友好は親から子へ


 日本から今回の友好交流活動に参加した団員は、最年長は89歳、最年少は13歳の横堀由さんだった。由さんは中学2年生で、ハキハキとしたかわいい女の子だ。

 父親の横堀克己さんは、日本国際交流基金の文化事業部につとめている。3000人の訪中の時、彼もメンバーに加わり、初めて中国へ来た。今回、彼がかわいい娘を中国に連れて来たのは、自分の目で実際、中国がどんな様子かを見せようと思ったからだ。「日中友好は、子どもたちに重点を置くべきだと思う。私たちは両国の友好交流の使命を、若い世代に渡さなければならない」と横堀さんは言う。

 由さんは中国のことをあまり知らないが、一つの小さな願いがあった。それは「中国の子どもたちと友達になりたい」ということだった。交歓の夕べでは、由さんは幸運のラッキーガールになった。胡錦涛主席から北京オリンピックのマスコット「福娃」と胡主席のサインをもらい、胡主席といっしょに記念写真におさまった。彼女にとっては、これはおそらく生涯忘れられないことになるだろう。

 横堀さんと同じように、団員の多くは、自分の子どもを中国へ連れてきた。小野寺喜一郎さんも長男の小野寺真平さんを連れて来た。今年33歳になる真平さんは、東京のある会社の社員で、高校生の時にアメリカへ1年間留学したことがある。中国は日本と近い国なのに、真平さんは中国に来たことはなかった。自分の目で見た中国は広く、すごい勢いで発展している、と彼は強く感じた。中国青年たちの積極な姿や盛大な歓迎ぶりにも、非常に感動した。

 全青連の倪健・副秘書長は今回の交流の意義についてこう述べている。

 「青年たちは社会の中でもっとも活発で、もっとも感覚の鋭い人たちであり、彼らは未来と希望を代表しています。中国というと、多くの日本の青年は北京、上海などの大都市を頭に浮かべ、西部などの貧困地域については何も知りません。だから私たちは、今回、とくに蘭州訪問を日程に組み入れたのです。それは日本の青年たちに、真の中国を全面的に知ってもらうためです。また、上の世代の人が自分の子どもをつれてきて、中日友好のバトンが次の世代に受け継がれることを、また、中日青年の友好交流が絶えずに豊かになり、世々代々、伝わって行くことを願っています」

 中日青年の友好交流は1956年に始まった。五十数年来、両国青年の友好交流はすでに、政治、経済、文化、科学技術、環境保護などの各分野に及んでいる。

 今回の交流活動は、中日青年交流の新たな高まりを呼びおこした。今年4月、温家宝総理が日本を訪問したとき、今年からの5年間、毎年千人の日本の青少年を訪中に招くと発表した。こうしたことすべてが、両国の友好事業の発展にはかり知れない影響を及ぼすだろう。

 胡錦涛国家主席が言うように、両国の青年たちこそが中日両国の友好事業の将来は担っている。両国の青年がしっかりと手を携え、正確に中日関係の発展の方向を把握し、中日友好を伝えて行くという崇高な使命を自覚して、それを担い、さらに情熱的に、さらに積極的に中日友好の事業に力をつくせば、中日両国の未来は必ず、もっと素晴らしくなり、中日友好は世々代々受け継がれて行くに違いない。  (張春侠=文 楊振生=写真)


人民中国インターネット版
  本社:中国北京西城区車公荘大街3号
人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。