遼·花瓣形白瓷托盞
茶器の高さ4.3センチ、口径10.8センチ。茶托の高さ6.6センチ、口径7.6センチ。北京市永定門外彭荘の遼墓から出土。

 「盞(さん)」は古代流行した一種の茶器であり、「盞托(さんたく)」は茶托のことである。茶托の起源については、宋代の程大昌が著した『演繁録』に唐代に始まったと書かれており、また、蜀の宰相崔寧の娘が考案したものとの記載があるが、考古学的に見ると、この説は正確ではない。

 漢代のころに、酒を飲む時には「耳杯」と呼ばれる酒器が使われていたが、この耳杯を四つから六つ載せるための大きな茶托があったのである。以後、耳杯の数は次第に少なくなっていき、東晋時代には一つか二つしか置かなくなった。茶托も傾かないようにいろいろと工夫が凝らされていく。茶托が広く生産されるのは、南朝時代からである。

  80年代に、江西省の吉安市にある南朝墓で青磁の茶托が発見されたが、これは茶托は東晋時代に世に出、南北朝時代に流行していったことを物語っている。

 唐代の茶托の受け口は比較的小さく、縁はそり返って蓮の葉の形をしているものが多い。遼代(916~1125年)は唐文化の影響を強く受け、茶具の製作にはかなり凝った工夫が見られる。この白磁の茶托はその代表だと言っていい。縁は六弁の花となっており、真ん中に高さが3.2センチの受け口がある。生地はきめ細かく、釉色は透明感があって光沢をもち、多少黄色を帯びた造形は優雅な趣を呈している。茶器も同様だ。遼代の磁器製作技術の高さを知ることのできる作品である。

 専門家は造形、生地、釉色の特色を見て、この磁器は定窯の作品ではなく、北京の門頭溝地区にあった竜泉務窯跡から出土した白磁の特徴と似ているところから、同窯が焼成したものだと推測している。 (文 劉秀中 写真 梁剛)

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