「周桜」に息づく中日の友情
                                                                          王浩=文・写真

周恩来総理を偲ぶ桜

今年「周桜」は31年を迎えた

 東京都八王寺の創価大学には、「周桜」と呼ばれる桜がある。これは、故周恩来総理を記念するために植えられたものである。
 
 1960年代、中国と日本の間にはまだ正式な国交がなく、周恩来総理は、両国関係の正常化のために努力を惜しまなかった。
 
 中日国交回復後の1974年12月5日の夜、周総理は病気を押して、2度目の訪中をしていた池田大作氏と会見した。

 会談の中で周総理は、「50年前、桜が満開のとき私は日本を離れました」と昔を振り返った。それに対して池田氏は、「桜が満開のとき、かつて住んでいらっしゃった所を再びお訪ねください」と言うと、周総理はこう答えた。「そうありたいのですが、おそらく実現は難しいでしょう」

「周桜」の下で書道を披露する、川尻恵美さんと阿納敦さん

  会談は30分ほどの短いものだったが、周総理の中日友好に対する熱意は、池田大作氏にとって一生忘れることのできないものになった。当時は、中日両国が国交を回復したばかりで、人々はどのように両国間の交流を進めていけばよいか分からなかった。

 中日両国の努力で、1975年、中国で最初の国費留学生6人が創価大学に留学した。池田氏は周総理を偲ぶ気持ちと中日友好の象徴として、中国の留学生たちに桜の植樹と、その桜に「周桜」と名づけることを提案した。

満開の桜のキャンパス

 1976年1月、周総理は亡くなった。そして創価大学の「周桜」は、周総理を永遠に偲ぶ象徴になった。
 
 1979年4月7日、周総理の生前の願いを実現するため、周総理の夫人、ケ穎超さんが日本を訪問した。池田氏はその訪問にあわせて、「周恩来桜」「ケ穎超桜」を植え、それらを「周夫婦桜」と名づけた。今でも「周桜」と「周夫婦桜」は、創価大学のキャンパスで咲き続けている。

30年来の思い

「周桜会」の会場で琴を演奏する創価大学の学生

 創価大学の学生は、周総理と中日友好を記念するために、1978年から毎年「周桜会」(観桜会)を行っている。今年も、桜の満開を迎えた4月、同会が開催された。
 
 中国新世紀管弦楽団の演奏で、創価大学銀嶺合唱団による、日本語と中国語の『桜の縁』が合唱され、学生たちが計画した周恩来の生涯と、中日関係史の展示が行われた。そのパネルの前では、多くの人が熱心に見入っていた。
 
 解説をしていた創価大学3年生の南保明子さんは、「周恩来総理の、民族の解放や国家の再建に力を尽くす献身的な精神は、私たち若者にとって、とても勉強するに値します。解説係として、多くの同級生や友だちに、これらのことを理解してもらいたいと思っています」と言う。

周恩来の話を同級生にする学生

 今年の「周桜会」では、当時、自ら桜を植えた留学生のうちの、李東萍さんと騰安軍さんも姿を見せた。2人は現在、中国駐日本大使館の政治処と領事部で働いている。
 
 31年は瞬く間に過ぎ、当時の若木はすでに大きく生長していた。意欲に満ち溢れていた留学生は外交官に成長し、中国の外交分野で活躍している。
 
 「周桜」の下で李東萍さんは感慨深げに語る。「30年が過ぎ、中日友好のために努力してゆく誓いは、ひとときも忘れたことがありません」


創立35年を迎え、さらに大きく飛躍

創価大学学長 若江正三氏

 1971年の創立以来、本学は欧米をはじめアジアやアフリカなど42カ国・地域の94大学と学術交流協定を締結してきております。特に、北京大学や清華大学、武漢大学など中国の大学との教員や学生の充実した研究・教育の交流は各方面から大きな評価をいただいており、これからも一層の力を注いでまいります。
 
 本年3月には新たな交流拠点として「北京事務所」を開設いたしました。またこの4月には学生のクラブである中国研究会の主催で28回目の「観桜会」が盛大に開催されました。満開の桜のもと、約千人の参加者と共に創立者池田大作先生と周恩来総理が築かれた「日中友好の金の橋」の歴史と精神を確認、継承することができ、これほどの喜びはありません。



 
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