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江西省鷹潭市 カルスト地形がつくる「丹霞」の美──龍虎山

劉世昭=文・写真 管華鞍 夏程琳=写真

龍虎山は江西省鷹潭市の西南20㌔の郊外にある。面積は200平方㌔。中国における丹霞地形(赤い堆積岩で形成されたカルスト地形)の中で、発達段階が「壮年晩期」に属する丹霞地形の典型である。ここにはさまざまな姿や色をした丹霞地形があり、また悠久の道教文化と謎がなお解けない懸崖墓群がある。これらは龍虎山の自然景観と人文景観の「三絶」(三つの比類なきもの)と呼ばれている。

龍虎山は「壮年晩期」の典型的な丹霞地形の代 表格である

一億年以上の自然の造形

龍虎山の丹霞地形は主に三つの段階で形成された。

第一は、白亜紀晩期、鄱陽湖に注ぐ信江の中流域にある信江盆地は絶えずその規模を拡大し、カルシウムと鉄分を豊富に含んだ岩の層がここに堆積した。これが丹霞地形の物質的な基礎をつくった。

第二に、この地区では断裂帯をつくる地殻変動が何回も起こり、それによって垂直方向に岩が割れる変化が生じ、水流がそれを浸蝕する条件をつくり出した。

東北と西北方向に、裂け目によって切断されて 形成された峰の林

水によって浸蝕された洞穴である「岩槽」

第三に、この地区は亜熱帯に位置し、温暖で湿気の多いモンスーン気候のため大量の降雨が垂直の割れ目に沿って岩を浸蝕したり、切断したりした。浸蝕が進むにつれて岩は崩壊し、風化するといった地質変化が起こり、それによってこうした多様性に富んだ丹霞地形が形成された。

龍虎山の丹霞地形の最大の特徴は、景観の多様性にある。中国には丹霞地形の景観は全部で26種類あるが、龍虎山にはそのうちなんと23種類がある。その中には石の砦、石の壁、石の梁、石の崖、石の柱、石の峰、石峰の林、トンネル、各種の洞穴などが含まれている。

こうした多様な丹霞の景観は、水流による浸蝕や崩壊、風化などによってつくりだされた。

丹霞地形を貫く瀘渓河

中国の大部分の丹霞地形は、地形の高低差がかなり大きいので、雄大で奇怪、険峻という特色がある。龍虎山はすでに「壮年晩期」の丹霞地形なので、山が散在し、峰は林のような形になっている。地形の高低差は小さく、最大でも240㍍ほどしかない。このため、全体が秀麗で、さまざまな姿をしている。

丹霞の「石の砦」と「一線天(わずかに天 がのぞく溝)」によってつくられている「仙 人城」。崩壊の残存型の丹霞地形である

龍虎山には99の峰と24の岩がある。それを貫いて、曲がりくねった碧緑の瀘渓河が流れている。人々はこの河に舟を浮かべ、水上から碧緑の水や幅の広い谷、峰の林などが複雑に組み合わされた美しい風景を飽きるほど眺めることができる。だから人々は、瀘渓河から龍虎山に入るルートを選ぶことが多い。

龍虎山に入る前に、はるか遠くから、きちんと整列した衛兵の隊列を彷彿させる山の峰を見ることができる。これは「排衙峰(衛兵の峰)」と呼ばれている。言い伝えによると、後漢(25~220年)の中期、道教の創始者である張道陵(張陵ともいう)がここで不老長生の丹薬を煉り、道を修めたが、他人に邪魔されないよう多くの弟子を派遣して山の守護に当たらせた。その後、月日が経つうちに、弟子たちも道を修めて仙人となり、多くの奇峰からなる山の峰となって龍虎山を守護しているのである。

「排衙峰」は丹霞の峰の壁と峰の林の景観である

龍虎山は元の名を雲錦山といい、中国道教の正統派の「発祥の地」である。道教の歴史上、この山は先人の成果を受け継ぎ、それを発展させてきた。言い伝えによると、張道陵が仙丹を煉りあげると、龍と虎がその姿を現した。このときにこの山は龍虎山と改名されたという。

長い間、人々は大自然に対する崇拝の念をよく山水に託し、情感や理念を山水に賦与してきた。龍虎山では、山水と関係がある数多くの民間の物語や神話、伝説が広く伝えられている。

くねくねと曲がる瀘渓河は、龍虎山の丹霞地 形の美しい景色を貫いて流れる

仙水岩風景区には「十不得(十のべからず)」がある。これは人々が、さまざまな形をした景観に、おもしろい言いまわしを付けたもので、「雲錦(高級な錦)は羽織るべからず」「道堂は座るべからず」「石鼓は敲くべからず」「剣のような石は試すべからず」「仙丹の勺は盛るべからず」「蓮の花は採るべからず」「玉の櫛は梳るべからず」「仙桃は食すべからず」「仙女はめあわすべからず」「尼僧は和尚を背負って歩くべからず」である。

絶壁に多くの謎の懸崖墓

瀘渓河に舟を浮かべ、仙女岩で上陸し、上を仰ぎ見ると、高い絶壁につくられた洞穴の中に、数百の懸崖墓があるのを見ることができる。洞穴の大きさや形はそれぞれ異なり、その中に葬られた棺の形式もそれぞれ違う。墓葬の形式には、「単洞単葬(一つの穴に一人を葬る)」もあれば「単洞群葬(一つの穴に多くの人を葬る)」もあり、さらに「連洞群葬(洞と洞をつなげ、多くの人を葬る)」もある。 洞中の棺の多くは、一本の楠木からつくられている。棺の大きさや形はそれぞれ異なる。屋根の形の棺、舟の形の棺もある。よく見られるのは四角い棺である。

神漢峰

考古学者たちは一部の懸崖墓に対し発掘と研究を行い、これらが2600年前の春秋戦国時代の墓葬であると認定した。この中から発見された十三弦の琴は、歴史記載よりも200年以上古い。また発見された織機の部品は、中国の織機発明の年代を千年近く遡らせた。またここで発見された数枚の染色された織物も、中国の染色織物の歴史を5、600年前倒しにした。

こうした棺は、どのようにして最初に断崖絶壁に置かれたのか。それはいまでも依然、謎である。

道理で唐の詩人、王貞白はこんな詩を詠んでいる。

「仙丹の勺は盛るべからず」という丹勺洞 仙女岩

「白煙は昼に丹の竈を起こし 紅葉は秋に篆文を書く 二十四の岩は天の上 一鶏啼きて晴雲を破る」  王貞白は棺が神仙の世界から来たものだと考えていたのである。

龍虎山の地元の人々は「仙女岩に行かなければ、龍虎山に来たことにはならない」と言う。仙女岩は鍾乳洞を浸蝕した典型的な丹霞地形である。その形が女性の生殖器に酷似していることから「天下第一の絶景」と言われている。

道教は自然を崇拝し、陰陽をもって宇宙の発展法則を解釈し、「一陰一陽まさにこれを道となす」としている。仙女岩から瀘渓河を隔てて望むと、神漢峰が直立してそびえ立っている。道理で張道陵が当時、ここを選んで道を求め、布教の根拠地にしたわけだ。その考えは2000年も踏襲されて、いまも生き続けている。

 

人民中国インターネット版 2011年5月

 

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