【放談ざっくばらん】


歩いてわかった日本

                    馮昭奎 中国全国日本経済学会副会長

 

 

 日本で私は多くの街を歩いたが、にぎやかな街もあれば、ひっそりした街もあった。その中で、名古屋市にある張石という小さな商店街は、現在の日本経済の姿をそのまま映した鏡のようであった。

 どうして私がこの街をよく知っているかというと、最近2カ月間、日本の産業技術を研究するため日本を訪問し、名古屋市立大学の客員研究員として、名古屋で暮らしたからなのである。

 宿舎から学校まで行くには、小さな商店街を通り抜け、途中でかなり広い道路を渡らなければならない。滞在中、私は異なる時間帯に百回以上、この道を歩いた。しかし、「商店街」なのに、商店に出入りする客を一人も見たことがなかった。

 だが、八百屋の店先には毎日、売れ残りの値引きした各種の野菜が並んでいた。クリーニング屋にはきれいに洗った洋服などが、いっぱい掛けられているし、弁当屋のガラスケースには毎日、いろいろな弁当が並んでいる。だから客があることは確かなのだ。ただ私が客に出会わなかっただけなのだろう。

 本来にぎやかであるべき商店街が私に与えた感じは「静」だった。しかし、商店街としては、「静」はたぶん「不景気」を意味する。これこそ日本経済の縮図ではないのか、と私は考えた。つまり繁盛している様子は見えないが、いつものように仕事が回転している。活力は感じられないが、依然、正常に営業が続いているのである。

 日本では、「不景気だ」と誰もが言う。大学の先生もそう言い、タクシーの運転手たちも「景気が悪くて」とため息をつく。人気歌手もテレビで「♪どんなに不景気だって恋はインフレーション」と歌っている。

 しかし、商店街の中には、客で満員のところもある。それは、老人性の骨の病気を診療する接骨医院である。待合室には白髪のお爺さんやお婆さんが座って診察を待っているのがガラス越しに見える。みなゆったりとしていて、高齢化社会の雰囲気が感じられる。

 だが、理髪店の値段表には「6000円以上」と書かれている。労働力が多く使われるサービス業の価格は安くないことがわかる。

 ある雨の日の早朝、私は傘をさして歩いていた。すると一人の老婦人が前から自転車に乗ってやってきた。彼女があまりに悠然としていることに、私は突然気がついた。そして彼女の自転車のハンドルに、一本の傘がしっかりと固定されているのを発見した。だからこそ彼女には、雨の中で傘をさして自転車をこぐ、あの切迫感がまったくないのだ。

 後にそれは、晴天の時に日除けの傘も使えることがわかった。ついに私は、一軒の自転車屋で、ハンドルの中心に傘を固定する器具「傘固定器」を探し当てた。いくらするのかと尋ねると、4000円だという。

 中国の都市の交通規則では、傘をさしながら自転車に乗ることは許されない。しかし、こうした「傘固定器」があれば、人々が傘をさして雨や日差しが避けられるよう、規則を改定すべきかもしれない。

 日本の産業界では、「スキマ産業」「スキマ商品」という言い方が盛んだ。それは、社会にはいろいろな産業がほとんどみなあるのだが、実際は、多くの需要があるのにあまり注目されず、それに応じた商品やサービスがないため、需要を満足させられないことを意味している。言い換えれば多くの隙間が存在しているのだ。そして誰かがこの需要に注目し、相応の商品を開発・生産すると、この「スキマ」はもはや「スキマ」ではなくなる。

 今回の日本滞在で受けたもう一つ大きな体験は、ゴミに関してである。

 日本のゴミの分別処理は、ヨーロッパよりも遅れているにもかかわらず、最近4、5年の努力の結果、ゴミ分別に対する住民の自覚は大いに高まった。愛知県のゴミの分別は20〜30種類もあるといわれるが、近年、住民に対してゴミを分別して捨てるよう説得する会合が200回以上も開かれた。面倒くさいと不平不満を言う人も少なくないが、ゴミ分別の実施状況はかなり良い。

 張石の商店街についていえば、毎週月曜と木曜の朝、道の両側の指定された場所に、多くの「燃えるゴミ」と書かれたゴミ袋が置かれているのを見ることができる。金曜になると「燃えないゴミ」が登場する。この日にはガラス瓶を捨てることができる。青いプラスチックの籠が道路脇に並べてあり、籠の中には整然と、ガラス瓶が並べて捨てられ、どれもみな蓋をはずし、きれいに洗ってある。

 毎月の第一木曜日には、一つ一つビニールの紐で十文字にくくられた新聞や雑誌の束が、各戸の門前に出現する。人々はみな、決まりをよく守り、規則を守らずにゴミを捨てるようなことは非常に少ない。

 日本に住む外国人にもゴミ捨ての規則を守らせるために、外国人受け入れ担当の教授は、私が宿舎に入った最初の日に、私のために講義をしてくれた。

 しかし中国ではまだ、ゴミの分別は実行されていない。だから私は、ゴミの分別を始めたばかりのころは、それに慣れなかった。とくに台所のゴミは、1、2日捨てないと臭くなるからだ。

 名古屋のミニコミ紙によると、ある主婦が、台所のゴミの悪臭を防止する方法を発明したという。これは指定された日まで捨てられない台所のゴミを新聞紙で包んで、ゴミの水分を吸収し、悪臭を防ぐというやり方だ。

 中国が改革・開放政策を始める前は、物資は欠乏し、自由に物を買う自由はなく、食糧や副食品から腕時計、自転車にいたるまでそれぞれ「票」という切符が必要だったことを私は覚えている。しかし改革・開放以来、経済は大いに発展し、現在はお金さえあれば、ほとんどどんな物でも買える。

 物を買う自由がある以上、物を捨てる自由もある。しかし私は日本に着いて初めて「物を捨てる不自由」を感じた。しかも人々は、自分の住環境を守るため、この「不自由」を自覚して耐え忍んでいる。

 道路を横断しようと赤信号で待っているときに、私はいつも行き交う車を見ながら素晴らしいと思った。それは街を走る乗用車の中で、だいたい4、5台に一台が経済車であることだ。しかも日本の経済車はほとんど排気量が650しかないミニカーだ。中国国内では経済車といわれる乗用車が排気量1000以下であるのとは違っている。

 ミニカーの形は、カブトムシのようなものもあれば四角い箱形のものもあり、かわいらしい。多くは背が比較的高い。それは明らかに、車内の空間を拡大するため、幅や長さの不足を高さで補っているからだ。

 私はたまにタクシーに乗ったが、日本のタクシーの「文明度」が深く印象に残った。例えば、車のシートは全部純白だった。ある時、スーパーへ買い物に行き、かなり多くの品物を買ったので、タクシーで帰宅せざるを得なくなった。それほど遠くない距離だからワンメーターで着けると思っていた。

 しかし運転手が道をよく知らず、遠回りしたため、メーターは初の乗りの610円から870円に変わってしまった。車を降りるとき、運転手は「すみません。遠回りしたので、610円で結構です」と言った。私は硬貨を集めて800円を運転手に渡そうとした。しかし運転手は、610円だけは受けとったが、あとは受けとらなかった。

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 どこにでもある日本の商店街から、私は日本に関する「平凡」なことがらを見てきた。それは「平凡」ではあったが、私は心の中で、成熟した経済社会の真実の姿を見たと感じている。