特集2
修学旅行で日本に行く
 

中国では、修学旅行はまだそれほど一般的ではない。だが、経済的に豊かになった一部の地域では、海外への修学旅行が始まっている。

改革・開放後、最初に経済特区となった広東省深セン市では、2003年から、チャーター機による日本への修学旅行が始まった。その実態を見ようと、今年2月、深セン市の4つの中学校で組織された「深セン赴日修学旅行団」に同行し、5日間、九州各地を回った。

ほとんど知らない日本

この修学旅行に参加したのは、深セン外国語学校と前海中学、学府中学、南頭中学の百20人の中学生と引率の教師である。全員が参加する日本の修学旅行とは違い、各中学校の希望者のみが冬休みを利用して参加する。費用は1人6800元(約10万円)。

参加を希望した中学生のほとんどは比較的豊かな家庭の出身だ。一部の親が公務員である以外は、ほとんどの親が商売をしている。貴金属店を経営している人もいれば、レストランやホテルの経営者もいる。

深セン外国語学校の中学2年生の張フウ銘くんの両親は公務員だ。出発する前に、両親はいろいろな旅行用品を整え、小遣いとして3万円を渡し、くれぐれも安全に注意するようにと言った。ほかの中学生たちも、だいたい同じくらいの小遣いをもらったようだ。

張くんは家族と離れて旅行するのは初めてだ。空港へ向かうバスの中で、緊張と興奮を隠せない。「日本のことをどれぐらい知っているの」とたずねると、寡黙な彼はしばらく考えたすえ、「日本の寿司は美味しい。深センには日本料理屋が何軒もあります」と言った。張くんの隣に座っていた黄嘉偉くんは「僕は日本のロックと宮崎駿のアニメが好きなんです」と口を挟んだ。

しかし、子どもたちは日本についての予備知識はあまりなかった。日本料理や和服、アニメぐらいしか知らない子どもが多い。

修学旅行生を乗せた中国南方航空のチャーター機は、予定より少し遅れて九州の熊本空港に到着した。夜のとばりはもうすっかり降りていた。空港の外では、熊本観光推進協議会と熊本県観光連盟の人たちが「熊本ホァン迎ニン 祝ニン来熊本愉快!(熊本へようこそ。熊本を楽しんでください)」と中国語で書かれた横断幕を掲げて待っていた。

一行は、空港からバスで佐賀県へ。その夜は佐賀の竜登園温泉ホテルに泊まった。ホテルには温泉の大浴場があったが、温泉に慣れていない子どもたちが多く、温泉に入った子どもは少なかった。

中学生同士で交流する

翌日の朝、ホテルから佐賀県千代田町の千代田中学校へ向かった。バスが学校に着いたとき、千代田中学校の先生と生徒たちが全員、雨の中に立って待っていて、歓迎の声が湧きあがった。

中日両国の中学生の交流活動は、学校の体育館で行われた。日本の習慣で、体育館に入る際、靴を脱がなければならない。この日は寒く、体育館の床は冷え切っていた。亜熱帯に位置する深センから来た子どもたちは、なかなか適応できない。中には震えていた子もいた。しかし、みんな黙って我慢していた。

しかし、日本の子どもたちは寒さを恐れなかった。そのことが中国の子どもたちに深い印象を与えた。

千代田中学校の男女の生徒たちは剣道の模範演技をしたが、深センの生徒たちは、彼らの苦闘し、向上する精神に感銘を受けたようだ。深センの生徒たちは京劇の隈取や歌の一節を披露し、大きな拍手を受けた。

そのあと中日両国の生徒たちは、国語、数学、英語、美術の四組に分かれ、いっしょに授業を受けた。美術の授業をのぞくと、中日双方の生徒が一組になって、手芸品をいっしょに作っていた。深セン外国語学校の黄婉瑩さんと日本の鶴麻衣子さんはいっしょに、植木鉢の中にチューリップの造花を作った。植木鉢の外側には「友好」を示す英語の頭文字「F」の字を貼りつけた。

協力して一つの作品を完成する。それを通じて、子どもたちの心はしっかりと結ばれた。黄さんは中国から持ってきたお土産を鶴麻衣子さんに贈った。言葉は通じなくとも、生徒たちは兄弟や姉妹のように親しくなった。教室いっぱいに、笑いと歓声が溢れた。

九州の自然を満喫する

増えるチャーター便

…… (全文は6月5日発行の『人民中国』6月号をご覧下さい。)