ありのままの日本を伝えたい
塩澤 雅代さん 1966年、長野県生まれ。89年、北海道大学法学部卒業。アメリカのサンディエゴ大学大学院で国際関係論により修士号取得。帰国後の91年10月より国際交流基金に勤務。94年から1年間の北京師範大学語学研修をへて、2001年7月より同基金の北京事務所に赴任。

 日本の国際文化交流事業を推進している独立行政法人の国際交流基金(本部・東京)。日本のほかにも海外18カ国に事務所をもつが、中国における窓口の北京事務所に赴任して3年半になるという。

 スタッフは中国人4人と日本人のあわせて九人と少人数だが、事業はじつに多岐にわたる。展示や舞台芸術などを通じて日中の文化交流を進める「文化芸術交流」や、中国の日本語教師の研修などを行う「日本語教育」支援、そして自らが中心となって進める「日本研究・知的交流」の三つの分野が大きな柱だ。

 国際的なシンポジウムや共同研究などを行う知的交流分野では、とくに2003年から立ち上げた「日中韓NPO(非営利組織)セミナー」を担当している。三カ国のNPOのリーダーや研究者らが参加して、IT(情報技術)時代における協力や人材育成、環境問題などの共通のテーマについて、北京やソウルで討論・視察を重ねている。「中国での知的交流分野の活動はまだ緒についたばかりですが、これからは『東アジア共同体』の時代です。社会や経済、文化、環境などの分野で、東アジアがどんな協力体制を築いていけるか。課題も多いし模索中ではありますが、それだけにやりがいもある」と意欲を燃やす。

 1992年の夏休み、プライベートで初めて中国を訪れた。「仕事を通じて中国に関心を寄せていたころ、とにかく自分の目で見てみたいと北京を一人で旅したんです。言葉もまったくわからないのに、万里の長城へいく中国人向けのバスツアーに飛び乗って、リンゴを分けてもらったり、観光スポットで集合時間を丁寧に教えてもらったり…」

 見知らぬ中国人客たちに、親切にされたことが忘れられない。「胡同(横町)などの生活風景も温かく、北京がいっぺんで好きになりました。きっとここに何度も来るだろうなあ〜と直感してしまって。まるで、この街に『ひとめぼれ』してしまったかのようでした」。北京にすっかり引きつけられた感動的な体験だった。その後、一年間の中国語学研修をへて、01年から念願かなって北京事務所に赴任した。交流事業や催事のために休日返上で働くこともよくあるが、大好きな街で暮らせることに感謝している。

 目下の課題は、同基金が毎年12月に各国・地域で行っている「日本語能力試験」の中国におけるシステム改善。日本語を母国語としない人を対象に、初歩レベルの四級からトップの一級までを認定する日本語試験で、日系企業への就職や日本留学のときの判断基準とされている。中国は、韓国についで世界第二の日本語学習者数をほこるといわれ、能力試験の受験者数は世界一。その数も年々増えているために、昨年は前年より1万6000人分もの受験枠を広げた。中国各地の32会場で、あわせて10万3500人が試験に挑んだのである。

 「それでも枠が足りなくて、受験できない人が大勢いました。北京の枠がいっぱいになり、空きのあった西安会場まではるばる受けに行った人も。現在、中国側実施機関の教育部試験センターと協議を進めているところですが、今後は希望者すべてに試験を受けてもらえるように改善したい」。日本アニメの人気も手伝い、日本語を学びたいという多くの若者たちがいる。「本当にありがたいこと。これからもありのままの日本をもっと知ってもらうような、魅力ある事業にとりくみたいですね」。北京で奮闘する日々が続く。 (文=銭海澎 写真=小林さゆり)

 
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