13億の生活革命(30)
思いのままに美を追求

                             侯若虹=文 馮進=写真

化粧に対する意識の変化

 陳竹さん(21歳)の部屋は狭く、ほとんどが勉強机で占められている。その勉強机の半分には本が、もう半分には化粧品が置いてある。「これは私の勉強机でもあり、化粧台でもあるのです」

 陳さんは現在、大学4年生。中国では一般的に学生は化粧をしないものと思われているが、陳さんは出かける前に必ず薄化粧をする。就職活動が目前に差し迫っているからだ。就職活動や面接試験の際は、自分の身なりをきちんと整えなくてはならない。これは他人に好印象を与えるだけでなく、他人を尊重することでもあると考えている。しかし実は、もう一つ大きな理由がある。数年前に知り合った男性と交際を始めたのだ。「彼のために自分をきれいに装いたいの」。こちらがホンネのようだ。

 中国人の生活の中で、化粧をすることはすでに普通のこととなった。年齢や職業が異なれば、化粧の好みや要求も違う。

 陳さんのような若い女性は、年齢とともに自然と化粧品に接するようになる。陳さんは中学生までは母親が買ってくれた子供用のスキンクリームを使っていた。高校生になると、ニキビができ始めた。その頃、北京市には大型のスーパーマーケットができたばかりで、化粧品の専門カウンターはもっとも興味をひかれた場所だった。一つ一つの商品を自由にじっくりと見ることができ、これまでの店のように、販売員にお願いして棚から持ってきてもらう面倒がない。陳さんはニキビ専用の化粧品を見つけ、家に帰って使ってみた。本当に効果があり、うれしくなった。そしてそのときから、化粧品に関心を持ち始め、買って試してみるようになったのだという。

 陳さん自身はそのときの経験によって化粧品が好きになったと思っているが、彼女の母親に言わせると、子どもの頃から「美」に興味を持ち、他の女の子よりいい匂いですべすべの化粧品をみると喜んでいたようだ。

 好きなことを、試してみたり追求したりすることができる。これは非常に幸せなことだ。この幸せは、その中にいる陳さんにはそう簡単に感じられないかもしれない。

 筆者が陳さんと同じくらいの年だった30年前は、若い人は化粧をしてはならず、化粧をしたいと思うことさえできなかった。質素倹約が称えられた社会で、化粧はブルジョア階級の象徴とみなされ、人々はそう思われるのを恐れていたのだ。店に「化粧品」と呼ばれるものを置いてはいたがとても少なく、ワセリンや油脂性のスキンクリーム、化粧用クリームしかなかった。一般的に油脂性のスキンクリームは円形の小さな鉄の容器に入っていた。ワセリンはハマグリの貝殻を容器にしていたので「ハマグリ油」と呼ばれていた。化粧用クリームは口の広い瓶に入っていて量り売りされ、客は自分で小さな瓶を持ってきて買う。このような化粧用クリームはとてもお買い得だった。

 当時の女性にとって、スキンクリームや化粧用クリームの香りは、それが乾燥を防ぐ効能があるのと同じくらい重要だった。香水を使うなんてことは絶対にありえず、化粧用クリームの香りが自然と体から漂っていれば、「ブルジョア階級の生活をしている」と誤解されることはないからだ。化粧用クリームは、彼女たちにとって、美を追求する唯一の方法だったのである。

「ハマグリ油」から進展

 1978年、改革開放が中国の門戸を大きく開いた。これまで受けていたさまざまな制約も少しずつなくなっていった。

 81年、北京市の友誼商店に、資生堂の化粧品や石けん、歯磨き剤などを専門的に販売する、オシャレなカウンターができた。これは外国の化粧品が中国に進出する始まりとなり、このときから、市場には国産は言うまでもなく、中外合資生産や外国ブランドの化粧品がだんだんと増えてきた。

 「ハマグリ油」や化粧用クリームをずっと使ってきた中国人の化粧品に対する認識は、とても単純なものだった。化粧とは眉を描き、頬紅や口紅を塗ることで、化粧用クリームのようなスキンケア用品は、肌を乾燥させないようにするだけだと思っていた。そこで、新しく出てきたリンクルケア(しわ予防)、保湿、美白といった言葉は、新鮮で魅力的だった。今まで見たことがないファンデーションやアイシャドー、マスカラそして色とりどりの口紅は、若い女性を虜にした。

 市場にたくさんの化粧品が出回るようになっても、1980年代の女性は化粧品に大枚を払うことにはまだ抵抗があった。倹約という観念だけではなく、当時の生活レベルにはやはり限度があったのだ。化粧品を買うときは、まず新製品に注目し、価格を調べる。価格が適当だったら、新しい効能につられて買う。もし高いと思ったら、どんなに新しい効能があっても買わなかった。

 1990年代初期までは、都市住民の平均月収は約500元で、スキンケア用品の価格は5、6元から30元前後だった。そして、90年代以降、化粧品市場は急速に発展する。改革開放の初期、制約がなくなったばかりの頃は、美を追求する素朴な願望がよみがえっただけだった。しかし市場経済の実施から数年後、思想がかなり解放されたため、美や化粧品への関心は高まった。

 開放された社会では、きちんとした振る舞いと美しい姿かたちを重視する人がますます増えてきた。このことは、自分の教養や素質を示すばかりでなく、自分の中でも精力ややる気がみなぎり、物事を行うときのよい促進作用となる。経済状況も大きく改善されたので、美の追求にお金を費やすことができるようになった。

 化粧品市場にも大きな変化が現れた。単純だったスキンケアが細かく複雑化した。

 ……  (全文は6月5日発行の『人民中国』6月号をご覧下さい。)