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日本貿易振興機構企画部事業推進主幹 江原 規由
 
 

成長の源泉――教育、人材、人口


 
   
 
江原規由 1950年生まれ。1975年、東京外国語大学卒業、日本貿易振興会(ジェトロ)に入る。香港大学研修、日中経済協会、ジェトロ・バンコクセンター駐在などを経て、1993年、ジェトロ大連事務所を設立、初代所長に就任。1998年、大連市名誉市民を授与される。ジェトロ海外調査部中国・北アジアチームリーダー。2001年11月から、ジェトロ北京センター所長。
 
 

 中国経済を展望する上で、教育、人材、人口の動向が大きくクローズアップされています。このトリオがソフトパワー(注1)として、中国経済の今後の展開に新たな活力となり得るのかどうか、最近の動きから見てみましょう。

 まず教育。

 『中華人民共和国義務教育法』が20年ぶりに改正され、9月1日より施行されました。改正の要点は「不収雑費」、つまりお金のかからない、質の高い教育の普及を前面に押し出したことです。

 「過去20年間に、中国で最も値上がりしたものは何か」と尋ねたら、「教育費」という答えが返ってくるでしょう。例えば「大学生の年間学費は、過去20年間に25倍に上昇した」とか、「教育を受ける機会に恵まれない貧困家庭の子女も少なくない」などの報道もあります。今回の改正で教育格差が縮まれば、それだけで経済や社会矛盾に対し大きな効果が出ると思います。

 例えば、格差是正効果が指摘できます。現在、都市と農村では平均して3対1の所得格差があるとされています。その是正は国家の一大事ですが、教育の普及で知識や技能が向上すれば、就職や新たな収入源の確保が期待できるでしょう。長期的にみれば、教育には財政出動にもまして地域格差の是正に大きな効果があるといえます。

 加えて、中国が最重点として取り組む「新農村建設」や「都市化」を支える人材の育成や優秀な労働力の創出にも、教育の果たす役割は少なくありません。

 中国では、教育環境の整備や人格教育が急務として取り組まれつつあります。投資環境の整備が中国を世界第4位の経済大国に押し上げたように、教育環境の整備で中国は「人材立国」への道を歩みつつあるようです。

経済強国へのカギは人材

甘粛省蘭州市の農村の小学校で勉強するこどもたち

 次が人材。今年3月の第10期全国人民代表大会第四回会議で採択された「第11次5カ年規画」で、中国は「人材強国戦略(有能な人材に依拠した強国を目指す戦略)」を濃厚に打ち出しました。その要点は

 @資質教育(能力開発教育)の全面実施

 A義務教育(特に農村部、出稼ぎ農民の子女)の普及と定着

 B職業教育の振興

 C高等教育の質的向上(重点大学・学問の環境整備)

 D教育投資の増加(GDPに占める教育経費の財政出動比率を4%にする)

 E民営教育(私学)の発展に対する支援

 中国は、海外の資本や技術(経営・管理技術、ノウハウなどを含む)を大胆に取り入れ、経済大国化(GDPの規模では米国、日本、ドイツに次ぐ世界第4位)してきましたが、今後は経済強国への道を歩むとしています。

 そのカギを握るのは人材というわけです。中国経済は、ますますハイテク産業化、サービス産業化そして国際化しつつあります。すなわち情報、バイオ、生命、宇宙、海洋、ナノテク、新素材、環境、資源・エネルギー、金融、法律、知財、M&Aなどの分野での人材、さらに中国企業の海外展開を支える人材に対する需要が急速に高まっています。

 中国側の発表によれば、科学技術人材数で中国はすでに世界1位(3200万人)、研究開発人材数で同2位(105万人)となっています。その一方、中国の研究開発費の対GDP比は1.23%(2004年)と、過去最高を記録したとはいえ、世界の大多数の先進国水準(同2%以上)に比べるとまだまだ低く、2010年にやっと2%になる予定です。

 また技能労働者をみると、都市部就業人口の32.9%にすぎず、生産とサービスの第一線で重大な技能人材不足を招いているとの報告もあります。こうした状況下で、中国では、教育環境を整備することで、これまでの豊富な労働力の質を向上させ、かつ「豊富な人材」を育成する土壌づくりが進められているわけです。

 目下、中国は「世界の工場」として多くの「Made in China」を世界に発信しています。将来的には、中国は世界の「人材育成拠点」として、また人材の「走出去」(海外展開)の拠点となる可能性を秘めているといえるでしょう。

日中両国の共通性

 2005年末の時点で、中国は13億756万人(注2)の人口を抱え、世界一の人口大国となっています。人口は大きな資源ですが、経済力とのバランスのとれた人口という視点が求められるでしょう。「一人っ子政策」や「先富論」もそうした視点に立脚していると思います。

 今や、中国は世界第4位のGDP大国ですが、一人当たりでは世界110位に甘んじています。中国の言い方を借りれば、「経済大国」でありながら「経済強国」ではないわけです。

 人口が多いから分け前も少なくなるのは当然ともいえますが、注目すべきは、高齢化の進展などによりすでに労働人口の伸び率が鈍化しており、2020年前後にはマイナスに転じるとの見通しが出ていることです(注3)。「人口大国」で「労働力不足」という状況に直面しようとしているわけです。労働力不足により賃金上昇が続く状況を想定した場合、外資の対中投資に影響が出るということも考えられます。

 目下、中国が積極的に取り組んでいる教育環境の整備や人材育成は、労働の量的減少を質的向上で相殺していこうという姿勢、つまり経済強国への布石ともいえます。教育重視、人材育成、そして人口活用こそ、経済成長を維持・発展させ、世界における平和的プレゼンスを維持していこうとする中国の新たなソフトパワーの発揮といってよいでしょう。

 かつて、国家と国民が「教育」に高いプライオリティーを置き、勤勉で優秀な多くの人材を育成し、「世界の工場」「技術立国」となった日本から品質の高い「Made in Japan」が世界に発信され、今もされ続けています。日本は「人口大国」ではありませんが、少子高齢化が進んでいます。

 一方、中国は世界最多の高齢人口を抱えています。「人口問題」が先鋭化しつつあるという視点では共通しています。また、今や「世界の工場」「経済大国」となった中国で教育に高い関心が払われ、「人材立国」を目指す姿勢には、時代を超えた両国の共通性が見出せます。日中間には、「一衣帯水」の関係をさらに深めなくてはならない、次元の高い環境が醸成されつつあるといってよいでしょう。

注1 本誌10月号参照
注2 前年比768万人増、うち都市部5億6000万人余り、農村部7億5000万人弱
注3 『China Daily』9月1日(2006年12月号より)


 
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