パンダに魅せられた日本の元銀行員
                                       沈暁寧=文・写真


  浅見洋一さんは、札幌市の銀行員だった。パンダに魅せられた彼は、1988年から現在までずっと、北京動物園のパンダたちに寄付金を送り、ボランティアで支援をしてきた。銀行を退職した昨年、3カ月間、北京動物園に住み込んで、ボランティアでパンダの飼育を行った。18年間にも及ぶ浅見さんのパンダに注ぐ情熱は、多くの中国の人々から称賛されている。彼自身もパンダから無限の喜びを得て、このほど帰国した。

酒とタバコの代わりに寄付

すくすくと成長するパンダを見ると、浅見さんはこのうえなく満足する(写真提供・浅見さん)

  1988年、浅見さんは初めて中国に来て、北京動物園を見学した。その時、かわいくて無邪気なパンダに魅せられて、その場をなかなか離れることができなかった。

  そこで、動物園の園長に、もっとパンダに関する情報を知りたいと申し出た。園長との話し合いの中で浅見さんは、パンダ館が資金不足のため、パンダの生活条件は厳しく、施設もほとんどが老朽化し、先進設備の導入は困難だと知った。

  心からパンダが好きな彼は、それをきっかけに、パンダへの資金援助を決めた。当時、浅見さんは、札幌市内の北海道銀行に勤めていたが、毎月の給料の一部をパンダに使うことにしたのだ。「日本のサラリーマンは普通、毎月、タバコと酒にだいたい3、4万円使っています。僕はタバコも吸わないし、酒も飲まないから、その分をパンダに使うだけなのです」と彼は言った。

  パンダは熊のように強く見えるものの、その繁殖力と子の生存率は高くない。生れたばかりの子パンダは、子猫のようにか弱い。このころ、子パンダを取り巻く環境にちょっとした変化が起こったり、母パンダがちょっと不注意だったりすると、子パンダは命を落としてしまうことがある。

  浅見さんは、パンダ館に2台の保育器を寄贈した。温度が一定で衛生的かつ安全な保育器の中で、子パンダは、人間の未熟児のように行き届いた保護を受け、一生のうちの最も危険な時期を乗り切るのだ。

  子パンダが生れたあと、すべてが母パンダから懸命に育ててもらえるわけではない。身体が強く、活発な子パンダは、母パンダからより多くの乳をもらえるが、体質が弱い子パンダは、母パンダから無視されやすい。これはまさに自然界の「優勝劣敗」の生存法則なのである。

  しかし動物園では、係りの人が人工飼育という方法で、弱い個体をも特別に保護している。残念ながら当時の中国には、まだパンダ専用の乳を作る技術はなく、栄養物質を添加した牛乳はパンダの口に合わなかった。このため浅見さんは、日本の各地を探し回った結果、やっと、上野動物園とある牛乳メーカーとが10年の研究によってパンダ専用の粉ミルクを生産したことを聞きつけた。そこで彼は、わざわざ東京に出かけて行って、一缶5000円もする粉ミルクを買い求め、中国を訪れるたびに何缶かを持って来た。2005年には、浅見さんは、荷物のなかに4缶の粉ミルクと1台の電子体重計を入れて、北京にやって来た。

北京動物園に寄贈した保育器の前に立つ浅見さん

  パンダは姿かたちがかわいいので人に愛されるが、本来は大型の猛獣である。したがって、大きくなったパンダを研究するには、さまざまな困難がある。パンダの体温を測ることさえ、大変な仕事なのだ。

  1998年、浅見さんは、銃を撃つようなやり方で計る体温測定器があり、簡単に大型動物に使えることを聞きつけた。そこで、日本のすべての動物園に問い合わせ、この体温測定器を探してほしいと頼んだ。

  ところが、返ってきた答えは「まだ配備していない」というものだった。だが、浅見さんは断念しなかった。彼は、それに関連する新聞や書籍を調べ、数え切れないほどの電話をかけた。そしてついに米国にいる友人から、嬉しいニュースがあった。

  そこで友人に頼んで、米国で資料を収集し、それを購入すると連絡する一方で、30万円を為替で送金した。努力のすえ、彼はついに、この最先端の動物用体温測定器を手に入れた。そしてこの貴重な体温測定器を北京動物園に贈った。こうしてパンダなど大型動物の体温を測定するという難問が解決された。

  この18年間、浅見さんはどれほどのお金や物を寄贈したか覚えていないが、彼のパンダへの思いはますます深くなってきたと、彼自身感じている。北京に来てパンダを訪ねるたびに、彼は自宅へ帰って子どもと会うような気持ちになるのだ。

パンダの名前に娘の一字

パンダ館の陳列窓を拭く浅見さん

  浅見さんは毎年、休暇を使って北京のパンダを見に来た。数日間という短い期間だが、彼にとっては最も楽しい日々だった。話かけたり、なでたり、餌を与えたりして、パンダと遊びながら写真を撮った。

