専門家インタビュー
貧困問題は楽観できない
                     文・張春侠
インタビューに答える国務院扶貧弁公室の何平・政策法規局副局長(写真 劉世昭)

 

 

 中国の貧困問題はすでに社会各界の広い関心を呼んでいる。中国全体の貧困状況はどうなっているのか、中西部地区の貧困の主要な原因はどこにあるのか、政府はどうやって貧困を解決しようとしているのか――国務院(政府)の中に置かれた「扶貧弁公室」の政策法規局を訪ね、何平副局長から話を聞いた。

貧困人口は8600万


 ――中国の「貧困人口」とは、どのように定義されるのでしょうか。


 何平副局長(以下敬称略) 我が国の貧困の基準は「絶対貧困基準」と収入の低い「相対的貧困基準」の二種類に分けられています。この基準に照らしてみると、我が国の貧困人口は二つにわけられます。

 

 その一つは、いまだに「温飽問題」(最低限の生活水準)を解決できていない絶対貧困人口で、具体的には1人当たり平均の年の純収入が625元以下の人たちです。絶対貧困人口は2820万人います。もう一つは、一人当たり平均の年の純収入が625元から865元の間の人々で、相対的貧困人口です。その数は5800万人います。

 現在、我が国の貧困人口の総数は8600万人以上で、中ぐらいの国の人口に相当する、ということもできます。

 ――こんなに多くの貧困人口は、どのように分布しているのですか。その特徴は何でしょうか。

国の扶貧開発の重点県分布図

 何平 マクロ的に見れば、我が国の貧困人口は主に中西部地区に分布しています。国家統計局の統計によると、2002年に「温飽問題」を解決できていない人口は、東部地区が全体の5・9%前後、中部地区が約32・3%、西部地区が61・8%近くを占めていました。このように、絶対貧困人口は中西部が94・1%を占め、東部と西部の発展がきわめて不均衡なのです。ミクロ的に見れば、現在の貧困人口は相対的に分散しており、主に、多くの広い範囲にわたる貧困村の中に分布しています。

 ――こうした貧困人口を抱える区や県は、全国にどのくらいありますか。

 何平 貧困人口はほとんどすべての区や県に分布していると言わなければなりません。その数が多いか少ないかの違いがあるだけです。しかし、貧困解決に力を集中するため、国は、592カ所の扶貧開発重点県(貧困県)を選定しました。各省も、現地の実際状況に基づいて独自に、重点扶貧村(貧困村)を決めました。その総数は14万8000にのぼります。ここが当面の、扶貧開発の主戦場になっています。

 ――中西部地区が貧しい原因はどこにあるのでしょうか。

 

江西省修水県は、22万4000人が貧困状態のある。彼らは大部分、山深い地区に住んでいるが、「温飽問題」を解決するため、県は国の支援を受け、山地の住民を移住させている。

何平 貧困の原因は多方面にわたりますが、その中でもっとも大きいのは、自然条件の差と地域格差にあります。中西部の貧困人口は、大多数が自然条件の劣悪な、生態環境の脆弱な、交通の不便な僻地に住んでいますから、大自然の制約を受けることがきわめて大きいのです。

 西部を例にして言えば、大雑把に言って、西南部は耕地が不足しています。またカルスト地形が多く、耕地として利用できる面積は1人当たり2分から3分(1分は0・67アール)に過ぎません。

 西北地区は水が足りません。甘粛、新疆、寧夏などは、土地の面積はきわめて広いものの、年間降雨量は数十ミリにすぎず、一部の地区の砂漠化は、非常に深刻になっています。

全国各地に扶貧のための援助物資の受け付け所が設けられている。ぺきんしでは、集められた援助物資がトラックに積み込まれて、貧困地区に運ばれた(写真 興文)

