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オリンピック文化祭開催
    
  第4回「北京2008」オリンピック文化祭が6月23日〜7月15日、北京で開催された。「文明を体験、オリンピックをともに享受」をテーマに、大衆スポーツ、映画上映、展覧会など28のイベントが行われた。

  6月24日にはイベントの一つである「朝の体操」が居庸関長城で始まった。日本からやってきた太極拳友好協会の太極拳愛好者100人余りは、北京市民と一緒に24式太極拳や太極扇をした。また、フィンランドの友人は北京の若者と一緒に登山体操を披露した。 (写真・馮進)

川畠成道さん 北京で音楽交流

 視覚障害を持つ世界的に有名な日本人バイオリニスト、川畠成道さんが6月27日、北京市盲人民間器楽団の団員たちと音楽交流を行い、来場した障害者たちのためにバイオリンを演奏した。民間器楽団も揚琴、筝、二胡(胡弓の一種)など中国の伝統楽器を用いて日本古謡『さくら』を演奏。会場の友好ムードが高まった。

 川畠さんは、28日にはチャリティーコンサートを開催し、集まったお金を、楽器や設備の購入に使ってほしいと、すべて北京市障害者芸術団に寄付した。

世界経済フォーラム北京事務所を開設

 世界経済フォーラム(WEF)の北京事務所が6月13日、正式に開設された。

 1971年に設立されたWEFは、スイスのジュネーブに本部を置く。「非政府の国際経済最高クラスのフォーラム」と呼ばれ、国際経済の分野で大きな影響力を持つ。

 WEFがスイス国外に事務所を開設したのは北京が初めて。北京事務所は、WEFを代表して中国政府、企業、その他の関係組織と連絡を取り合い、中国での「世界産業サミット」の開催準備と、世界の成長企業からなるネットワークの発展を促進する。  (『人民日報』)

デジタル出版、市場拡大

 インターネットや通信などの新技術の発展にともない、ネットや携帯電話などのツールを通して電子書籍を読む人が増えている。こうした読書方法の変化により、デジタル出版業には大きな商機が到来している。

 ある統計によると、読書をする人の6割は、ネットを通じて書籍を閲読している。デジタル出版物は、これまでの出版物に比べ、コストが低く、出版効率が良い上に、普及範囲が広いなど、たくさんのメリットを持つ。このため、出版社の多くは、積極的にデジタル出版の分野に参入し、電子書籍を出版して、サイトや携帯電話メーカー、通信キャリアなどと提携を結んでいる。各種の図書館もデジタル資源の購入や構築に力を入れている。  (『人民日報』)

「お見合いビジネス」盛ん

 大・中都市では、様々なお見合いイベントが盛んになっており、大きな経済効果をもたらしている。このため、これを重視する会社が増えた。

 都市の若者は仕事が忙しく交際範囲が狭いため、結婚相手を見つける機会があまりない。そこで、長江デルタ地域の南京、杭州から新疆ウイグル自治区のウルムチにいたるまで、大型のお見合いイベントが、手軽ですばやく相手を見つける方法となっている。

 このようなイベントは参加費だけでなく、参加した男女が一緒に楽しむゲームでも料金を取る。また、お見合いをテーマとした旅行イベントは観光ビジネスの発展を促進し、お見合いサイトの高いアクセス数は大きな広告収益をあげている。

 お見合い市場は今後、毎年数十億元の商業価値を生み出すことができると予測される。 (新華社)

北京で燃料電池バス走る

 水素を燃料とする燃料電池バスが走る路線が、北京で初めて開通した。運行距離は18.2キロ。このバスの排出物は水だけで、有害な物質は排出されない。

 同市には現在、180万ドルの燃料電池バスが2台ある。2008年までには、燃料電池バスおよび低排出ガスの路線バスを1000台に増やす予定。オリンピック選手を送迎するバスはすべて燃料電池バスを利用する見込みだ。 (『北京青年報』)

企業の省エネ対策市場化が進む

 上海市の企業20社は、省エネ対策について、市の省エネサービスセンターと提携することでそれぞれ合意に達した。企業の省エネ対策が市場化されたのはこれが初めて。

 市の省エネサービスセンターとの提携は次の通り。省エネ技術を改善したいと考える企業は、同センターに自社のエネルギーの使用と管理状況の分析を頼む。双方は省エネ対策の研究、設備の購入、維持や補修を共同で行い、これによって得た利益を分かち合う。

 企業の省エネ対策はこれまで、政府が資金を割り当て、直接関わっていた。しかし市場化により、省エネ対策はより簡素化、規準化されたとともに、その経費の出所は銀行からの貸付であるため、財政負担も大きく軽減された。

 上海はさらに、鉄鋼、建材、化学工業などの産業の省エネ対策についても市場化を進める予定。これにより、毎年、石炭40万5000トン、水1523万7000トンが節約できると予測される。 (『人民日報』)

