけて、多くの武術流派の優れた点を集め、「河図」や「洛書」の陰陽説および導引術、呼吸法、さらに中国医学の経絡学の理論を家伝の武術に融合させ、「陰陽開合」「虚実転換」「剛柔相済」などの特徴を備えた新しい拳法を生み出した。

 

太極の理論に基づいたこの拳法は、静から動が生じ、すべての動作は陰陽(虚と実、柔と剛)に分けられる。その動きは弧を描き、曲線をベースとしているため、太極拳と呼ばれるようになった。

 

陳式太極拳の6代目継承者、陳長興(1771~1853年)は傑出した人物で、陳王廷が生み出した「五路拳」の要点をまとめてそれをさらに練り、現在広く伝わる「陳式太極拳大架」の1路と2路を確立した。さらに、『太極拳10大要論』や『陳長興太極拳総歌』など、太極拳の理論をまとめた著作も残した。

 

陳長興はまた、一門の垣根を越えて、家伝の陳式太極拳を河北省広平府(現在の永年県)の楊露禅に伝授した。このため、太極拳は他の地域にも広く伝わるようになった。

 

数々の名家を輩出

 

陳長興の弟の陳有本(1780~1858年)はもとあった套路(型)をベースにして、「陳式太極拳小架」と呼ばれる新しいスタイルを確立した。これは、「力は足から発し、下から上へ、手は小さい円を描く」という特徴がある。その後、「大架」と「小架」は陳式太極拳の基本スタイルとなった。

 

7代目継承者である陳清萍(1795~1868年)は、幼いころから父親について「小架」の練習をした。その後、陳家溝の隣村の趙堡鎮に移り、伝授された套路を改善して、「小架」の新しい套路を確立した。これは、「手のひらを横に立て、弧を描いて歩く」という特徴がある。弟子の武禹襄、和兆元、李景延はそれぞれ、「武式太極拳」「和式太極拳」「太極拳忽雷架」を確立した。

 

陳式太極拳が発展する中で、太極拳の理論もより完全なものになっていった。その最大の功労者は8代目継承者の陳鑫(1849~1929年)だ。

 

幼いころから父親について太極拳を学び、学識が豊富だった陳鑫は、太極拳の真髄を深く理解していた。代々伝わってきた陳式太極拳の理論を丹念に集め、太極拳の大家を訪ね、12年の歳月を費やして『陳式太極拳図説』『三三六拳譜』などの著作を残した。

 

近代の傑出した人物といったら、9代目継承者の陳発科(1887~1957年)だろう。陳式太極拳の套路をさらにまとめてレベルアップさせ、「新架」1路と2路を確立した。また、たくさんの弟子を育て、その多くは武術界で名をあげた。

 

10代目継承者の陳照丕(1893~1972年)も幼いころから太極拳を学び、すぐれた腕の持ち主だった。一生を太極拳の普及に捧げ、武術家養成機関である中央国術館の名誉教授を務めたこともある。晩年は陳家溝で太極拳の伝授に打ち込み、その普及に大きな役割をはたした。現在、国内外で誉れの高い陳式太極拳の名家のほとんどは、陳照丕の弟子か、そのまた弟子だ。主な著作に『陳式太極拳匯宗』『太極拳入門』などがある。 (鄭福臻 魯忠民=文・写真)

 

(次回は太極拳の学校について紹介します)

 

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