【慈覚大師円仁の足跡を尋ねて】 24回フォトエッセイC
阿南・ヴァージニア・史代=文・写真 小池 晴子=訳
黄海を渡る 海州から乳山へ
     
 

 円仁一行は淮河伝いに大海へ向かった。839年旧暦3月、船団は当時の海州港を通過して黄海へと乗り出していった。円仁は845年から847年にかけて、日本へ帰る船便を求めて何度かこの地に戻っている。

 海州は、唐代にあっては重要な港湾都市であったが、現在では近代都市連雲港の一地区に過ぎない。しかし、今でも往時の海州の遺物を多数目にすることができる。(写真@)

写真@:旧都海州城門(江蘇省連雲港)(左) 写真A:童子庵の尼僧(右)

 旧市街で仏教との関わりを探していると、「百子庵」という尼僧院に出くわした。2人の尼僧が非常に好意的で、この地域の聖跡をいくつか教えてくれた。尼僧の一人は天台山国清寺の出という。そここそ、まさに円仁が当初行きたいと渇仰していた場所であった。(写真A)

 後に円仁が海州に滞在したのは、唐の皇帝による仏教弾圧の時期であった。幸い、この漢代からの摩崖仏は生き残った。これは中国でも最古の石刻仏像に入ると考えられている。またここは唐代建造の龍興寺のあった所で、現在は「龍洞庵」の名で知られている。(写真B)

写真B:孔望山の摩崖石刻

 円仁たちの乗った船は、九隻で構成する船団の一部で、黄海の端を横切って山東半島の突端を目指そうというものであった。839年、「3月29日早暁、9隻の船は帆を上げて出発した。午前7時、淮河の河口を出て大海へ乗り出し、まっすぐ北へ向かった」と円仁は記している。(写真C)

 船団は海岸線に沿って航行したが、高波と霧に阻まれて動きがとれず、26日余も費やした。私もまた霧の深い一日、連雲港から海に乗り出してみたが、この航路が危険に満ちていることを、身をもって知った。船頭は、船を出すことすら嫌がった。円仁が、「たびたび住吉大神に加護を祈った」と、書いているのも頷ける。(写真D)

写真C:写真C:連雲港の船舶(左) 写真D:連雲港の船頭(右)

 円仁たちの乗り込んだ船は、途中で胃腸をこわした者が出たため、しばらく接岸しなければならなかった。円仁はこの機会を捕らえて使節団から離脱し、中国に残留しようと一歩を踏み出した。しかし、彼とその弟子たちは地元の巡邏警官に捕らえられ、海州港に停泊していたもとの船に送り返された。ふたたび多くの困難に遭遇しながら船出し、最終的には、山東半島の南側に位置する乳山港で、離れ離れになっていた遣唐使一行と合流したのである。

 乳山港に停泊する船影は、濃霧と雨に包まれておぼろに浮かびあがっていた。それは、円仁自身が見下ろしたであろう風景を彷彿させた。山は女性の乳房に似ているところからこの名がついている。(写真E)

写真E:乳山港(山東省)

 船団がようやく乳山湾に入ったのは旧暦4月25日であった。円仁は「乳山は槍のように高く険しく、峰より六方を指して山麓へ流れ落ちている」と述べている。一行は、風向きの変わるのを待って日本への航海を続けようと、浜辺に天幕を張って留まった。

 乳山に停泊している間に、円仁は、自分と二人の弟子が中国に残留することは可能であろうかと、新羅人通詞に尋ねてみた。答えは「可能である」というものであった。円仁が、帰国する遣唐使節団と別れて中国に留まろうと決意したのは、恐らくこの日、4月29日であったろう。

慈覚大師円仁
 円仁は、838年から847年までの9年間にわたる中国での旅を、『入唐求法巡礼行記』に著した。これは全4巻、漢字7万字からなる世界的名紀行文である。仏教教義を求めて巡礼する日々の詳細を綴った記録は、同時に唐代の生活と文化、とりわけ一般庶民の状況を広く展望している。さらに842年から845年にかけて中国で起きた仏教弾圧の悲劇を目撃している。

 円仁は794年栃木県壬生に生まれ、44歳で中国に渡った。中国では一日平均40キロを踏破し、現在の江蘇、山東、河北、山西、陝西、安徽各省を経巡った。大師について学び、その知識を日本に持ち帰ろうと決意。文化の境界を超えて、あらゆる階層の人々と親しく交わり、人々もまた円仁の学識と誠実さを敬った。

 私たちはその著作を通して、日本仏教界に偉大な影響を与えた人物の不屈の精神に迫ることができる。彼は後に天台宗延暦寺の第三代座主となり、その死後、「慈覚大師」の諡号を授けられた

     


阿南・ヴァージニア・史代

  米国に生まれ、日本国籍取得。10年にわたって円仁の足跡を追跡調査、今日の中国において発見したものを写真に収録した。これらの経験を著書『「円仁日記」再探、唐代の足跡を辿る』(中国国際出版社、2007年)にまとめた。

 

 
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