ボランティアを10万人募集

 北京オリンピック組織委員会は8月から、全世界に向けて五輪ボランティアの募集を始めた。合わせて10万人以上を募集する。

 ボランティアの仕事は・大会準備のサポート・競技のサポート・パラリンピックのサポート・同委員会のサポートの4つの部分に分かれている。

 ボランティアは、育成訓練を受けなければならず、20冊余りの教材を学ぶ。要職に就く5000人は、さらに長時間の集中強化訓練に参加する必要がある。

 同委員会は現在、ボランティアの教材と仕事の手引書について細かい設計に入っている。北京の各大学や関連の訓練機関は、訓練の場所や設備を提供することでこれを支持する。  (『北京晩報』)

水泳センター「水立方」 五輪後は水上娯楽施設に

 国家水泳センター「水立方」の五輪後の活用計画業務が、全面的に始まった。「水立方」のオーナーは今年初め、専門家の評議・調査を受けて、五輪後はここを水上レジャー・トレーニングセンターにすることに決めている。

 「水立方」は五輪後、座席を1万1000席減らして維持コストを下げ、残った6000席で国際的な大会にも対応できるようにする。また、各種の水上レジャー、トレーニング施設を建設し、1000人の収容を可能にする。

 ほかの五輪会場も大会後の活用を考慮し始めた。大学内の会場は学生と付近の住民の体育センターとなり、「近代5種」(射撃、フェンシング、水泳、馬術、陸上)の会場は国家会議センターになる。そのほかの会場も、文芸活動や大型展覧の場所になる予定。  (『経済日報』)

広州で22の古墳発見

 広東省広州市の中山大学の北キャンパスで、古墳が22基発見された。前漢の土造りのものが8基、後漢のレンガ造りのものが3基、三国時代のレンガ造りのものが1基、晋・南朝のレンガ造りのものが10基あった。古墳そのものだけでなく、出土した300個近くの器物や文物も広州地区ではあまり見られないものだった。

 なかでも、晋・南朝時代の古墳10基は、配列に秩序があり、すべて同じ方向を向いていて、そのうえ、同時期の他の古墳と建造方法や構造が基本的に同じだった。専門家によると、これはいくつかの王朝にまたがる大型の家族墓群で、広州の考古学史上、初めての発見だという。

 また、出土品の中には、初めての発見となる青い釉のかかった器もあった。専門家は、これらの出土品は、歴史、芸術、科学的価値の高い貴重な品であり、仏教芸術史の研究にとっても重要な現物資料であると見ている。  (『北京青年報』)

9万の小学校が廃校

 教育部の発表によると、小学生の人数は過去3年間で1300万人近くも減り、小学校9万校が廃校になった。農村地区では、もともと各村に分散していた小学校が次々と廃校になり、児童たちは郷や鎮の寄宿制学校へ移っている。大・中都市でも、児童数が少ない、または教師不足の学校は、力のある学校に統合されている。

 専門家は、学齢人口の減少により、小学校教育の資源が過剰になったことで、「優勝劣敗」が加速していると見ている。その一方、地域間の教育の格差が縮まり、教育のバランスがとれるとも考えている。   (『北京青年報』)

中国進出が目覚しい韓流スター

 中国の映画やテレビドラマに出演する韓国人俳優が増えている。韓国の著名な監督や映画・ドラマ関連会社も、中国市場への進出を始めた。

 中国は13億の観衆と多くの製作スタッフを擁しているため、市場の潜在力は大きく、多くの報酬が見込める。そこで韓流スターは魅力を感じ、中国でさらに人気を得たいと考えている。

 韓国人監督の一部も中国の映画やドラマを撮り始めた。中韓の合作プロジェクトも後を絶たない。MKやLGなど、韓国の映画・ドラマ関連会社も中国市場に進出しており、映画やドラマの製作、配給などに関わっている。 (『文匯報』)

北京798芸術区で現代芸術展を開催

 市の東北に位置し、中国現代芸術の発信地となっている北京798芸術区にある紅星画廊が7月15日〜9月10日、「紅星★紅星★紅星」現代芸術作品展を開催している。戴光郁など9人の現代芸術家が彫刻、油絵、写真、ビデオなど各自の作品を出展。ジャンルは多岐にわたり、視点も独特で、変化する中国社会の現実に対する芸術家たちの思いを反映している。

 10年前の中国では、現代芸術とその芸術家たちはまだ人々に受け入れられていなかった。しかし今では、当時、けなし言葉だった「パフォーマンス」「前衛」「ポストモダン」といった言葉がオシャレなものとなり、ファッション雑誌などにも頻繁に使われている。今回の展示会では、より多くの芸術ファンに中国現代芸術の独特な魅力を味わってもらいたいとしている。

 ある参観者は、「普段、現代芸術作品に触れる機会はあまりありませんので、ずっと得体が知れない奇異なものと思っていました。この展示会で現代芸術に近づくことができ、新鮮に感じました」と感想を述べた。

初の無形文化遺産を発表

 国務院は初の国家級無形文化遺産リストを発表した。中国全土の518の遺産がリストに登録された。

 リストは、民間文学類、民間音楽類、民間舞踊類、伝統芝居類、民間芸能類、雑技と競技類、民間美術類、伝統手工技芸類、伝統医薬類、民俗類という10のジャンルに分かれている。

