動物とともに生きる波乱の人生


                      文・馮進 写真・楊振生

 張呂萍さんは、捨てネコや捨てイヌなどの収容、救助を行う「人と動物環境保護教育センター」の創始者であり責任者だ。私は、彼女に親しみを覚え、北京市昌平区小湯山鎮にある同センターまで、彼女と200匹以上のイヌ、60数匹のネコを訪ねた。

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イヌに綿入れを着せているところ

 40歳過ぎの張さんは、明るく健康そのもので、濃い眉、大きな目が特徴的な女性だ。センターの仲間からは、「大姐(あねき)」と親しみを込めて呼ばれている。

 かわいい動物たちは、母親代わりの彼女の足元ではしゃいでいたかと思うと、私のところに走り寄ってきて、前足をあげて甘えたがり、何かを伝えたいという視線を向けてきた。
「菲菲、毛毛、帥帥、こっちにおいで。いい子ね……」張さんは、愛情を込めて動物の名前を呼びながら、「彼らは、私たち人間の愛情と援助を必要としているんですよ」と言った。

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ネコ飼育施設の壁に絵を描く北京インターナショナルスクールの学生たち(写真・馮進)

 小さいころから動物の世話が好きだった張さんは、もともとは新劇俳優だった。のちに商売をはじめ、レストランや会社を経営して大きな成功を収めた。だが、何もかも順調だった時、突然、自分が癌におかされていることを知った。彼女は、大きな精神的ショックを受けたが、そんなもっとも苦しい時、そばにいて慰めを与えたのが、菲菲やほかの動物たちだった。

 張さんは、当時のことを思い出し、懐かしそうにこう言った。「忙しい一日の仕事を終え、ぐったりとして動物たちのもとに帰ると、いつも興奮した愛らしい表情を見せてくれた。お互いの無言の交流が、言葉では表現できないほどの力になった。動物たちと戯れるだけで、苦労や疲れ、病苦など、すべてを忘れてしまった」

 その後、小動物、特に、捨てネコや捨てイヌへの愛情をさらに深め、あらゆる方法での援助を惜しまなくなった。そんな時間が長くなるにつれ、彼女の手で育てられたネコやイヌは、ますます多くなっていった。

センターの仲間たち

 かわいらしいが不遇な動物たちと一緒に生活して、張さんのプレッシャーも日に日に大きくなった。資金不足のため、動物の食費、飼育場所、治療費など、解決しなければいけない一連の問題が山積みだった。張さんは、当時の厳しい状況を思い出してこう言った。
「もっとも困難な時に、一番重要な決断を下した」

 彼女は、自分で築き上げてきた事業を放棄し、自動車や不動産を売り払い、その資金をもとに、彼女自身と動物たちの生活を維持しようとした。

 そのため動物たちは、常に張さんとともに生活場所を変え、時には張さんのオフィスや宿舎が仮住まいとなった。市内から郊外へ、山頂からふもとへと移動を繰り返した。そして様々な困難を乗り越え、2001年4月、北京市昌平区小湯山鎮に定住の地を得た。張さんが、現在の「人と動物環境保護教育センター」を創設したことで、各種環境は大きく改善された。この間、多くの人から絶え間ない支持と援助を受けた。中でも、国際動物愛護基金(IFAW)と英国ロイヤル動物虐待反対協会からの資金援助は、特に大きかった。

 同センターは、動物の収容、救助および動物保護の社会的呼びかけを総合的に行っている非営利の民間動物保護組織である。40余ムー(1ムーは約6・667アール)の敷地内には、建物が18棟あり、動物の飼育と治療の訓練を受けたスタッフ30人が働いている。

ベルギー人・デビットさんとネコ

 このセンターには、動物の救助・収容施設、ペット用ホテル、負傷・病気隔離施設、治療室、学生の課外教育用の教室などがある。張さんは、「私たちの目的は、動物の救助と保護を進めることであり、人々、特に青少年が、小さい時から大自然を守り、動物と親しみ、生命を尊重する環境保護意識を持つようになること」という。

 2001年11月、センターでは見学会を企画し、百人近い国内外の小学生が足を運んだ。子供たちはそれぞれ、動物への贈り物を用意していた。動物とのふれあいを通して、人と動物の心の交流を体感してもらった。このイベントには、動物行動学のアインシュタインと呼ばれている英国の著名動物学者であるジェーン・グドール博士を招いた。彼女は、子供たちに動物と環境を保護することの大切さを教え、一緒に記念植樹を行った。張さんは、「動物と一緒に遊ぶ子供たちの興奮ぶりを見て、心からうれしくなった」と話す。

 善行の報いだろうか。動物のために心血を注ぐ多忙な日々ではあるが、癌手術の成功から10年以上が経ったいま、体は日に日に良くなっている。近年、ますます多くの人が、動物の縁で張さんと知り合い、熱心なボランティアとなり、祝祭日の時間を使って、センターでの手伝いや寄付、寄贈などを希望する。

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病気のイヌを治療するセンターのスタッフ

 張咏梅さんは、小さな私営企業の経営者だ。彼女は、ペット用に200着以上の衣服を寄贈した時、こう言った。「かわいがっていたイヌを失したことがあった。娘は一日中泣きはらしたくらい。ですから、私の家族はみんな、捨てられたり迷い子になってしまった小動物に心が痛む。私たちはお金持ちとは言えないが、それでも小企業を経営している。何か困難にぶつかった時には、遠慮なく相談してください」

ゴミ捨て場で拾われたイヌ。いまでは大切に育てられている(写真・馮進)

 北京で働くベルギー人のデビットさんは、たびたびセンターを慰問する。冬が近いにも関わらず、十分な暖房施設がないと見るや、動物たちに暖房器具を買ってやってほしいと、その場で1000元(1元は約15円)を寄付した。

 王小栄さん夫婦は、二人とも身体障害者で、生活には様々な不便がつきまとう。それでも数十キロの遠路はるばるセンターに足を運び、動物たちを慰問する。彼らは、自宅で使っていたパソコンを寄贈し、わずかばかりの月給から、毎月百元を出して、一匹のイヌの里親になった。

センターの創始者・張呂萍さん

 センターのみんなに、「紅嫂(紅ねえさん)」と呼ばれているボランティアがいる。太めの紅嫂は、裁縫が上手で、冬が近づくと毎日のようにセンターを訪問し、動物たちに越冬用の綿入れを作った。動物たちが素敵な衣装を身につけて、尻尾を振りながら自分の方に駆け寄ってくると、彼女は何度も何度も指に針を刺してしまった痛さも忘れてうれしくなる。動物たちも紅嫂にとてもなついている。

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 このようにして、多くの人の支えのもと、センターの規模は徐々に大きくなり、張呂萍さんと動物たちの笑顔も絶えることがなくなってきた。同時に、センター一同は、より多くの人たちに、さらなる援助を期待し、不遇な動物たちに助けの手を差し伸べると同時に、人類の生存に必要なうつくしい環境を保護するために、力を貸してほしいと望んでいる。