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希望の言葉――「辛苦了」

 

角南 沙己

私は「辛苦了」という中国語の言葉がとても好きだ。深い思い入れがある。北京で現地の道場に通っていた時、剣道の稽古後に必ず先生方や仲間達とこの言葉を交わしていた。普段の会話では仕事や作業の後に「お疲れさま」という意味で使うが、私の知る使い方は少し違う。剣道の稽古後に掛け合う場合、稽古をつけてくれた相手に対し感謝し、互いの労をねぎらうという意味を含んでいて、巷で使われる意味とは少し異なるように感じた。中国語が全く話せなかったため、はじめは中国人の剣道仲間たちとコミュニケーションを取れずもどかしかったが、そんなときに教えてもらったこの言葉のおかげでお互いの距離が一気に縮まった。厳しい稽古の後で、流れ出る汗を吹きながら、笑顔でこの言葉を掛け合うと、辛さや疲れも吹き飛んで、お互いとても清々しい気分になるのだ。稽古の際だけでなく、大会など試合後でも対戦相手に対して「辛苦了」と言って相手への尊敬の意を素直に表現することがしばしばあった。こんなことは日本では一度も経験しなかったのでとても驚いた。

去年の8月から今年の6月まで約一年間、北京の清華大学附属高校国際部に留学した。剣道をするために北京に来た訳ではなかったが、小学校4年生から習っている剣道の稽古を北京でも続けたくて、知り合いの先生に紹介して頂き道場へ通っていた。そこで日本人の先生方から熱心に剣道を学ぶ真剣な中国人達の姿を目の当たりにして、衝撃を受けた。20代30代を中心に男女が毎週2、3回道場に通い稽古に精進している。中には夫婦で剣道を始めたのをきっかけに子供達にも習わせている剣道一家もいた。ある人は日本の剣道をテーマにした漫画の影響で興味を持ち、ある人は自分の日本語教師が剣道をやっていたために習い始めたようだ。きっかけは違えども、剣道家たちはみんな礼を重んじる剣道を愛していることがわかった。現在、中国での剣道人口は約15,000人とも言われ、年々増えているそうだ。

なぜ中国人がこれほどこの日本の文化を深く学ぼうとしているのか不思議に思えた。礼を重んじる思想は古代中国で生まれ、その思想は深く中国に根付いていると感じた経験がある。昨年の冬、嵩山にある少林寺を訪れた。早朝から稽古に励む若い修行僧や年配の和尚さんの姿まで多く見かけたが、武術の稽古や演技は礼に始まり礼に終わっていた。ここになにか剣道と深く関わる共通点を感じる。嵩山は山岳信仰の場として北魏の時代から道場や仏教の道場が置かれてきた。人間の存在を上回るなにか大きな力を敬うという思想がある。自分たちよりも大きな力、例えば「自然」や「気」を感じることによってより謙虚になり、相手への敬う気持ちも生まれることから、中国人の剣道家が使う「辛苦了」は普段日常生活で使うものと異なる意味が生まれたのではないかと感じた。

今年3月に公表された内閣府の対中感情の世論調査で、日本人の8割以上が中国に親しみを感じていないと答えた。この数値は過去最高であり年々上昇しているのが事実だ。理由の一つには、どちらの国の方が発展している、大きいなどの覇権争いになっているからである。しかし私は一年間の滞在で、中国人と日本人が一つの武道を通して繋がることができるということを身にしみて感じた。日中の剣士同士が互いの稽古を通して剣道をより理解したいという共通の思いの中で、国境の壁を超えて繋がることのできる鍵を見つけられると信じている。ここで生まれた「辛苦了」は中国と日本を結びつける新たな信頼関係となるだろう。どちらが強く、どちらが上に立つべきなどと考える先には未来はなく、人間同士の区別のない自然な形がこれから大切になってゆくに違いない。こういう時代だからこそ、日中の間で武道を通した交流の機会をより増やし、武道を一つのきっかけとして人よりも大きな敬うべき力の存在を感じ合うべきだ。

人民中国インターネット版2016年9月

 

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