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郊外に再現 歴史の記憶

 

高原=文 馮進=写真

美しいボルガ荘園の全景

ハルビン市の東郊、香坊区成高子鎮にあるボルガ荘園は、新しい「郊野公園」(カントリーパーク)だ。その最も大きな特色といえば、かつてハルビンで名声を誇っていたものの、さまざまな原因から歴史の流れの中で消えてしまった多くのロシア風の建物が、園内に復元されていることだ。

復元された聖堂やレストラン、クラブは、ハルビン市のお年寄りにはたいへん懐かしいものだが、一方で若者にとっては逆に新鮮さや珍しさを感じさせる。そして、それらは美しい建築物であるだけでなく、この街の歴史の記憶を象徴している。

巨費投じ「ラマ台」を復元

ボルガ荘園の建設は、聖ニコライ聖堂の復元から始まった。現在、荘園の中で最も有名で、最も注目されているのも聖ニコライ聖堂だ。

ボルガ荘園内復元された聖ニコライ聖堂 聖ニコライ聖堂を描くロシア人の画家

この有名な聖堂は1899年に建築が始まった。中東鉄道(東清鉄道)が完成すると、当時のツァー、ニコライ二世は、ハルビンに住んでいるロシア人のためにロシア正教会聖堂の建築を決めた。そして、サンクト・ペテルブルクでデザイン・コンペを開き、ロシアの有名な建築デザイナーと画家に設計と室内の壁画を担当させることにした。聖堂の中にある聖像や鐘などはいずれもモスクワから運ぶなど巨費が投じられ、出来上がった聖堂は装飾の豪華さに加えすべてが木造であるなど、貴重で芸術的価値の極めて高いものだった。

それから長く、ハルビン市民に「ラマ台」と呼ばれたこの美しい聖堂は、現在の紅博広場の中央にそびえていた。聖堂はこの街全体の中心にあり、最も高い建築物として親しまれたものだ。当時、ハルビン駅を出るとすぐに、遠くの高台に立つその姿が目に入ったという。多くのハルビンっ子にとって、幼年時代の記憶、センチメンタルな青春時代の思い出は、この聖堂と深くかかわっていた。

しかし、1960年代以後中ソ関係が悪化し、さらに文化大革命が始まると、帝政ロシアが築いたこの聖堂は大衆の攻撃目標となり、ある日紅衛兵の一群が消防車で乗りつけ、ウインチなどの大型機械を持ち込み、まる1日をかけて聖堂をすっかり破壊しつくした。同時に聖堂内の文物も多くが損なわれ、あるいは散逸してしまった。

1990年代以後、ハルビン市政府が中央大街と聖ソフィア大聖堂を再建すると、聖ニコライ聖堂復元の大衆的気運も高まった。ただ、復元そのものには多くの人が賛成したが、元の場所にするか、別の場所にするかで大論争が起こった。

ボルガ荘園の静かなたたずまい

聖ニコライ聖堂は木造建築で、釘は一本も使われていない

2007年になり、ハルビン東建グループの出資で、郊外の成高子鎮で復元することが決まると、復元のためにロシアの著名な建築デザイナーが招かれた。オリジナルの図面に基づき、最大限に元の様子に近づけるために、材木や室内装飾の材料などは、ロシアから輸入された。さらに意味があるのは、出来上がった建物内には紅衛兵が聖堂を破壊している様子を写した貴重な写真が展示されていることだ。それは、昔を懐かしんで訪れる観光客にきっとさまざまな思いをもたらすはずだ。

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