日本に残る楊貴妃伝説
日本の山口県長門市油谷には、こんな伝説が言い伝えられている。
中国唐の天宝15年(756年)のある日、一艘の大きな船が油谷の唐渡口に流れ着いた。船には絶世の美女が乗っていたが、長い間の航海でとても憔悴していた。
お付きの者は言った。「この方は唐の皇帝玄宗の寵妃、楊玉環です。安禄山の反乱により唐軍は大敗を喫し、馬嵬坡に至った時、士気が衰えていた将兵たちは、楊貴妃と宰相の楊国忠の処刑を強く要求しました。
楊貴妃をこよなく愛していた玄宗皇帝は、彼女を処刑にすることに耐えられず、危機一髪の所で、腹心の家来に楊貴妃を助けさせ、そして船に乗せ、ここまで逃げてきたのです」。
その話を聞いた地元の人たちは、心を尽くして楊貴妃の面倒を見たが、彼女は幾日も経たないうちにこの世を去った。地元の人びとは、彼女を西の大海原に望む丘の上に埋葬した。
この時から、楊貴妃が日本にたどり着いたという伝説が、油谷に伝わってきた。
長年の望みを託したオペラ
10月19日から21日、東京新宿文化センターで、中国歌劇舞劇院によるグランドオペラ『楊貴妃』が上演され、楊貴妃のロマンあふれる物語が再びよみがえった。
この公演は、中国国務院新聞弁公室とNPO法人世界芸術文化振興協会の共催によるもので、中国国務院新聞弁公室が日本で行っている2005年度「感知中国」活動の一環でもある。
今まで日本では、中国の劇団による楊貴妃を題材とした公演が多く行われてきたが、オペラは今回が初めてである。
音楽、舞踏、美術など、様々な芸術が一体となった伝統的なオペラの創作や公演は容易ではない。またこの『楊貴妃』を日本で上演することは、多くの苦労をともなうものだった。
この劇の芸術総監督である程波氏は、もともと中国歌劇舞劇院のオペラ歌手だった。十数年前、日本にやってきた彼には、すばらしい中国のオペラを、創作、公演したいという長年の望みがあった。
3年前、油谷の楊貴妃伝説が彼の心を打つ。「楊貴妃と玄宗皇帝の愛情物語は、永遠のテーマです。中国四大美人の1人である楊貴妃は、世界でもよく知られています」と言う程波氏は、中国に帰り、『楊貴妃』創作のために、人材を集め、計画を立て始めた。
程波氏の努力によって、オペラ『楊貴妃』には、中国一流の人材が集結した。作曲は金湘、編劇は冀福記、舞台美術は胡暁丹、共に中国を代表する優秀な芸術家たちだ。彼らと俳優たちの努力により、オペラ『楊貴妃』が完成した。
中国歌劇舞劇院副院長の李小祥氏は、「『楊貴妃』の日本公演は、中日双方の努力の結果であり、細部にわたって、中日間の交流と協力を具体的に現している」と、感慨深く語る。
斬新なストーリー
役作りへの思い
交流の掛け橋
…… (全文は1月5日発行の『人民中国』1月号をご覧下さい。)
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