特集2
水の中に沈んだ風景
 

 美しくて古い鎮は、鎮全体がまるごと移転することができた。しかし、美しい山や谷、延々と数キロも続く古い桟道は移転することができない。三峡の水位が上がり、多くの有名な景観が永遠に水の底に沈んだ。そしていま、美しい思い出と名残惜しさがわずかに残っている。

キ門

 有名な三峡は瞿塘峡、巫峡、西陵峡からなっている。瞿塘峡は一番短く、8キロしかないが、その雄々しさで有名だ。この瞿塘峡のなかでは、キ門の景色がもっとも素晴らしい。ここは瞿塘峡の代表的な景観であるだけでなく、長江の三峡の中ではとても重要な景観の一つでもある。昔から「キ門の雄々しさは天下第一」と言われてきた。その両岸の山々は険しく、切り立った山の崖はまるで斧で削ったようで、川の流れが急なため、小さい舟は軽々にここを通ろうとはしない。

 三峡の水位の上がることによって、キ門の景観もある程度、影響を受ける。だが、水位の上昇は数十メートルで、千メートル近い山の峰に比べれば、ほとんど無視することができる。景観はほとんど変わらず、ただ両側の山々が低くなっただけだ。そのかわり、流れが急で濁っていた河川の水は澄み、水面は広く、静かになった。今までのキ門の景色と比べれば、少し平板になったが、人々にゆったりとした美しさを感じさせる。

古桟道

 キ門が「高い峡谷の穏やかな湖」になるにつれて、キ門付近の懸崖の磨崖石刻や鳳凰泉、「逆さ吊り和尚(切り立った崖にある、逆さに吊り下げられた和尚のような大きな石)」、古い桟道などの景観も水の中にのみ込まれた。

 瞿塘の古い桟道は、長さ8キロ。瞿塘峡全体を貫いていた。『奉節県志』の記載によれば、それは清の同治年間(1862〜1974年)の末から光緒年間(1875〜1908年)の初めごろに開鑿され、すべて金槌や鏨などの道具によって硬い絶壁を開鑿したものだという。その幅の一番広いところは1.5メートル、一番狭いところは40センチしかない。高さはわずか2〜3メートルである。人がその上を歩くと、左は崖だが、右には手すりはなく、足の下を滔々と流れる大河を見れば、身体が思わずぐらつく。

 だが、昔、地元の官吏は、8人で担ぐ大きな輿に乗ってこの桟道を通い、桟道が水没する前まで、地元の農民たちは天秤棒を担いでここを行き来していた。今は、これらの景色は、永遠に記憶のものでしかなくなった。そこで地元の政府は、後の人々が古い桟道の姿を見られるよう、新しい場所を選んで古い桟道を再建する考えを持っている。

白帝城

 …… (全文は2月5日発行の『人民中国』2月号をご覧下さい。)