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映画『プロミス(無極)』  パロディー騒ぎの背景
                                                                                       高原=文


 日本でも公開された『無極』(日本語題『プロミス(無極)』)は、『さらば、わが愛/覇王別姫』で知られる陳凱歌監督の最新作。

 その陳凱歌を「恥知らず」と激怒させた騒ぎが、中国国内で起こった。それを引き起こしたのが、『プロミス』をパロディー化した短編映画『一個饅頭引発的血案』(『一つの饅頭が引き起こした殺人事件』)である。

 ある若者が作った「お笑い」ストーリーは、著作権問題から世代間ギャップという問題にまで拡大し、『プロミス』を巡る物語の結末までには、まだもう少し時間がかかりそうだ。

期待と失望

陳凱歌監督

 2006年の初め、上海に住む31歳の胡戈は、映画館で『プロミス』を見てがっかりした。家に帰る途中、『プロミス』のDVDを買った彼は、パソコンを使って、『プロミス』の中からいくつかの場面を取り出し、並び替え、新たにナレーションを加えて、『一個饅頭引発的血案』を作った。この短編映画は、インターネットに公開されると、あっという間に人気を呼び、「饅頭」という言葉は流行語にさえなった。

 『饅頭殺人事件』は、いったいなぜそんなにうけたのか。

 『プロミス』は、2005年末、中国国内で上映された。ある架空の世界を舞台に、将軍、公爵、王妃、奴隷の間の愛憎が描かれたこの映画は、上演前に大規模な宣伝活動が行われ、詩情あふれる歴史大作として期待が高まった。総制作費は3億元(1元は約15円)を超え、中国、日本、韓国の豪華キャストが集まったことで、昨今、映画人口が減る中、多くの観客が映画館に足を運び、国内の興行収入は約5000万元に上った。

 しかし、期待が大きければ大きいほど、失望も大きい。『プロミス』を見た多くの観客は、この映画に不満を感じた。特に、ニコラス・ツェ演じる公爵の無歓が王妃を苦しめたのは、子供のとき彼女が自分の饅頭を取ったからだというエンディングを、多くの人は理解できなかった。

価値観の違い?

 『饅頭殺人事件』は、『プロミス』の中の取り留めのない細部を取り上げ、ニュース報道の形で、一つの饅頭が引き起こした俗っぽい刑事事件に仕立てた。このパロディー化した『饅頭殺人事件』は、『プロミス』とあまりにも対照的だったため、意外なおもしろさが生まれた。

 多くの人が『饅頭殺人事件』を見たのは、面白いもの見たさで、「笑って終わり」だった。しかし、『饅頭殺人事件』がしだいに人々の話題から消えようとしていたとき、陳凱歌は、その作者である胡戈を告訴し、「恥知らずだ」と激怒した。

ニュースキャスターが、1つの殺人事件を語るという形で、話は進んでいく

 陳凱歌のこの言葉は、社会に論争を引き起こすことになった。法律の専門家たちは、このようなパロディー化が著作権違反に当たるかどうか議論する一方、多くの映画評論家や一般の人たちは、陳凱歌がそこまで激しい反応をする必要があったのかと疑問に感じた。

 復旦大学社会学科の于海教授は、この訴えの根源は、陳凱歌と胡戈の世代間のギャップが原因で、文化に対する興味や価値観の違いが、このような結果を生んだのではないかと考えている。

 確かに、『饅頭殺人事件』のような短編は、3、4年前からインターネットで見られた。例えば、2002年の『分家在10月』(十月の分家)は、旧ソ連の映画『1918年のレーニン』を素材に、中央テレビ局評論部を2分する論争を描いた。また、某電信会社のサービスの悪さを風刺した『網絡驚魂』(ショックだった電信会社のサービス)は、多くの古典映画の一部を引用して作られた。

 これらの作品は、往々にして若者たちの中だけで楽しまれ、原作に対しては何の悪意もない。しかし、自分の作品に対して真剣で、幅広い叙事や歴史、伝統などを追求してきた陳凱歌のような映画人の立場から考えれば、笑いを取るだけの『饅頭殺人事件』に憤慨したのも理解できる。




 
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