ゴマとスイカ
作者

  奥さんを怖がる男性を「恐妻家」と呼ぶのは日本人の独創である。これを初めて聞いたときには、噴き出してしまった。常々、日本人にはユーモアが欠けていると言われるが、本当は必ずしもそうではないようだ。

  「恐妻家」は、言うまでもなく男性をあざ笑う言い方だ。「彼は奥さんを怖がる人だ」と周囲の人たちはみな知っているとしても、「家」という言葉を使うほど有名ではなかろう。ただし、「恐妻家」という妙な言い方の中に、日本人の性格の特徴をうかがい知ることができる。

  日本人は「家」という言葉で、いろいろな人を呼ぶのが好きだ。作家、宗教家、教育家、冒険家、音楽家、野心家、読書家、愛好家、好事家……、まったく多種多様で、なんでもある。

  こんなことをいうと、中国の古代文化に精通している友人はたぶんこう言って、私に冷や水を浴びせるだろう。「つまらぬことに驚いてはいけないよ。そんな言い方は、我が国にはすでに古代からあった。日本のヤツがこれを盗んで行っただけなんだ」と。

  たしかに、二千年以上も前の春秋戦国時代に、中国には「諸子百家」が現れて、それぞれの説を説いた。しかしこれを真剣に探求してみると、「百」という数にはやや嘘があり、使われた範囲も狭く、漠然としたものだったことがわかる。しかも主として学術・学派に限定して使われた。例えば儒家、法家、道家、兵家、陰陽家、縦横家、等々である。

  中国の「家」の文化を学び、吸収する中で、日本は「出藍の誉れ」の力を示した。「家」が日本に輸入された後、ゆっくりと拡大し、とうとう中国にはかつてなかった「百家争鳴」の情景が現れたのである。そしてそれが、「家」文化の発祥の地である中国に逆輸入されて来たのだ。

  いまわれわれ中国人もよく使うさまざまな「○○家」は、実はみな、日本人の創造の恩恵を受けているのである。もちろん、全部が逆輸入されたわけではない。例えば「恐妻家」は例外である。それはたぶん、中国にもっと絶妙な言い方があったからだろう。「妻管厳」(妻が厳しく管理する)という言葉があり、その発音が「気管炎」(気管支炎)とほぼ同じであることから、「恐妻家」を「気管炎」と言うようになった。

  「家」を付けて互いに呼び合う日本人の習慣から、分類好きの日本人の性格を読みとることができる。実際、「家」と同じような表現方法は、日本語の中に非常に多い。

  例えば  
  「道」――茶道、書道、柔道。  
  「化」――自動化、現代化、空洞化。  
  「式」――西洋式、日本式。  
  「力」――支配力、生産力、想像力。  
  「性」――偶然性、可能性、創造性。  
  「界」――新聞界、出版界、芸術界。  
  「型」――流線型、標準型。  
  「感」――緊張感、優越感。  
  「観」――世界観、人生観、科学観。  
  「線」――生命線、交通線、飢餓線。  
  「論」――方法論、認識論、唯物論。

  実に枚挙にいとまがない。

  ここで筆を休めて、日本人の精緻な頭脳に対し最高の敬意を払っておきたいと思う。確かに元をただせばこうした表現法も、その大部分が西洋の言葉から来たのだが、しかし二つのものをかくもみごとに溶接したのは、日本人の賢さと精緻さのおかげだと言わざるを得ない。そしていま、われわれ中国人が不自由なく自分の考えを表現したり、現代文化を建設したりできるのは、かなりの程度、現代日本語の語彙を輸入したお陰なのである。

  これは確かに日本人の特技である。日本人のように分類と整理に熱を入れ、それをうまくこなす民族は、おそらく世界に二つといないだろう。日本語の中では、分類や整理を意味する語彙が特に発達している。整頓、整備、かたづける、まとめる……。

  日本人は夜遅くまであくせく働くが、相当多くの時間と精力を整理整頓に費やしていて、それは永遠に終わることがない。だから日本人の家の中はいつもきれいで、すべてがきちんとしているのだ。

「小」と「大」

日本では、広告の配置も計画されて、整然と統一されている。東京・浅草の浅草寺商店街で(撮影・劉世昭)

  「物極まれば、必ず反す」という。分類や整理も、それが行き過ぎると副作用が起こる。日本の武術、相撲、書道、絵画、舞踊の世界は、流派が多く、技法は煩雑、しかも決まりは複雑で、性格が大まかな中国人はこうした精緻さになかなか適応できない。不肖生が一九一六年に著した『留東外史』の中に、中国大陸の武術家と日本の武術家が試合をする際の煩わしさが何度も書かれているが、その原因はおそらくここにあるのだろう。