 第二の原因は、市場経済の影響です。1997年以後、我が国の農産物や農業副産物の需給関係に根本的な変化が起こりました。全体的に見れば、需給のバランスがとれ、豊作の年には余剰が出るという状況です。かつては食糧や野菜などの農産物や農業副産物、とりわけほとんどの農産物はみな供給が需要に追いつかなかったのですが、今は供給過剰の状態が生まれています。こうした市場の構造の変化が、土地からの収入を主としている貧困農民の収入増加に大きな影響を与えているのです。

 さらに、中国の経済体制が不断に改善されていく中で、一部の政策も、貧困地区の農民の収入増加に一定のマイナスの影響をもたらしていることです。ある種の政策は、大局的、長期的に見れば正しいものでも、短期的、あるいは局部的には、陣痛をともなうことがあります。自然林の保護や森林伐採の禁止のような政策は、長期的には国や国民を利するけれども、現在、森林や木材で生活してきた一部の農民の収入増加という観点からすれば確かに、非常に不利なのです。かつては比較的豊かな地区や収入の多かった農民が、経済転換を迅速に実現することができず、その他の収入増加の道を探し出すことができずに、貧乏な状態に戻ってしまうという現象もときには起こっているのです。

任重く 道遠し

 ――こうした貧困の解決のために、国はどのような具体的措置をとっていますか。

社会各界の人々は、貧困地区救済のため、進んでお金を寄付している。

 何平 貧困をもたらす原因が多様化しているのに対応し、我が国政府は一連の扶貧の政策と措置を制定しました。まず、何とかして扶貧のための資金投入を増やすことにしたのです。2001年に中央財政から扶貧専門に支出した資金は百億元でしたが、2002年には5億元増加し、2003年にはさらに8億元増えました。この資金は主に、貧困地区の基本的な生産と生活条件の改善に使われました。

 そればかりでなく、中央は各級の地方政府に対し、とりわけ省や自治区、直轄市の政府に対しては、扶貧の資金を大いに投下するよう求めています。各部門は、建設項目や資金面で、貧困地区に対し、教育面や衛生面などに傾斜配分するよう求めています。

 次に、市場経済の需要に応じて、貧困地区が特色ある農業を発展させるよう支援しています。各種の果樹園芸や養殖業は貧困人口の主な収入源です。貧困地区は無公害農業を発展させるうえで、独特の優位性を持ってもいます。現在の問題は、マーケットの需要に基づき、近代的な科学技術によって、経済構造の調整を実現し、その地方の特色をもつ地域の主力産業を育成することです。

 この数年、われわれは、貧困人口を直接助けるとともに、牽引力のある企業を積極的に支援し、農民に農産物を販売するルートを提供してきました。内蒙古では、規模の大きな伊利集団が、大きな乳製品産業チェーンを造り、酪農農家は直接、牛乳を売るルートができました。

 ――扶貧の仕事では、社会各界の参加がますます大きな力となっているように感じますが……

中央からの扶貧資金の投入額(銀行貸付を含む)の変化

 何平 これは、中国のもっとも特色のある一つの扶貧の方式です。中西部の農民の貧困問題を解決するために、われわれは広く社会各界を動員して、扶貧のための開発に参加するよう求めています。

 現在の状況は、だいたい三つに分けられます。その一つは、各級の党・政府の機関や大型の企業・事業体が貧困地区に対して「一対一」の援助を行い、それを主要な指導幹部が率先して行うことです。現在、各省の主要な指導幹部は、みな、貧困村と直接関係を持っています。多くの単位(機関)は、幹部の仕事ぶりを審査したり、幹部を任用したりする際に、扶貧への取り組み状況を審査や任用の基準にしています。

 もう一つは、東部と西部の協力です。1996年から、国は東部沿海のかなり発達した省や直轄市が西部の貧しい省や自治区を助けるように定め、地域の協力を通じて「先に豊かになったものが後から豊かになるものを助ける」という局面を作り出しています。

 第三に、民間の扶貧活動を大いに展開し、社会の各界を動員して募金や援助を行っています。臨時の大型の扶貧の募金活動以外に、全国の主要大中都市に多くの常設の募金ステーションが設立され、援助活動が日常的に行われています。

