遼·鳥形玻璃瓶 |
高さ16センチ。1989年11月、遼寧省朝陽市の北塔で出土。遼寧省文物考古研究所蔵。 |
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中国のガラス製品の出現は、青銅の冶金の発達と密接な関係がある。遅くとも三千年前の西周時代にすでにガラスを製造していた、と断言していいだろう。その物証となるのが、河南省の洛陽、陝西省の宝鶏で同時に出土した大量の青銅器、千個余りのガラス玉にガラス管である。戦国や秦漢時代になると、ガラス製品の数は増加していき、また各地へひろがっていったと考えられるが、それは当時のガラス玉が何度となく発見されているからである。 ガラスについては、外国から伝わったという説と、自ら創造したという異なった考え方がある。化学的分析から明確になったのは、中国の古代のガラスと西洋のものとは成分が違う点だ。 西洋の古代のガラスはナトリウムやカルシウムを含有しているが、中国のものは鉛やバリウムを含んだガラスである。この種のガラスは色彩の鮮明さが特徴。だが、もろいために砕けやすく、温度の変化に適応できないため、食器や比較的大きな器物の製作には向かない。この点を含め、数多くの出土文物から考えて、二種類のガラスが同時に存在していた、と結論づけてもいいのではないだろうか。 近年、珍しいイスラムのガラスの器物が出土しているが、今月ご紹介する文物も十一世紀のイスラムガラスの逸品である。 このガラスの瓶は立ち上がった鳥の形をしており、透明で美しく、金のふたがつき、瓶のなかに緑色の小瓶が見える。イスラムガラスの原料が陸や海を通って中国に運ばれてきたのは、十世紀中ごろから。この原料を使用して、中国の伝統的な器物が作られるようになった。こうしたガラス製品は日本でも発見されている。 初めは独自に開発されたガラス製品も、その発展の段階で、西洋の工芸美術と深い関係を持つようになっていった。この種の関係はまた、日本へと広がっていき、東西を結ぶ文化交流の“ガラス·ロード”が形成されたのである。 (文·河野 写真·王露) |
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