 世界的に名高い崑曲や京劇、景徳鎮の陶磁器制作、茅台酒の醸造のほか、春節や端午節など中国の伝統祭日、梁山伯と祝英台などの民間伝説、中国医学の診療方法、鍼灸なども登録された。また、あまり知られていない貴州省の地戯(仮面劇の一種、写真参照)のような民間文化遺産もリスト入りした。   (新華社)

現代芸術家の王非 北京で作品展を開催

 スペインのF2画廊主催の「王非作品展」が7月15日〜8月15日、北京で開催された。現代芸術家である王非は、作品を通して、現代水墨芸術家の精神と創作の原状を紹介することに力を注ぎ、ここ数年における、現代水墨と画材の活用の面で得た成果を披露した。

 王非は現代文化の思考に力を入れており、何重もの画仙紙を貼り合わせたり、引き裂いたり、吹き付けたりする手法で、水墨の世界と表現方法を広げ、ポスト工業文明が芸術家にもたらす影響を表した。また、伝統的な筆の線を機械的な線に変えることによって、描かれた人物や物は、よりはっきりとした時代的特色を備えた。

 F2画廊が中国現代水墨芸術家の展示会を開催したのは今回が初めて。今回の展示会は、中国の水墨芸術と西洋芸術の交流の推進に積極的な役目を果たした。

農民に大学教育を

 若い農民たちが大学で1年間講義を受ける「農業産業化人材養成」というプロジェクトが、遼寧省瀋陽市で行われている。学歴や学位をとったり、就職を手配してもらうためではなく、1年間学んだあと、故郷に戻って創業するのが目的。

 18〜35歳の中卒以上の農民なら誰でも同プロジェクトに応募可能で、認可されれば入学できる。学費や住居費、教材費は政府が負担。優秀な農民には創業資金も提供する。これまでに、農業プロジェクトの開発資金として、学生15人に合わせて7万5000元を提供した。

 1年間の課程が終了したあとも、大学側は卒業生のもとに教授を派遣し、日常の指導にあたらせる。   (新華社)

オフィスビルに書房が

 上海市のホワイトカラーが集まるオフィスビルの中に、「都市書房」がひそかに出現している。「都市書房」とは、市の図書館とオフィスビルの所有者が共同で建設した図書サービスステーションで、すでに18カ所ある。

 ある調査によると、上海の40%近くのホワイトカラーは仕事が忙しく、本や新聞を読む時間がない。このため、休憩時間に閲覧できるよう、会社に本や新聞、雑誌を提供して欲しいと希望している。しかしその一方、ホワイトカラーの若者の多くは、オフィスビルを単なる仕事場とみなしており、「文化の荒漠化」も進んでいる。そこで、「都市書房」が現れたのだ。

 「都市書房」の面積は、大きくて180平方メートル、小さくて20平方メートル。文学、伝記、コンピューター、社会科学などさまざまなジャンルの図書が揃っており、多いところは千冊以上ある。閲覧のほか、借り出しも可能。

 各書房の図書利用率は90%以上にのぼる。2、3カ月に一度、図書館が本を送り届け、各書房の間を回している。  (『中国青年報』)



中日の文化交流に尽くした白土吾夫先生を悼む
                                                             人民中国雑誌社社長 于明新

1983年6月、人民中国雑誌社を訪れた白土先生(左から2人目)。左端は当時の編集長の康大川(故人)

 半世紀の長きにわたり、中国と日本の文化交流に尽力されてきた「日本中国文化交流協会」代表理事・専務理事の白土吾夫先生が、去る7月19日、亡くなられました。私はここに、人民中国雑誌社の全社員を代表し、謹んで哀悼の意を表します。

 白土先生は、1956年に「日本中国文化交流協会」の創立に参加して以来、一貫して中日文化交流のため心血を注いで来られました。『人民中国』に対しても常に、特別なご配慮をいただき、1983年の『人民中国』創刊30周年の式典には、「日本中国文化交流協会」の理事長としてご出席いただきました。

 私事で恐縮ですが、私が白土先生に初めてお目にかかったのは1971年のことでした。当時、私は北京大学で日本語を学んでおりましたが、そのとき初めてお会いした日本人が白土先生でした。白土先生を知らなかった私は、日本語で「先生は初めて中国に来られたのですか」と尋ねました。

 すると周囲にいた人が、みな一斉に笑い出しました。「数え切れないくらい来ています」と白土先生は言われました。これが先生との最初の出会いでした。そのときの情景は、今でも鮮やかに、脳裏に刻み込まれています。

 白土先生は、『人民中国』を日本の文化人の間に広めるため努力してくださいました。1997年には、中国外文局代表団の訪日を、白土先生の名で招聘してくださり、日本の文化・芸術界の方々との交流にご尽力いただきました。

 『人民中国』の社員だけでなく、多くの中国人が、白土先生のお世話になりました。私たちは、中日文化交流に果たした先生の不朽の功績を、決して忘れることはないでしょう。

 私たちは、大切な方を失いました。心からお悔やみを申し上げるとともに、先生のご冥福をお祈りいたします。

                                                                       2006年7月20日 北京にて



 
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