戦後国際秩序順守を なぜ日本に求めるか

2025-12-22 17:19:00

清華大学国際関係学部教授、北京外国語大学「長青学者」 劉江永 

1945年8月15日、裕仁天皇が「ポツダム宣言」を受諾し、日本の無条件降伏を布告した。日本政府は調印した降伏文書で、天皇、日本政府およびその継承者が「ポツダム宣言」の各条項を忠実に執行することを公約した。 

その後、日本は軍国主義の清算を開始し、平和憲法の下で平和的発展の道を歩み始めた。しかし、日本の右翼勢力はこれまでずっと憲法の制約を突破し、戦後国際秩序の転覆を企図し続けてきた。日本の政治の右傾化が一層顕著になり、平和を愛する日本人民と国際社会の警戒と憤慨を引き起こさないわけはなかった。

侵略の歴史は覆せない 

平和と正義を推進するために、1945年の「ポツダム宣言」は次のように明確に規定している。「日本人民を欺瞞し、誤った指導によって、世界征服を妄想した権力と勢力は永久に取り除かなければならない。日本の戦犯は処罰されなければならない」

1947年、極東委員会は対日政策に関する決議の中で次のように強調している。「戦後、日本人民は宗教の自由を有するが、宗教に隠蔽された過激な国家主義、軍国主義および反民主組織·運動は決して許さない」。言い換えれば、靖国神社が再び反動政治に利用されることを禁じた、ということである。

日本政府は1972年の「中日共同声明」で次のように表明した。「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」。人々を憂慮させているのは、日本の右翼政治家がこうした日本政府の厳粛な公約と中日関係の政治的な基礎を公然と破壊し続けていることである。

また1998年の「中日共同宣言」でも次のように明記している。「双方は過去を直視し歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な基礎であると考える。日本側は、1972年の日中共同声明及び1995年8月15日の内閣総理大臣談話を順守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民に多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに対し深い反省を表明した」

戦争を経験した世代のほとんどの日本人は靖国神社が日本軍国主義の象徴であることを知っている。戦後、靖国神社は民間宗教施設の形で残され、中国側は日本の一般民衆が参拝することを決して譴責していない。1978年秋、14人の日本人A級戦犯が「英霊」として密かに靖国神社に合祀された。もしかすると天皇はこのために、再び参拝しなかったのかも知れない。

1985年、中曽根康弘首相の靖国神社参拝は、中韓から激しく反対された。そこで彼は過ちを改め、再び参拝はしなかった。1997年に就任した橋本龍太郎首相もそのようにした。しかし、2001年、小泉純一郎首相は隣国と日本国内の良識ある人々の反対を顧みず、かたくなに靖国神社参拝を続け、日本と隣国との関係を著しく悪化させた。

戦後、中国が中日国交正常化交渉の際に、戦争賠償の対日請求を放棄した主な理由の一つは、中国が日本人民と少数の軍国主義の張本人たちとを区別して対処し、日本人民と永久の友好的な関係を築こうと望んだからである。しかし、現在、日本の政界要人は靖国神社を参拝し、A級戦犯を含むいわゆる「英霊」に対して敬意を表している。このことは侵略戦争に対して、毫も反省していないだけでなく、被侵略国と人民に対する侮辱であり挑発であり、精神的な加害の繰り返しと同じである。こうしたことは、必然的に、国際社会に日本は再び戦前の道を歩むのではないかという憂慮を引き起こしている。

領土問題にはすでに定論 

戦後の日本の領土の範囲に関して、「ポツダム宣言」第8条は次のように規定している。「カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は必ず本州、北海道、九州、四国およびわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする」。1943年12月1日に公布された「カイロ宣言」は「日本国が中国から奪取したところの領土、例えば満洲、台湾、澎湖列島等は中国に返還しなければならない…」。釣魚島は台湾の付属島嶼であり、甲午戦争中に伊藤博文内閣によって秘密裏に窃取占領が決定され、その後、不平等条約である「馬関条約」を通じて50年植民地として統治された。従って、釣魚島を含む台湾とその付属島嶼はすべて中国に返還されなければならない。

日本政府は1972年の「中日共同声明」で「ポツダム宣言」の厳格な遵守を明確に公約している。同年10月、大平正芳外相は国会で演説し明確に以下のように重ねて公約した。「『カイロ宣言』『ポツダム宣言』の経緯を対照すれば、これら二つの宣言の意向によって、台湾は中国に返還すべきであり、これが『ポツダム宣言』を受諾した政府の変わらざる見解である」

日本国憲法第98条は以下の2項目を規定している。「1、この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅および国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。2、日本国が締結した条約および確立された国際法規は、これを誠実に順守することを必要とする」。こうしたことから、国際法から見ても国内法から見ても、日本政府は歴史、領土問題において、必ず戦後の国際法規と国際秩序を順守しなければならず、またこれに違背する日本国内の法律、国務行為は、日本国憲法の規定によってすべて無効でなければならない。

「米日条約」根拠にならず 

日本には、戦後の東アジアの秩序は1951年の「サンフランシスコ講和条約」が基礎だと認識し、「ポツダム宣言」と「カイロ宣言」の地位に替えようと企図している人がいる。これは通らない話である。

まず、「サンフランシスコ条約」は中国領土の範囲を決定する権利がない。「サンフランシスコ条約」第2条は台湾の中国返還を規定しておらず、第3条で琉球を米国の信託統治としていることに対して、周恩来外相は1950年から、中国を代表して繰り返し反対を表明、これは違法、無効であると指摘した。署名していない国に対して、当該条約が無効であり、他国に隠れて、条約でその国の領土に言及することは当然ながら違法である。

次に、「サンフランシスコ条約」は日本とすべての隣国との戦争状態を終結できなかった。中国、朝鮮、韓国、ソ連、インド、ビルマ、ベトナム、モンゴル等の国々はサンフランシスコ会議に参与していないし、「サンフランシスコ条約」にも署名していない。従って、40カ国余が当該条約に署名したものの、そのうち40%以上が日本と交戦しなかったラテンアメリカ諸国で、まったくアジアの主な参戦国を代表しているとは言えず、さらに当該条約は戦後の東アジアの国際秩序を形成する立場にない。

総じて言えば、国際法規は使いたい時に使い、使い終わったら捨てる使い捨ての食器ではなく、国際法規を誠実に順守するか否かは、国家の基本的な国柄を検証する試金石である。従って、平和を愛好する日本人民には自国政府を監督し、自国の国際的な信頼を擁護し、日本が平和を熱愛しているという国際イメージを作り上げる責任がある。

人民中国インターネット版

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