 ――現在、扶貧の仕事はどこに重点が置かれていますか。また困難はどこにありますか。

陜西省では貧困地区を援助するため、「知力をつけて貧困を抜け出す」計画が始まった。青年たちに、職業教育をしている。写真は、地方訛りの学生に普通語を教えているところ

 何平 中西部の少数民族地区や辺境地区や特に貧しい貧困地区を助けて、できるだけ早く「温飽問題」を解決するのが、当面の扶貧の仕事にとって重点中の重点であり、同時に難問中の難問です。この中でも、人口の比較的少ない民族の扶貧と開発の問題は、大きな難問です。

 人口の比較的少ない民族とは、主として人口が10万人以下の民族を指しており、全国に全部で22あります。その総人口は60万人ほどです。こうした少数民族は、歴史的、社会的、地理的な原因で、生活は非常に苦しいのです。しかし、彼らが貧困から脱することは、その民族の繁栄を意味しているので、その意義は非常に大きいのです。

 現在、われわれはすでに、少数民族の貧困脱出を助ける計画を制定しました。それは短期間に、できる限り彼らの「温飽問題」を基本的に解決するようつとめるというものです。しかし、言葉や生活習慣などの原因で、そのプロセスは大きな困難に遭っています。

 ――扶貧の仕事の中で、住民の移転の問題がもっともやっかいな問題のようにみえますが……

長春市の「扶貧スーパー」は、扶貧事業の一つである。ここでは、貧しい人々が市価より安く、または無償で品物をかうことができる。

 何平 その通りです。生活の苦しい地区の住民が移転する問題は解決がなかなか難しいのです。1996年のある調査統計では全国で移転する必要のある住民は全部で500万人以上いました。最近の2年間で、われわれが行った統計では、その数字1000万人近くに達しています。それは主に自然災害や砂漠化、「退耕還林」(耕地を林に戻す)などが原因ですが、これによって本来、生活することができた地区が、もはや生活する条件がなくなってしまったのです。

 こうしたところに住む人々の問題を解決するには、非常に難しく、経済的問題ばかりでなく、子どもの入学問題や土地の調整、生活習慣などの多方面の問題まで考えなければなりません。

 この数年、多くの人々が移転しましたが、その後、その土地の生活習慣や耕作のやり方に適応できず、ひどい場合は現地の住民と融和することができず、ついに元住んでいた土地に戻ってしまうケースもありました。

 のちに、一部の地方では、漸進方式を採用しています。それはまず、一家の中で教育程度の高い者を出稼ぎに行かせ、そこで定住させ、生活が安定した後に家人を迎えるという方式です。このようにすれば、移転した住民が、新しい居住地で長期的に暮らしてゆくことができるのです。

 ――貧困問題に対して、国の長期的な計画はどのようなものでしょうか。

中国農村の貧困人口(「温飽問題」未解決の人口)の変化

 何平 2001年に国は、『中国農村扶貧開発要綱』を打ち出しました。これは今後10年の扶貧活動を指導する全体的計画です。この『要綱』は、中、長期の扶貧の目標を提起しました。それは、10年間に、貧困農民の「温飽問題」を解決し、さらに一歩進んで収入を増やし、貧困地区の文化、教育、衛生、社会事業の進歩を促進し、「小康」(まずまずの生活)を実現するための条件を作り出すことです。

 この目標と各地の実際とを結び付け、貧困村を基本単位とする扶貧計画が制定されました。現在、全国の14万8000の村で、すでに計画の制定が終わり、第一陣として5万3000の村がすでにそれを実施し始めました。しかし、この計画が全部実施され、予定の目標を達成したとしても、貧しい人々の生活水準は依然として低く、彼らが豊かになることを助けるのは、一朝一夕にできることではありません。長期にわたるたゆまぬ努力が必要なのです。