  浅見さんの呼び声を聞くと、パンダは頭を振り振り駆け寄ってきて、彼の足を抱きついたり、食べ物をねだったり、愛嬌をふりまく。パンダが死んだときには、浅見さんはしばらく、悲しい日を送る。パンダの子どもが生れたと聞くと、急いで北京へ来て、抱きたいと思うのだ。

  1998年9月、北京動物園で一頭のパンダが誕生した。浅見さんは奥さんとお嬢さんを連れてわざわざパンダを見に来た。子パンダに名前を付けるとき、動物園側は、浅見さん一家の熱心な援助に感謝の意を表すため、「京恵」という名を付けた。「京」は北京の意味で、「恵」は、浅見さんの娘である里恵子さんの「恵」の一字を取った。これには、浅見さんと家族はとても喜んだ。

住み込んでパンダの世話を

浅見一家は、北京動物園のパンダ「安ニ」がかわいくてたまらない(写真提供・浅見さん)

  2005年3月、浅見さんは定年退職した。しかし、61歳の彼は、休もうとはしなかった。北京動物園のパンダ館で、ボランティアをするという、頭の下がる決定を下した。そして5月、彼は北京に来た。作業着に着替え、北京動物園始まって以来の、ボランティアの外国人飼育員となった。

  パンダ館では、浅見さんは毎日、朝7時半から10時半まで3時間働いた。パンダの飼育は、技術的に難しい仕事なので、最初は、掃除などの簡単な仕事をするだけだったが、彼はその仕事を非常に綿密に行った。

  観客が来る前に、館内の床を水できれいに洗い流し、ガラスの陳列窓を透明になるまで拭いた。開館後、ガラス窓に指紋の跡を発見するや、ただちにそれを拭き取った。パンダに食べ物を準備するときは、いつも竹やリンゴ、ニンジンを何回も繰り返し洗った。パンダが不潔なものを食べて病気になるのを心配したからだった。

  パンダを飼育する知識が増えるにつれ、浅見さんは直接、パンダに餌をやることができるようになった。このころになると、パンダも彼が好きになり、食物を持ってくる浅見さんを見るなり、おとなしく餌を食べに来るようになった。

北京動物園のリーダーは、浅見さん(中央)に、感謝を込めてプレゼントを贈った

  成獣のパンダはある程度、攻撃性があるのだが、浅見さんがなでたり、命令したりするのを従順に受け入れた。浅見さんはパンダを自分の子どものように見なし、パンダの一頭、一頭の性格や好み、好きな食物が分かった。

  パンダを観察するうちに浅見さんは、パンダが猫のように前足で顔を洗うと、翌日は必ず雨が降るという発見をした。その理由はわからないが、彼は、それが非常におもしろく、不思議だと思った。

  パンダとの接触の中で、浅見さんは、パンダにとってかけがえのない餌の竹の種類と数量は、けっして多くないことを知った。このかわいい動物を絶滅させないために、浅見さんは人類が自然環境を守らなければならないと呼びかけている。

  パンダ館での仕事が終わると浅見さんは、動物園が提供した約10平方メートルの部屋に帰って、『北海道新聞』にパンダについての連載文章を書いたり、テレビを見ながら中国語を勉強したりした。彼の周りには、日本語が話せる人はいなかったから、同僚との交流は簡単な中国語と身ぶり手ぶり、それに筆談に頼るしかなかった。

  浅見さんはパンダ館の李燕青館長に、大変感謝している。彼からパンダについての多くの知識を教わったからだ。李館長も「浅見さんのパンダに寄せる愛情と仕事に対するまじめで緻密な精神は、わたしたちが学ぶに値するものだ。言葉は通じないが、私たちと彼はすでに良き友となった」と話している。

わんぱくなパンダは、子どものように浅見さんにじゃれつく(写真提供・浅見さん)

  浅見さんは心をこめてパンダの面倒を見る一方、インタネットに自分のホームページ(www6. plala.or. jp/yasami)とEメールポスト(asami430@aqua.plala.or.jp)を開設した。これを通じ、もっと多くの人々が、パンダを守る事業に加わってくれるよう呼びかけている。

  浅見さんはパンダのために何回も中国へ来るうちに、次第に中国の文化と中国の人々が好きになった。彼は日本で、中国のパンダ博物館の建設を計画している。その中では、パンダに関する内容を展示するばかりではなく、中国の発展と中国人の生活を具体的に示そうと考えている。

  浅見さんの3カ月間のボランティア活動は、瞬く間に終わりを迎えた。彼の送別会が開かれ、北京動物園のリーダーは彼に、精巧で美しい中国の工芸品を贈った。お酒に弱い浅見さんも、この日はいつもと違って何回も盃を挙げた。

  浅見さんは言った。「『ニウニウ』が来年、子どもを生んだとき、私はきっとまた帰ってきます。パンダへの寄付の仕事は、必ず長く続けてやってゆきます」


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