唐·陶牛

高さ40センチ。1987年山西省黎城県で出土。山西省博物館蔵。

 古く、牛車は戦争に必要な食糧や飼料を運ぶために用いられていた。商が夏を滅ぼすことができたのは、軍需物資輸送に牛車を用いたので、広範囲にわたる戦闘で勝利を収められたのである。また、交通手段として利用されていたという記載も、数多くの古籍のなかに出ている。先秦時代、牛車は平地で荷を運ぶ道具としてみられており、もっぱら重量のある物の輸送に使われていた。

 漢代初期、戦乱が平定すると、将相は牛車しか乗らなかった。それは清廉潔白の士であることを示すためである。さらに牛車は歩みに安定性があり、かつ車が高く大きかったため、幕を掛ければ座るのも寝るのも自由であった。魏晋以降、牛車はますます人気を得ていく。朝野貴族の子弟の悠閑安逸な生活とその流行は無縁ではない。牛車は彼らの嗜好にぴったりだったからである。当時、人びとが羨望の眼差しを向けていたのは牛車であり、それに乗ることが流行の最先端であった。考えてみると、多くの貴族が自慢にしたのは駿馬ではなく、血統のいい牛だったというのは面白い話である。

 今月ご紹介する唐代の陶牛は車を引く牛であるが、出土したときには車はすでにくずれてしまっていた。前に突き出した頭と隆起した後ろ首。力を出して車を引く姿を表現したものである。簡略化された造形であってもそこに魂が感じられ、中国古代の交通輸送道具の研究にとって貴重な資料と言っていい。この陶牛は墓主が生前、牛車を愛用していたこと、そして、その牛車を財産のシンボルとしていたことを証明しているのである。(写真·王露 文·芒琉)

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