日本でブーム呼ぶわけは

  24式太極拳は、いま、日本のすべての都道府県で教室が開かれ、全国的に流行している。日本に駐在している本誌記者が各地を訪ね、その実情に触れた。

太極拳で「まちおこし」

6月25日、日本から来た百余人の太極拳愛好者が、歴代帝王廟で北京の市民たちといっしょに演技した

 ラーメンで有名な福島県の喜多方市。東に磐梯山を望む風光明媚な所で、人口は約5万7000人。その喜多方市の市議会が2003年3月、自分の市を「太極拳のまち」と命名すると正式に決定した。そして喜多方市はこんな「太極拳のまち宣言」を発表した。

 「私たちは太極拳により、いつまでもしなやかな精神と身体でありたい。癒されながらともに助け合い、心豊かに暮らしたい。太極拳を通して好奇心やチャレンジする心を大切にしたい。世代や性別を超え、思いやりともてなしの心を忘れずにいたい。いま。新しい喜多方の始まりとともに、太極拳の輪が大きく大きく広がっていく」

 なぜ、喜多方市は太極拳をそれほど重視するようになったのか。それは2001年、白井英男市長(63歳)が広島県で開催された「全国健康福祉祭・ねんりんピック」を視察したのがきっかけだった。太極拳の演技が繰り広げられるのを見たとたん、白井市長は目の前が明るくなった。

 喜多方市は自然と温泉、文化財に恵まれ、全国各地から観光客が絶えない。第三次産業は47%を占めているが、問題は、65歳以上の高齢者が、人口の28.5%を占めていることだ。

喜多方市が開いた太極拳の講習会には、多くの市民が参加している(喜多方市提供)

 「太極拳は、お年寄りに非常に適している。我が喜多方市は人口の老齢化が激しく、地方自治体の財政負担は重い。太極拳を広めることによってこれを緩和できるのではないか」と白井市長は考えたのである。

 「私たち喜多方市は、太極拳の理念を宣伝することによって、市民に健康づくりの方法を教え、太極拳を教育と福祉の中に取り入れて行こう」と白井市長は決意した。

 白井市長の提唱で、喜多方市は、太極拳の訓練場や体育館を拡張し、太極拳講習会を開設した。喜多方放送局(FM)は毎朝6時10分から35分間、太極拳の音楽を放送する。こうして太極拳は急速に市民の間に広まっていった。

 喜多方太極拳クラブの会長の神田マツ子さん(67歳)によると、この数年で、市役所を中心に14の団体と24の教室が参加する「太極拳ネット」が形成され、指導員の資格を持つ人は4、5人から三十数人に増加した。太極拳の愛好者はすでに千人に達している。

「早朝修練」をしている神田マツ子さん(写真・王浩)

 「太極拳のまち」になってから、喜多方市民は健康になった、と神田さんは言う。彼女自身、以前は腰痛を患っていたが、太極拳を始めて一年余りですっかり良くなった。毎日の農作業や家事を難なくこなしている。正確な統計はないが、高齢者の医療、介護にかかる市の財政負担は軽減されると白井市長は見ている。

 そればかりではない。東京や大阪などから太極拳の愛好者たちが喜多方市にツアーでやってくるようになった。中国からも太極拳の友好団体がやってきた。

  2006年2月、喜多方市は「冬祭り」を挙行したが、そこに中国の有名な太極拳のコーチ、孔祥東さんを招いた。孔コーチの演技に、会場は大いに沸いた。白井市長は「太極拳はすでに喜多方市の名刺になっています。市民の皆さんも、付き合いの範囲が広がりました」と言っている。

  喜多方市は、太極拳を軸にして、健康、福祉、教育、交流、さらに地域振興の分野で調和のとれた発展を目指す「基本理念」を打ち出している。(資料「基本理念」参照)太極拳による新しいタイプの「まちおこし」が、日本の東北の小さなまちで始まっている。

都会の朝の風物詩

北京・居庸関の万里の長城の下で、日本から来た太極拳愛好者たちは、北京市民とともに、太極拳を披露した

 毎週金曜日、大都会、東京の朝6時半、恵比寿ガーデンプレイス前の小さな広場に、ちょっとした人だかりができる。十数人の太極拳の愛好者がここで「早朝修練」を行っているのだ。道行く人たちが足を止め、この優雅な拳法に見入っている。

  これが始まったのは2年前のことだ。始めたのは、鈴木淑子さん(70歳)と柴田千鶴子さん(68歳)の2人だ。先に太極拳を学び始めたのは鈴木さん。2002年のある日、恵比寿のザ・クラブ・アット・エビスガーデンで、中国のコーチが演ずる太極拳を見て、その優美な、のびのびとした動作やそこに込められた奥深い意義に魅せられた。

