【お祭り賛歌】


チベット自治区アリ地区・聖地巡礼
信仰が拓く神なる山への道

             文・写真 李建泉


53キロの巡礼の道には、山のような荷物を持ったチベット族の人波が続く

野宿しながら進む巡礼者たち

 アリ地区。チベット最西部、平均海抜4500メートルに位置し、「世界の屋根の屋根」と呼ばれる。地球上で最も勇壮なヒマラヤ山脈、ガンディセ山脈、カラコラム山脈に囲まれた地域で、荒涼とした極地の雰囲気があり、最後の秘境の一つとも言われる。

 ラサからアリ地区へ行くには3ルートあり、最短ルートでも1600キロの道のりだ。

 北ルートは、チベット北部草原を横切り、道のりは果てしなく、道行く人は少ない。

 中ルートは、シガズェ、ラズェを経由し、サガのあたりで北に向かい、ツォチェンからゲルズェに至り、ここから北ルートに沿って、アリ地区の政府所在地である獅泉河に達する。さらに南に方向を変え、ザダの古格王国遺跡、ブランの神なる山と聖なる湖に到着する。ここは次の南ルートに比べて遠回りで、景色も単調だが、道は比較的平坦なため、多くの巡礼者がこのルートを選ぶ。

神聖な岩を丹念見入る女性。岩を通して自分の魂を覗けると言われている

 南ルートは、ヒマラヤ山脈とガンディセ山脈の間の峡谷を突き抜けるため、景色の変化は大きいが、何本も大河を横切らねばならず、大雨や土砂崩れに遭遇すれば、車ではとても通り抜けられない。

 アリ地区の気候は変化が大きく、7、8月でも冬装備が必要だ。また、酸欠で高山病にもなりやすいため、風邪、発熱、下痢、炎症などに効く薬のほか、非常用の酸素ボンベか酸素バッグを携帯する必要がある。信仰を命の上に置く人だけが、巡礼の決断をできるのだろう。巡礼によって初めて、身体と精神は苦しみを味わいながらも、魂は天国にのぼることができるのだから。

 5月24日午前、歌にも踊りにも長けたチベット族は、ブランのガンリンボチェ雪山のふもとで心ゆくまで歌い、「2002年アリ地区観光年及びガンディセ山脈巡礼祭り」の開幕を祝った。ボン教、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教の四大教派はすべて、「世界の原始の中心」であるガンディセ山脈の主峰・ガンリンボチェ峰を「神なる山の王」と崇めている。万年雪をいただくガンリンボチェ山は、海抜6714メートルあり、ヒマラヤ山脈の主峰の一つであるナムナニ峰と、はるか遠くで向き合っている。

ガンディセ山脈の主峰で、「神なる山の王」と崇められるガンリンボチェ峰

 二つの山脈にはさまれた聖なる湖マバムユムツォは、神聖で純潔な雪山の下で、まるで巨大な青い宝石を象眼したかのように見える。唐代の高僧・玄奘が、『大唐西域記』の中で触れている「西王母瑶池」は、まさにマバムユムツォであると言われる。神なる山の氷雪が融けて聖なる湖になり、聖なる湖が馬 泉 河、獅泉河、象泉河、孔雀河の四河川の源流になった。これらは、下流に行くに従い、ヤルンズァンボ、ガンジス川、インダス川、サトレジ川を形成する。

 神なる山と聖なる湖は、その壮麗な自然で無数の観光客を魅了するだけでなく、特殊な宗教的意味合いから、信仰の象徴であり、毎年、国内外からの巡礼者が絶えない。

 誰もが敬虔な信仰心をもって巡礼に訪れ、神からの祝福を受け、一生の罪を洗い流そうとする。巡礼で神山を十三周すれば、一生の罪をぬぐうことができると言われる。昨年は、チベット暦ではシャカの干支である水馬年に当たり、神なる山と聖なる湖を巡礼することは、チベット族やインド、ネパールなどの国のチベット仏教徒たちの最大の願いだった。

お祭りの盛装を身につけたアリ地区の娘たち

 神なる山のふもとにある小村の静寂は、各地からやってきた観光客や巡礼者によって破られた。高台から望むと、臨時テントが、もともとある家屋の数倍の面積を占めていて、青海、四川、甘粛、雲南及びチベットの各地などからやって来たチベット族が、神山の入り口に五色の幡を掛け、平穏と幸せを祈っている。

 早朝の陽光に迎えられ、私たちは、時計回りに巡礼の道を進み始めた。敬虔な巡礼者は、来世の功徳を積むために、現世での大きな苦難を乗り越えて、五体投地で雪山に祈りを捧げ、神なる山を巡礼する。

 巡礼の道のりは53キロ。体力のある巡礼者なら、一日で終えることができる。彼らは、早朝2時か3時に懐中電灯を持って出発し、夜になってようやく戻ってくる。普通の人なら、2、3日が必要だ。ふもとには、ヤクを貸し出す人もいて、観光客の荷物を運ぶ。一頭のレンタル料は1日60元。神なる山を一周するには3日かかる。

神聖な岩を丹念見入る女性。岩を通して自分の魂を覗けると言われている

 私たちは、周囲の景観を見ながら、2日で全行程を終えようとした。ふだん、高原に暮らさない私たちが、ここで前進するには困難が伴う。しかも、撮影機材を背負って海抜5000メートルのでこぼこな道を進むとなると、自分が最後まで歩けるのか、まったく自信がなかった。

 53キロの道には、巡礼に来た人たちの列ができていた。一人ひとりの真剣で自信に満ちた表情を見て、真の信仰者だけが、巡礼の道を進む力を持つと感じた。西側の広場には、人々の願いが託された五色の幡が雪山の下ではためいている。足下の石と巨大な岩壁の背後に見える、白いピラミッドのように屹立しているガンリンボチェ峰を望むと、自分が太古の時代に身を置いているような錯覚を覚える。巡礼者たちが踏み固めた道を見て、ようやく現実に戻ってきたような気持ちになる。

 私たちは、無数の巡礼者が踏んだ山道をゆっくりと進んだが、神なる山は相変わらず雲と霧の中に隠れていた。知らず知らずのうちに十数キロを前進し、山を望むのに適した場所に出た。道端にはチベット族が開いた小さなお店があり、そのテントに入ると、ビール、コーラ、ビスケット、インスタントラーメン、各種の肉の缶詰めなどが何でもそろっていた。

ひとりのお年寄りが五色の幡を交換している。多くのチベット族のお年寄りは、生活のほとんどを巡礼に費やし、来世の功徳を積む

 夕暮れ時が近づき、神なる山の向こう側にある野営地に急ぐ。夕陽に映された雪山の神聖さは格別だ。闇があたりを包みはじめると、巡礼のチベット族は月の光を浴びながら、神なる山の下で火を起こし、食事の準備をはじめた。温かい炎に照らし出された彼らの顔は、神なる山に包まれてとても穏やかに見えた。巡礼という願いを実現するために直面する各種の困難は、まるですべて洗い流されたようにも見える。

 人々は、雪山に向かってひざまずくと同時に、大自然をも礼賛する。そして、この道を歩いたあと、彼らの心は、大自然から洗礼され、浄化される。