13億の生活革命(49)

漁民にとって禁漁は喜? 憂?

侯若虹=文 馮進=写真

舟の上の暮らし

 湖北省出身の楊老三さん(40歳)は十数年にわたり、湖南省北部の洞庭湖で魚を捕って暮らしてきた。家は湖南省岳陽市の漁港の近くに泊まっている舟の上。20艘余りの舟が寄り集まって泊まり、各舟に漁民の家族が住んでいる。舟と舟の間には渡り板が架かっている。

 楊さんが自宅にしている舟は長さ20メートル、幅5メートルほどで、部屋の広さは十数平方メートル。部屋の中では娘さんがテレビを見ていた。テレビの側には大きなスピーカーが2つある。娘さんはカラオケが大好きなのだ。

 舟の中には、木製のベッドやユニット棚、クローゼットそしてウォーターサーバーまですべて揃っている。陸上での暮らしと違うのは、甲板が広々とした露天の客間になっていること。椅子や腰掛が置かれ、近所の人々がやって来ておしゃべりをしたりお茶を飲んだりする。甲板は台所や洗面所にもなる。洗濯や料理をするのはすべて甲板の上だ。

 楊さんは自宅にしているこの舟のほかに、もう一艘、木舟を持っている。漁に使う舟だ。通常、夏は漁をし、冬は商売をする。「近年、魚はあまり捕れなくなりましたが、商売で稼げるようになりました」と楊さんは話す。

 楊さんの言う商売とは、自分で作った塩漬け魚を市場で売ること。自宅の甲板には塩漬け用の大きなかめがある。小さく切った草魚をかめの中に入れ、塩で2、3日漬け込んだあと、日に干す。「半干」の状態になったら出来上がりだ。

 現地の人々は、これを蒸したり油で焼いたり、あるいはしょう油煮込みにして食べる。塩漬けの魚は新鮮なものより長時間保存が可能なので喜ばれている。毎年、旧暦12月の売れゆきが最も良いそうだ。「春節(旧正月)前には買う人が増えます。買う量も多いですよ。一番の稼ぎ時です」

 楊さんの舟の隣の舟の上では、木舟を作っていた。この舟の主人は張斉恩さん(40歳)。やはり湖北省の出身だ。張さんは近くの漁民たちのために木舟を作って生計を立てている。

 舟作りの技術は父親から受け継いだ。腕が確かなため、多くの漁民が張さんに舟を注文する。息子が2人いるが、17歳の長男は張さんについて舟作りを習っている。舟を一艘作ると数百元稼げる。注文は夏に多い。冬、仕事がないときは、市場で魚を売る。

 舟の上で暮らしているのは漁民だけではない。黄小紅さんは舟の上で商店を営んでいる。漁民たちにインスタントラーメンやビスケット、各種の軽食、それに洗剤や石鹸、タオルなど数々の日用品を提供するのだ。舟の半分は飲用水の桶が占拠している。「わが家は岸辺でも、漁の道具を扱う商店を一軒営んでいます。漁民が必要なものはほとんど置いてありますよ」と黄さんは話す。

捕りすぎた水産資源

 洞庭湖は湖南省と湖北省にまたがる中国で二番目に大きい淡水湖で、「八百里洞庭」と称される。古くは「雲夢沢」と呼ばれていた。土砂の堆積と干拓により、現在は東洞庭湖、南洞庭湖、西洞庭湖、大通湖などいくつかの湖に分かれている。岳陽市は面積が最大の東洞庭湖の湖畔にあり、北宋の文学者・范仲淹(989〜1052年)の散文『岳陽楼記』で有名な岳陽楼はここに建っている。

 東洞庭湖は長江に通じている。水域は広く、支流は縦横に入り混じり、池がたくさんある。水産資源も豊かで、中国の「魚と米の郷」として有名だ。楊老三さんによると、漁が最も盛んだったのは1990年代。「あの頃は伝統的な網漁で、1日100〜150キロも魚が捕れました」。当時、漁民の年収は5万元に達していたという。

 湖畔には、灰色の6階建てのアパートが建ち並ぶ。90年代に建設された漁民の住宅だ。ここに住む漁民たちは、以前は舟の上や岸辺の粗末な平屋建てに住んでいたという。現在、漁を引退したお年寄りたちがアパートの階下で、トランプやマージャンに興じたり、おしゃべりをしたりしてのんびりした日々を過ごしている。

 近年、豊富な水産資源と市場経済の煽りにより、他の省の漁民たちも次々と洞庭湖へやってきた。ここ数年の漁のシーズン中、最も多いときで周辺の各省から一万人以上の漁民が洞庭湖へやってきて、漁獲量は年間750万キロに達した。

 漁民の暮らしが日に日に豊かになっていく一方、彼らが依存する漁業環境にも変化が現れ始めた。……

長期的な豊かさを

 ……  (全文は1月5日発行の『人民中国』1月号をご覧下さい。)