People's China
現在位置: 連載中国の老舗と逸品

北京の冬の風物詩 「東来順飯荘」の涮羊肉

広岡 純=文 馮進=写真

2008年から今年まで、中国は国際的にも国内でも数々の大きな出来事を経験した。2008年の四川大地震、オリンピック、2009年の新中国成立60周年、2010年は上海万博、世界第二位の経済大国になり、2011年が中国共産党成立90周年。中国は確かに豊かになったと世界中の人々が思い、中国人は大いに自信をつけたのも事実である。

開店。お客をお迎えする東来順飯荘のウェイトレス

冬はしゃぶしゃぶを食べる客がやっぱり多い。銅の火鍋を囲むと話がはずむ

この大陸は過去にも何度となく世界の注目を集めたことがあった。大いに繁栄し世界から人々がやって来た。世界の富が集まり、中国の文化が世界に広まり、シルクや陶磁器を世界が渇望した。シルクロードや海上の道が開かれ、東西の文化交流が盛んに行われた歴史がそれを物語っている。

日本人は舶来品が大好き

さて、日本。それほど昔でもない話だが、戦後から10年ぐらいはまだ「洋行」という言葉が輝いていた。おそらく明治大正昭和の初めまで、洋行帰りと言えば「ハイカラ」の代名詞のような存在だったはずで、昭和30年代でも侵略戦争以外で海外に行ったことのある日本人はほとんどいなかった。そのころのドルは昭和48年(1973年)まで固定相場で、ほぼ1㌦は360円。

日本が高度経済成長を唱え、日本の繊維・鉄鋼・造船がいずれも世界に誇る基幹産業だと学校で習い、1964年東京オリンピック、1970年には大阪万博が開かれ、やがて円高ドル安になり、1968年にはイギリス・ドイツを抜いて世界第二の経済大国となる。

東来順飯荘大屯北路、百万荘、馬甸の3支店を持つ任樹根社長。なかなかの研究熱心である

北京東来順飯荘百万荘支店の外観

日本に新幹線が走りだしたのは、オリンピックが開催された1964年。時速200㌔で、東京と大阪を4時間で結んだ。このころから日本の企業の海外進出が始まり、マンションブームやマイカーブーム、海外旅行も盛んになる。1950年代の終わりごろから日本全土にテレビが普及し始め、電化製品が家庭にも行きわたるようになる。従来の基幹産業は自動車・電機・機械にとって代わられ、「TOYOTA NISSAN SONY NATIONAL TOSHIBA NIKON CANON」が世界を駆け巡って、日本人は大いに自信をつけたものである。

しかし、それまでの日本は車と言えば、そのころ流行った小林旭の『自動車ショー歌』ではないが、フォードやクライスラー、ポルシェ、ベンツ、ロールスロイス。電機製品はゼネラルエレクトリックやフィリップス、シーメンス。カメラはライカ。万年筆はパーカーにモンブラン。本当に日本人は舶来物が好きだった。高度成長経済のころの日本には世界のブランド品が集まり、ファッションから化粧品やバッグまであらゆるブランドの店が銀座・原宿・六本木ばかりではなくあらゆる繁華街に氾濫していた。高校生までヴィトンやグッチのバッグを持つ始末。

しかしもちろん日本にも京都・奈良・大阪・東京などの古い町には、人々に長く愛されてきた老舗があり逸品がある。伝統文化は地域に密着して、人々に支えられて伝承されてきたのである。

 

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