  鈴木さんは練習を重ね、太極拳の型を覚えるだけでなく、次第に太極拳に内包されているものも理解するようになった。「太極拳は『心静』と『平衡』を重んじるので、歳のいった人に適しているのです」と彼女は言う。

  彼女の紹介で、多くの人が太極拳を習い始めた。柴田さんもその一人である。ある日、柴田さんは、中国の市民が早朝、公園で、音楽に合わせて太極拳の修練をしている風景をテレビで見た。「恵比寿でもやってみよう」。2004年、柴田さんは鈴木さんを誘って恵比寿ガーデンプレイスで「早朝修練」を始めた。

  すると通行人の多くが足を止め、彼女たちの演ずる太極拳に見入った。中には、彼女たちの後について動作を真似る人も出てきた。太極拳の輪に加わる人は増え続けた。

  こうして週一回の恵比寿ガーデンプレイスの「早朝修練」はいまも続いている。


若い人たちにも広がる

日本体育大学の博士課程で学ぶ李自力さん(中央)は、かつては雲南省の武術隊の選手だった。勉強しながら太極拳を教えている

 太極拳は、中高年の人々の間に広まっているので、お年寄りの健康運動にすぎないと誤解している人が多いが、実際は、働き盛りの人や若い人たちの間にも、かなり多くの愛好者がいる。

  小笠原牧子さん(28歳)は、埼玉県のある老人ホームに勤めている。いつもお年寄りたちの病気の介護や安全に気を配り、時には、老人特有の癇癪にも耐えなければならない。だから彼女の精神はずっと緊張状態で、心身ともに疲れてしまった。

  母親の紹介で小笠原さんは、太極拳を習い始めた。しばらく続けていると、心がリラックスしてきた。太極拳は、大脳皮質の運動領域以外の他の部分を抑制状態に置き、大脳を全体として休ませることができるのだ。

  「いま、私は毎日少し太極拳をし、それによって仕事のプレッシャーを緩和しています。日本の仕事のテンポは非常に速いので、太極拳は勤め人にとって大変よいと思います」と彼女は言っている。

  太極拳は、青少年の間にも広がっている。2006年3月、東京都太極拳選手権では、数人の子どもが出場した。14歳の広岡知音さんも、大人たちに混じって試合に参加した。

  知音さんの母はかつて日中友好学院で中国語を学んだことがあるが、ある会合で、一人の中国人の同級生が演じた「長拳」に深く魅了された。そのとき彼女は「将来、必ず自分の子どもに武術を学ばせよう」と決意したのだった。

李自力さんの指導のもと、太極拳を学ぶ日本の愛好者たち

  「長拳」は武術の一種で、「弓歩」「馬歩」「虚歩」などの基本的な足の型を持ち、飛び上がったり、身体をひねったりする動作と技を組み合わせた拳術である。

  彼女は、子どもの知音さんを太極拳のクラスに入れた。最初、知音さんは熱心に学んだが、しばらくすると活発な彼女にとって動作が緩慢な太極拳は単調に感じられるようになり、だんだんと興味を失った。

  そこで母は、「長拳」のコーチをつけた。動作が速く、激しい「長拳」とゆったりした太極拳は互いに補い合い、知音さんはまた面白いと感じた。それから2年以上、太極拳を学んだ知音さんは「身体が柔らかくなり、動作が敏捷になったと思う」と言った。

  母は「いまの日本の子どもたちは、運動する場が少なく、テレビゲームなどの誘惑もあって、運動量がだんだん少なくなっている。だから武術を学ばせるのは、身体を鍛える一つの良い方法だ」と言っている。

百万人の愛好者が支える

東京・惠比寿ガーデンプレイス前の小さな広場で、早朝、太極拳を修練する人たち

 1970年代末、日本では最初の「太極拳ブーム」が起こった。きっかけは、中国の選手たちが北京の天壇をバックに、太極拳を演ずるサントリーのテレビ広告だった。

  80年代になると、太極拳を学ぶ人が急に増えた。太極拳が健康にもよく、また精神の平衡を保つうえでも効果があることが、人々に認識されたからである。

  1987年、日本武術太極拳連盟が設立され、段位の授与やコーチの資格認定などに関する制度ができあがった。連盟の石原泰彦事務局長によると、太極拳が中高年の人の健康に大変よいことから、地方の自治体の多くが太極拳を重視しているという。また、連盟は大学に太極拳の選択課程を開設し、多くの医療機関と協力して研究を行っている。

  日本体育大学の博士課程で学ぶ李自力さんは、連盟のコーチをしている。日本に来て数年なるが、学びながら太極拳の普及に尽くしている。彼は「中国以外では、日本ほど太極拳が普及している国はありません。連盟がつくり上げた整った管理制度は、ほかの国々のお手本となるものです」と言っている。

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