音楽で触れる人のやさしさ
中国歌劇舞劇院民族楽団 笙奏者大島明子さん 1975年、大阪府枚方市生まれ。大阪音楽大学ピアノ科卒業。在学中に中国楽器の笙に出会い、99年3月、上海音楽学院に音楽留学。いったん帰国後、2001年春から北京の中央音楽学院に留学。同時に、中国歌劇舞劇院民族楽団で演奏をはじめる。

 中国歌劇舞劇院民族楽団と言えば、中国最高峰のオーケストラの一つ。同楽団ただ一人の外国人奏者として、ひと月に一回程度、中国各地で行われる公演に参加しているのが大島さんである。

 担当楽器は 、中国の民族楽器・笙(中音笙)。約十四キロある笙を抱えると、小柄な体はさらに小さく見えるが、息を吹き込みながら、三十六音を奏ではじめると、一回り大きくなったような錯覚を起こす。

 大島さんは、音楽家の母親の影響で、五歳からピアノをはじめ、大阪音楽大学ピアノ科で学んだ。在学中、日本人による中国民族楽器のアマチュア楽団「オーケストラ華夏」に参加、笙と出会う。同楽団で、上海の著名演奏家と共演したことが、上海音楽大学への音楽留学に踏み切るきっかけとなった。

 「中国語はまったくできなかったんですよ。先生とも台湾から来たルームメートとも、筆談。それでも楽しく勉強できたのは、周りのみんなが何から何まで助けてくれたから」

 大島さんの言葉を借りれば、「過保護に育った一人っ子の初めての海外生活」。困難がなかったはずはなく、ホームシックに悩まされたこともあった。しかし、音楽漬けの日々で、笙の技術は飛躍的に伸びた。それでも大島さんは、物足りなさを感じていた。

 日本に一時帰国後、次に選んだのは、さらに高いレベルの音楽教育を受けられる北京の中央音楽学院だった。しかも同じ頃、かつて共演した二胡の大家を頼りに、中国歌劇舞劇院民族楽団に「演奏を聞いてほしい」と売り込みを掛けた。おっとりとした語り口からは、どこにそんなバイタリティが隠れているのか、想像すらできない。

 「日本にいた頃は、こうではなかったんですよ。ガラスの中にいたみたい。自立したい、気持ちを素直に表せるように変わりたいって、ずっと思っていただけでしたから」

  中国での勉強と生活を通して、笙の技術とともに、積極性も手に入れた大島さんに、楽団はチャンスをくれた。公演まで残り半月という二〇〇一年春、分厚い楽譜をドンッとわたされた。

 「初めての演奏会では、共演者たちから、この子何って、冷たく見られているような気がして、みんなの顔が怖かった。とにかく精一杯演奏しようと思いましたね」

 そもそも、日本で笙を演奏していた当時は、趣味でしかなかったという。そこから一歩一歩ステップを踏んで、プロの奏者になった。中国文化への理解が深まるにつれて、演奏にも幅が生まれ、何より、笙を奏でる楽しさを感じている。それでももちろん、音楽的な壁もある。

 「京劇などに使われる歌曲は、中国人なら、どこまで音を伸ばせばいいか、どんなテンポで演奏すればいいか、感覚的にわかるようです。でも、私にはわからない。そんな難しさを克服するためにも、気持ちだけは中国人になりきって演奏するよう心がけています」

 ふだんは、午前は中国語クラスで勉強、午後は笙のレッスンやアルバイトのピアノ講師と、多忙な日々を送っている。前途洋々に見える大島さんの悩みは、同楽団では外国人を正規採用しないため、「非常勤」の立場にならざるをえないこと。それでもいま、新たな道が開かれようとしている。

 「お世話になった先生が、外国人でも楽団に入れるよう、働きかけてくれているんです。中国にいたいって思うのは、きっと、こんなやさしい方がたくさんいるからだと思います」(文・坪井信人 林崇珍 写真・坪井信人)

【大島さんオススメのスポット】

 「上海の外灘(バンド)。黄浦江には様々な形の船が往来し、向こう岸には東方明珠テレビタワーが見え、振り返ればフランス風の建物が並んでいます。そんな風景を見ながら、風に吹かれてお散歩すると、とっても気持ちがいい。とくに、夜、ライトアップされる時間帯は最高ですね」

 
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