後漢·銅俑灯

1989年、雲南省個旧市黒馬井村で出土。個旧市薄物館蔵。

 太古の時代、火の出現によって、原始人は食べ物に火を通すようになり、火はまた人類に暖と光をもたらした。そのころは、干し草や松の枝を燃やして照明にしていたのである。

 その後、人びとは油脂を燃やすこと、そして油が尽きなければ火は消えないという理を知るようになる。油脂を縄や物の表面に塗っているが、ここからろうそくの製造が始まっていく。同時に、油脂を容器の中で燃焼させることも会得。これが油灯である。その出現は春秋時代。戦国時代には形も多様化していった。文献の記載、実物の出土が最も多いのは、漢代の油灯だ。その技法はかなり熟成しており、高級なものは造形に迫真力があって実に美しい。芸術作品として高水準にあると言える。

 この銅俑灯の俑の特徴を見ると、インドネシアの土着住民「原始マレー族」とよく似ている。背は低く、裸体で正座する俑の顔は細長い。眼は巨大で、鼻は大きく唇は厚い。ひげは耳際までのび、布で束ねた頭髪の前部が突き出ている。頭と両手で油脂を入れる受け皿を支えているが、その姿はユーモラスだ。

 こうした俑の製造は、前漢時代の海外との交通や貿易の発達と密接な関係があると言える。当時、東西を結ぶ交通としてシルクロードがあったが、そのほかに海上ルートもあり、そのころの番禺(今の広州)は一大貿易都市、国内や外国の商品の集散地であった。また、南海諸国の人びとが貴族や富豪の奴隷として中国に運ばれてきた。この種の俑はそうした人物かも知れない。(写真·王露 文·芒琉)

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