  中国の武術は、その種目にはそんなに多くの区別がなく、試合の規則も比較的簡単である。これにひきかえ日本の武術は、種目がものすごく多く、かつまた厳格でわずらわしい規則があって、半歩たりともその限界を超えてはならない。『留東外史』にはこんな風に描かれている。

  試合に飛び入りし、日本の柔道の達人と腕比べをしようとした中国の武術家、蕭煕寿に対して、日本の審判員はあれこれと規定を作った。「第一、脚を使ってはならない。頭突きをしてはならない。拳で打ってはならない。肘を使ってはならない。手刀を打ってはならない。頭を打つのは禁止。腰を打つのも禁止。腹を打つのも禁止。陰部を打つのも禁止」という具合である。

  試合が始まると果たせるかな、蕭煕寿はいつものように戦ったためあれこれ咎め立てられ、続けざまに「反則」をとられて、たちまち試合場から立ち去らざるを得なくなった。

  こうした描写は、あるいは誇張があるかもしれない。だが、日本の武術の試合規則がどのくらい厳格であるかがわかるだろう。

  日本の相撲も、素人である外国人の目から見れば、たぶんおもしろいレスリングの一種に過ぎず、その中にあれほど多くの含蓄があるとは誰も思わないだろう。裸の超弩級の大男2人が直径4、5メートルの土俵場にうずくまり、相手を土俵の外に出すか、相手を投げ倒せば勝負が決まるというのは、一見、非常に簡単なようで、実は複雑至極なのだ。

  相手を倒す技術だけでも、昔は百手以上あった。それがあまりに煩雑なので40数手に減ったが、なお、押す、引く、寄る、つる、はたく、引っかける、投げるなどに分類されている。組み手も上手、下手、右四つ、左四つなどと、それぞれの動作がみなはっきりと、細かいところまで区別されて説明されている。ニラとニンニクの苗はよく似ているが実は異なるように、決して一緒くたにはしないのである。

  こうした煩わしさが、中国人は往々にして耐えきれない。『留東外史』の中の留学生、黄文漢は、これに対して大所高所から、次のような評価を下している。

  「およそ一つの技や芸は、少し多く習得すれば、自然に流派に分かれるが、実はそれは形式に過ぎない。精神的にどこにどのような区別があると言うのだろうか。見識の低い人がわざわざ奇をてらって、流派を立てるのだ」

  黄文漢のこうした評価は、日本人の性格のある種の弱点を間違いなく突いている。規則や分類にあまりにも拘泥することは、人間の度量を狭くし、かたくなにする。気宇壮大で豪放にはなかなかなれないのだ。先日、漢文に通じた一人の日本の学者と「回旋」について雑談した。

  中国語の「回旋」は、『現代漢語詞典』によると@ぐるぐる回るA進むことも退くこともでき、相談できる、とある。Aは、ことを行うときに弾力性があり、余裕があって、暗黒に向かって猪突猛進はしないという意味である。日本語の「回旋」は「ぐるりと回って元の所に戻ってくること」だ。同じ「回旋」でも中国語と日本語では意味が少し違う。この小さな発見は、実は、中日両国の異なる国民性を説明する価値あるものなのである。

  文化の面から論ずれば、中日の「回旋」のどちらが良いとか悪いとか決めることはできない。それは中日両国の異なる自然風土と文化的伝統から生まれてきたもので、長所もあれば短所もある。日本人の眼から見れば、中国人の最大の特色は、物事を大きくつかんで、小さなことにこだわらない点にある。日本の近代の有名な思想家、和辻哲郎は、『風土』という著作の中で、こういう考えを述べている。

  中国の芸術は、一般にゆったりとした大きさがある。大づかみながらきわめてよく要を得ている。とともに半面において感情内容の空疎を感ぜしめる。繊細なきめの細かさはそこには全然見いだせない。この性格を代表的に示しているのは中国近代の宮殿建築である。それは巨大な規模を持ち、壮大な印象を与えるが、しかし細部はきわめて空疎なもので、ほとんど見るに堪えない。ただ遠見の印象だけが好いのである。

  また和辻哲郎は、中国の仏教経典や『四庫全書』のような図書の編さん上の問題についてもこう指摘している。

  こういう巨大な叢書あるいは集成が古い文献の保存を可能にしたが、整理や取捨選択が足りない。「玉石を分かち、内面的な整理を遂行した体系的な統一ではない。従って外観の秩序整然たるに反し、内容においては雑然たる材料の山積であると言ってよい」

