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山西省五台県 途絶えることなき信者の列 五台山

劉世昭=文 樊文珍 呉傑強 劉世昭=写真

隋の時代(581~618年)、隋の文帝(在位581~604年)は詔を下し、五台山の五つの台頂(山頂の台地)にそれぞれ寺院を建て、どの寺院も文殊菩薩を祀るよう命じた。それ以後、五台山に参詣する人々はみな、五つの台頂の寺院に参詣することを最大の願いとするようになり、これを「朝台(台頂に参拝する)」と呼ぶようになった。

心を静めて座禅を組む僧侶 万仏閣に参拝する人々 

歴代皇帝が厚く保護

文殊菩薩の道場が五台山に置かれた過程は、天竺(古代インド)仏教が中国に伝わって漢化した過程である。そして五台山の文殊菩薩信仰は、仏教の思想と中国本土の思想が互いに結びついて生まれた産物である。千年を超す歳月をかけて、文殊菩薩信仰はここで、次第に盛んになってきたのである。

その理由は二つが考えられる。一つは各国の仏教各流派の高僧が続々とここに参詣しに来たこと、もう一つは歴代の皇帝が推賞し、援助したことである。11世紀末には、チベット仏教の高僧たちが相次いで五台山を訪れ、教えを請うて仏教を広めた。このため文殊菩薩は次第にチベット仏教の本尊となっていった。

台懐鎮の万仏閣で催された「無量智慧伝灯法会」。ここには文殊菩薩の化身である広済龍王が祀られている。広済龍王は求められれば必ず人々を苦しみから救うといわれる。このため、万仏閣は五台山で参拝者がもっとも多い寺になっている

チベット仏教のラマ僧(右側の赤紫の袈裟をかけた僧)と漢伝仏教の僧尼(左側の黄色い袈裟をかけた人たち)が合同で大法会を行っている。この独特な景観は、五台山が中国で唯一、漢伝仏教とチベット仏教が共存する仏教道場であることを示している

元の時代(1206~1368年)になると、チベット仏教の黄教(ゲルク派)が蒙古やチベット地域における最高の宗教となり、中原を支配した元の皇帝は、自らの統治を強固にするため、黄教が崇拝する文殊菩薩とその道場である五台山に対して、格別に目をかけた。こうした政治的な必要性から、元、明、清三代の皇帝たちは、「冊封」(冊書をもって爵を授けること)や「招聘」を通じて黄教の高僧を五台山の仏教寺院に行かせ、そこで寺院を主管させたり、自ら山に登って巡視し、参詣したりした。これによって文殊菩薩信仰はますます流行し、五台山は漢伝仏教(中国に伝来した仏教)とチベット仏教の聖地になった。

「鬼やらい」や「水陸大法会」

毎年旧暦の6月15日前後、黄教の寺院は、魔除けをし、幸福や吉祥を祈念する「跳布扎」という大規模な仏事行事を行う。「跳布扎」は俗に「鬼やらい」とも呼ばれる。

この仏教行事を行う前の日から、寺院内のラマ僧たちは護法の経文を唱えたり、金剛踊りを踊ったりして、菩薩頂(顕通寺の北側の霊鷲峰にあり、五台山の五大禅処の一つ)で「鬼を鎮める」行事を行なう。6月15日になると、百名以上の地位の高いラマ僧たちは菩薩頂を出て、街に繰り出す。行列の先頭には弥勒菩薩の像が担がれ、その後ろに「大ラマ」と呼ばれる首席のラマ僧が駕籠に乗って進む。その次に「二ラマ」と呼ばれる次席のラマ僧が馬に乗って行く。その他の僧侶たちは寺の音楽を吹奏しながら、威風堂々と羅寺に向かい、そこで神がかりになって踊る。翌16日はまた菩薩頂で「鬼を斬る」行事を行う。

菩薩頂で行われた「跳布扎」の行事で、金剛踊りを踊るラマ僧たち

 黛螺頂の麓で催された「水陸大法会」。通常、七日七夜にわたって挙行される

毎年旧暦の7月15日、漢伝仏教の僧侶たちは顕通寺で、大がかりな「水陸大法会」を催す。「水陸大法会」は「水陸道場」とも「水陸斎」とも呼ばれ、その起源は梁の武帝(在位502~549年)にさかのぼる。この法会は、水上や陸上で死んだ人の魂を済度するために、主として飲食を施すものである。

歴史上、「水陸大法会」はいく度も盛衰を経てきたが、民国24年(1935年)に挙行されてから途絶えていた。1994年になって再び挙行され、旧暦7月16日から23日まで続いた。五台山全山の2000人の僧尼や世界各地、全国各省市から来た参拝者や在家信徒ら一万人近くが参加する盛大な会となった。近年は、平和と調和、親睦を祈る「水陸大法会」がほぼ毎年、挙行されている。

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