遼代緑釉貼花浄瓶
高さ24センチ、口径1.3センチ、底径圧·七センチ。1988年、北京市密雲県にある遼代建設の塔下から出土。

 中国東北部の契丹(きつたん)族は九一六年に国を遼と号し、政治·経済の発展とともに勢力をいまの河北省、山西省の北部まで広げ、北京を南京と改名した。

 北京一帯に仏教が入ってきたのは、南北朝時代。隋唐時代に広まり、遼代に最盛期を迎えた。仏教が提唱され、各地に寺や廟を数多く建設。民間の仏事も盛んとなり、村々が資金を集めて寺や塔を建設するのも珍しいことではなかった。

 1988年、北京·密雲県にある遼代の塔の地下宮殿発掘中に、陶磁器、石彫の器皿、銅銭などが大量に出土した。そのなかの一点である緑釉貼花浄瓶は、造形優美で遼代の代表作と言っていい。遼代の陶磁器、仏教文物の研究にとって貴重な資料となるものだ。

 浄瓶は「浄水瓶」「軍持」とも呼ばれて、寺の仏前に置かれた器物である。仏教徒の家で飲み水や手洗い水を入れる瓶としても使われていた。この種の器が作られたのは唐代からで、宋元時代に大量生産されている。

 首から肩、腹部にかけて蓮の花びらや竹の節(ふし)、瓔珞(ようらく)(玉をつないだ飾り)の装飾が施され、器身に掛けられた緑釉は透明で光沢がある。痩身だが均整がとれており、遼代緑釉磁器の逸品である。腹部にある「杜家」の二文字は製磁場の名で、当時すでに専らこのようなものを造る場所があったことを示している。この瓶は信徒が献納したものに違いない。 (写真·李瑋 文·王有泉)

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