特集 (その2)
建設ラッシュで変貌する北京

 オリンピックが開催された世界の都市の多くは、開催前と後で、都市の容貌が大きく変わった。高速道路や地下鉄が建設され、都市交通の動脈になった。オリンピックで使われた体育館やスタジアムは、その後、市民のスポーツ活動に使われている。整備された緑地や公園は、市民の憩いの場となった。

 いま、北京で、猛烈な勢いで続けられている建設は、北京五輪が終わった後、やはり北京の街や市民生活を大きく変えることになるだろう。五輪後の北京は、また新しい顔を持つ首都となるに違いない。

メーンスタジアムは「鳥の巣」

昨年8月4日、北京オリンピックのエンブレムの発表儀式が、北京・天壇の祈念殿前で挙行された

 2008年の北京五輪の招致に成功した後、多くの市民は、メーンスタジアムがどんな設計になるのか、いろいろ推測をしたり、話題にしたりしてきた。そして、人々の関心の的だったメーンスタジアムの「中国国家体育場」のプランが決定した。それは、中国とスイスの建築士が共同設計した「鳥の巣」案である。

 2002年11月、中国建築設計研究院は、スイスの建築事務所と協力して設計連合体を設立し、メーンスタジアムの設計コンクールに参加することを決めた。中国側の設計は、李興鋼氏を主設計士とすることが決まった。スイス側から設計に参加したのは、「建築の世界のノーベル賞」と言われるプリッカー賞の2001年受賞者である建築家、ジャック・ヘルツォークとピエール・ド・ムーロンの両氏である。

 2003年5月、激しい競争を経て、「鳥の巣」案は、中国や海外から応募した13点の作品の中を勝ちぬき、賛成8票、反対2票、棄権2票、無効1票という圧倒的多数で、最終的に当選した。

 「鳥の巣」案は、ほかの設計案と比べ、最大限、観衆と選手の間の双方向性を実現している。ヘルツォークとド・ムーロン両氏はともにサッカーのファンで、毎週一回は、サッカーの試合に参加している。これによって二人は、選手と観衆間の気持ちの交流が大切であることを認識し、それをなんとか設計の中にも組み込もうと努力した。彼らは、建築は自然であるべきで、わざとらしい形式や大げさな構造、明白な方向性はよくないと考えている。

 だから、彼らの設計した建築は全体が均質的であり、スタンドの形はつり合いがとれ、連続的な環の形をしていて、まるでお碗のような形をしている。スタジアムの中には柱が一本もなく、完全に観衆と選手を中心とにしている。

 こうしたスタジアムでは、人びとの注意力をグラウンドの試合自体に集中させることができる。お碗の形をしたスタンドは、飛び跳ねて応援する観衆とグラウンドの選手たちが気持ちを交流するのに適している。また選手たちの競技能力を、十分発揮させることもできる。

 中国の伝統的文化と完璧に溶けあっているのも「鳥の巣」案のもう一つの特色である。設計者は、五輪のメーンスタジアムは、他の国や地域ではなく、北京の景観にこそ調和する建築でなければならないと考えた。

 外観から見れば、この巨大なスタジアムは、木の枝で編んだ鳥の巣と非常に似ている。赤黄色のお碗の形をしたスタンドは、北京・故宮の黒灰色の城壁内に屹立する赤い壁の雄大な宮殿にそっくりだ。「鳥の巣」を構成する灰色の鋼鉄製ネットの形は、遠い昔の商(殷)代の彩陶文化を再現したもののように見える。またスタジアムの一番下の土台部分には、中国の12支の絵がはっきりと見てとれる。

メーンスタジアムの「鳥の巣」を見る市民たち(撮影・孫鉞)
水泳競技に使われる国家水泳センターの設計案が正式に決まった。「水の立方体」と呼ばれ、総工費は1億ドル前後

 建築の材料の制約から、これまでのスタジアムには強い光の影ができ、ゲームの中継や試合そのものに一定のマイナスの影響をもたらしてきた。しかし「鳥の巣」は、半透明の材料を採用し、これを通って光線が柔らかくなり、光の影がもたらす影響を避けることができる。

 また、開閉できる移動式の屋根も、この「鳥の巣」のもう一つの特色である。それを閉めると、スタジアムは密封された全天候型のグラウンドになる。専門家の話では、「鳥の巣」は完成すれば10万人を収容でき、世界で最大の開閉式屋根を持つスタジアムとなるそうだ。

 この国家体育場のほかにも、オリンピック公園、国家水泳センター、五カ松文化スポーツセンターなど多くの競技場や体育館が建設される。現在までにその大部分の設計が完成するか、あるいはすでに着工されている。

 北京オリンピック組織委員会によると、2008年までに北京には、19の競技場や体育館が新たに建設され、13が増改築されるという。この他、59の練習用の体育館や競技場とその付属施設が改造される。

空と陸の足も便利に

北京の地下鉄建設計画を国際オリンピック委員会の役員に紹介する劉敬民・北京オリンピック組織委員会副主席(中央)

 北京オリンピックの開催が決まった2001年7月13日、国際オリンピック委員会の何振梁副会長は「いま、北京に残されている時間は多くはない」と述べた。確かに、素晴らしいオリンピックを開催するために、北京がしなければならないことはあまりに多い。日増しにひどくなる交通渋滞に対して、北京がいかにしてオリンピック会期中、スムーズな交通を保証するかも、なお解決の待たれる問題である。

 最近、北京の首都空港が新たに拡張されるというニュースが伝えられた。現在使われている2本の滑走路のほかに、さらに3800メートルの新たな滑走路一本を建設するという。

2008年のオリンピックを迎えるために、北京市内では古い街並みの改造が急ピッチで進められている(撮影・馮進)

 北京オリンピック組織委員会の蒋効愚副主席によると、オリンピック期間中、首都空港はピーク時の旅客量は延べ556万人に達すると専門家が予測しているという。この数字は、2015年のピーク時の一カ月の旅客数に近い。現在の首都空港では、その負担に耐えられない。このため北京市は専門家や大衆の意見を聞いて、首都空港の拡張を決定した。

 拡張工事は、滑走路のほか、建築面積35万平方メートルの空港ビルと、それに直結する三本の高速道路と一本の高速鉄道の建設が含まれている。すべての工事は2004年3月に着工され、2007年に竣工する予定だ。

 拡張後の首都空港は、年間の旅客量が延べ6000万人、年間の航空機の発着は50万回となり、北京オリンピックの需要を完全に満足させることができる。

ビルが林立する北京の西三環路付近(撮影・馮進)

 陸上交通の改造も全面的に始まっている。2003年11月1日から、北京の外側を巡る五環路が全線開通した。五環路の外側を巡る六環路も、すでに50%が完成している。

 オリンピックの会場に直結する地下鉄オリンピック支線も、すでに着工された。2008年までに、北京は新たに八路線の地下鉄を建設する。

 バスやトロリーバスは1万8000台になり、バス路線は650になる。その中には、胡同(横町)専門の路線も開設され、バスが胡同の中を走るようになる。

 こうした建設によって2008年の北京は、規模が大きく、速くて便利な、立体的交通網に覆われた都市になるだろう。そのときは、交通渋滞は解消されるかもしれない。