「仲裁判断」は国境を越える
――過小視できないその影響力
 


  森脇 章 

(もりわき・あきら)
  日本弁護士。98年4月より中国北京にて中国語(北京語言文化大学)及び中国法(北京政法大学)を学ぶ傍ら、アンダーソン・毛利法律事務所北京事務所にて研修を積む。99年4月より、同北京事務所常駐代表。

   

 森脇 前回は、トラブル解決のいわば前提となる管轄合意や仲裁合意について話しましたが、その中で、仲裁の場合は裁判と違って相手の国でも強制執行ができるという話をしましたね。

  そうですね。そういえば、私はかつて、中国でなされた仲裁判断を日本で執行する、という案件を扱ったことがあります。先生もたしか同じような案件を実際に手がけられたことがあるとおっしゃっていましたよね。

 森脇 ありますよ。まだ日本で仕事をしていたときの話ですが、中国の貿易会社が「日本の会社を相手に中国で仲裁を申し立て、請求が認められたから日本で強制執行して欲しい」と依頼してきたのです。私の所属している法律事務所は東京では外国企業を依頼者とする案件が多く、当時は中国企業の代理をすることもままありました。北京に来てからの依頼者は殆ど日本企業ですが…。

  当時、中国の仲裁判断を日本で執行するケースは多くなかったでしょう。

 森脇 ええ。事件を引き受けるにあたって先例を調べましたが、法律専門雑誌などで公にされているものが三、四件ある程度でしたし、理論的な面でも統一的な解釈が確立しているとはいえない状態でした。

  事案はどういうものでしたか。

 森脇 至って簡単です。当時は日本から中古製品がたくさん中国に輸出されていた時期で、この事件の日本の会社もある製品の中古品を中国の貿易会社に輸出していたのです。ところが、中古品の中に使用に耐えないような欠陥品があったので損害賠償を求めた、というものだったと思います。ごく簡単にいうとそんな事案でした。

  中国で日本の会社は中国の貿易会社に損害賠償を払え、という仲裁判断が出たわけですね。でも、これを日本で執行する場合、いきなり銀行預金の差し押さえといった強制執行の申し立てができる訳ではないですよね。俗に『ニューヨーク条約』と呼ばれる条約に基づいて外国仲裁判断の承認を得なければなりませんね。

 森脇 そうです。この執行の承認に相当する手続として、日本の場合、執行判決請求訴訟というのをまず裁判所に提起して、外国でなされたかくかくしかじかの仲裁判断に基づく日本における執行を許可する、という判決を取る必要があります。

  ただ、訴訟といっても普通の訴訟とは違いますよね。同じだったら、中国で仲裁をしたことが無駄になってしまいますから。『ニューヨーク条約』でも、外国仲裁判断が無駄にならないように、執行承認手続で審理できる事柄を限定していますね。仲裁判断の原本があるかといった形式的な問題とか、仲裁合意が有効に存在していなかった、あるいは被申立人に申立書などの送達がなかった、といった根本的な手続ミスの有無に関する問題、それから仲裁判断の承認・執行が執行国の公の秩序に反する、といった極めて例外的な問題のみが審理・判断の対象ですよね。

 森脇 そうですね。確かに、執行判決請求訴訟の手続の進め方自体は普通の訴訟と同じですが、その審理・判断の対象は極めて限定されています。でも、実際はいろんな主張が出てくるものです。私が扱った事案のときも、「中国の仲裁手続は非公開とされていて密室仲裁を可能とするから、その手続自体日本では許容できず、その日本における執行は日本の公の秩序に反する」というような主張まで出てきました。

  それはちょっとひどいですね。日本の仲裁協会の規則にだって非公開の規定はあるでしょう。非公開主義は、企業秘密などが公にならなくていい、ということでむしろ裁判にはない利点とされているのではないですか。

 森脇 そうですね。私もさすがにこの主張には絶句しましたが…。でも弁護士は依頼者を守るためにいろんな理屈を考えるのが仕事ですからね。

  まさか、その相手の主張が通ったわけではないですよね。

 森脇 もちろん通りませんでした。執行判決も無事出ました。でも、さっき言ったような主張が被告である日本企業のほうから沢山出されて、なんだかんだで一年くらいかかりました。

  一般的に言っても、当事者は色々な主張を考え出して提起しますから、執行判決請求訴訟と言っても一年くらいかかることはままあるようですね。ところで、中国の仲裁判断について日本で執行判決を求める訴訟を提起し、棄却、つまり許可されなかったケースというのはあるのですか。

 森脇 先ほど言いましたように公表されている例は数件しかありませんが、棄却されたものはないと思います。

  つまり、中国の仲裁も日本の裁判所でお墨付きがもらえると。

 森脇 一般論としてはそういえると思います。もちろん個々具体的な事件ごとに判断されるわけですが…。ともあれ、日本企業としては、中国で仲裁を起こされたら、執行判決請求訴訟で中国側の請求が棄却されることはほとんどないと思ってかからなければならないと思います。もちろん、事案によっては徹底的に無視する、ほっておく、という判断も必要な場合がありますが、やるとなったらとことん主張・立証等を行い、勝訴に向けて努力しなければならないと思います。執行されることなどないだろう、なんてタカをくくっていると大変なことになります。

  そうですね。 (1999年12月号より)

豆知識                      
 中国の仲裁機関  『ニューヨーク条約』 正式名称は、『外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約』。一九五八年、国連で採択された。日本は一九六一年に、中国は一九八七年に同条約に加盟している。同条約は、外国でなされた仲裁判断をよりスムーズに執行することを目的にしている。条約で定められた以外の理由で外国仲裁の承認や執行を拒否してはならないとして、拒否できる事由を詳細に定めている。日本と中国との間では、相手国の裁判所でなされた判決について相互に執行できる環境が整っていないこともあり、仲裁の相互の承認・執行を定めた同条約は、とりわけ重要な意味を持つ

 

 


  鮑 栄振 

(ほう・えいしん)
  中国弁護士。中国法学学術交流中心副主任。86年、佐々木静子法律事務所にて弁護士実務を研修、87年東京大学大学院にて会社法などを研究。