中国・上海の有名な美食街「乍浦路」の夜景。ここの広告はそれぞれ個性を発揮している(撮影・劉世昭)

  そして「文化生態学」の理論を用いてその原因を自然風土に求め、中国の地理的空間が巨大で単調であることが、中国人のゆったりしてのろく、すべてどうでもよい、という性格を造りだしたと考えた。

  和辻哲郎の中国文化に対する理解は明らかに偏っていて、単純化されている。しかし、中国人の性格のマイナス面をさらりと言ってのけたことが、かえって我々を深く考えさせるのだ。

  魯迅先生はかつて、中国人の「馬馬虎虎病」(何でもいいかげんに済ます)を痛烈に批判し、中国の青年たちがあまりに「馬虎」(いいかげん)であるが故に、ばかばかしくも命を落としていると嘆いた。日本人は「まじめ」すぎ、中国人は「ふまじめ」すぎ、「まじめ」と「ふまじめ」がぶつかると必ず馬鹿げたことになると、魯迅は考えた。

  しかし中国人の「馬虎」は一般に、小さな事柄について「馬虎」なのであって、大きな事柄については実は「馬虎」ではないのだ。中国には「ゴマを拾ってスイカを捨てる」という諺がある。これは、物事の軽重や大小がわからない人を風刺する言葉だ。また、「卒を捨てて車を護る」という格言もある。(中国将棋の卒は日本の将棋の歩、車は飛車に当たる)。これは、大きなものはつかみ、小さなものは捨てるということの重要性を強調したものだ。

  この問題をもっともよく説明できるのは、かつて中国全土で風靡した最高指示「主要な矛盾をしっかりつかむ」というあの言葉である。主要な矛盾をしっかりつかめば、その次に重要な矛盾は一刀両断に解決できると、人々に教えている。

  こうしたことはみな、中国人が大きなところから手をつけ、マクロ的にとらえることを重視し、得意としていることを示している。

長所と短所を補いあえば

  違った立場から考えると、中国人が「大をつかんで小を捨てる」のも、日本人が「小に着眼する」のも、みなやむを得ない原因があるといえる。中国は土地が広く、人口は多い。住んでいる民族は複雑で、地域差は大きい。これを隅々まできちんと治めるのは難しい。そこで「主要な矛盾をしっかりつかむ」という方法をとる以外にない。

  一方日本は、国土が狭く、資源は乏しく、自然災害にいつも襲われる島国であり、回避する余地がない。そこですべてのことに対し慎重、細心で、全力を尽くしてうまく行わなければならない。

  これが中日両国の人々の、異なる文化的な感情や性格を造りだしたのだろう。20余年も中国に暮らした中国通の内山完造は、両国の人々の考え方について比較している。彼の考えはこうだ。

  われわれ日本人は少数を主として考える性癖があり……、中国人は多数を主として考えるのを好む。小は私事から、大は国家の政治の要に至るまで、中国人はすべてみな多数を主として考える。例えば、「有る」とか「無い」とかの話にしても、「たくさん有る」のでなければ「有る」と言えない。「大部分無い」なら「無い」と言うことができる。日本は一つでも有れば「有る」といい、一つも無いのでなければ「無い」ということができない。こうした両者の発想を比べてみると、大きな違いがある。これは実に深い意味を持つ発見である。

  当然のことながら、こうした二つの思考方式はそれぞれ短所と長所がある。「大をつかんで小を捨てる」、つまり多数に重きを置く思考は、正しいけれども次のような落とし穴に陥る危険性を内包している。それは、知らず知らずのうちに、「ゴマ」が大局と関係のない場所に置かれ、物事を行ううえで無責任になり、「おおざっぱ」で良いという口実となる。

  また、「小に着眼する」し、一つ一つの節目をおろそかにせず、わずかなことにも注意して、悪いことを未然に防ぐのはもとより良いことだが、やはり同じような危険がある。それは枝葉末節にこだわって、方向性を誤り易い、という危険である。日本が第二次大戦で惨敗したことで、この点は証明されている。

  こう考えると、結論は非常にはっきりしている。中国人の長所はすなわち日本人の短所であり、日本人の優れた点は中国人の欠点である。日本人の、末節を重視し、一筋の糸もおろそかにしない精神は、中国人の「おおざっぱで、物事を一生懸命にはしない」という病気を治すことができ、中国人の度量が広く、豪快でさっぱりした心意気は、日本人の小さなことに拘泥するみみっちい根性を直すことができる。

  私は、中国の「スイカ」と日本の「ゴマ」が、もし長所と短所を補いあうことができれば、双方にとって大変よいことだと思っている。(中国社会科学院文学研究所 李兆忠)

 
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