【放談ざっくばらん】


「離島」が育んだ日本の文化

                      北京大学教授 賈寢


筆者



 日本列島は、空から俯瞰しても、海から眺めても、「大陸から切り離されて漂う群島」のように見える。この美しい土地は、雨水が豊かで、暮らしよい気候に恵まれているのだが、自然条件は「三多一少」といわれる過酷なものでもある。それは、地震が多く、台風が多く、火災が多い、という「三多」であり、資源が少ないという「一少」である。

 日本列島には、ほぼ単一の民族が住んでいて、大海原に囲まれているため、一種の孤独感を感じずにはいられない。「三多一少」に直面し、その危機意識は、大陸の人々より遥かに強烈である。ここから日本人は、ある集団に帰属し、安全をはかる「集団主義」の意識を形成するのだ。

 日本文化は古来、大陸の影響を深く受け、あるものはその起源を大陸に発しているものさえあるのだが、大海原によって隔てられ、しかも200年以上にわたる鎖国のせいもあって、その文化は、離島の特徴である「孤独と寂しさ」をもつようになった。それは「離島文化」の「DNA」と言っても良い。

 存在は意識を決定する。「人間環境学」もまた、人が生存している環境が、人の意識や風俗、さらに文化に対してまで、きわめて深い影響を及ぼすと考えている。

 私はここで、私の浅薄な印象に基づいて、「離島文化」の特色を反映している一、二の例を紹介し、私の浅見によって皆さんの貴重なご意見を引き出したいと思う。読者の皆さんのご叱正とご鞭撻をお願いしたい。

ものの哀れ

 ある情景を見て中国人は、「喜び」の感情を抱きたいと思う。だから、文学作品は、ハッピーエンドが推奨される。これによって人々は鼓舞される。中国人は「喜びをたたえる民族」である。

 一方、日本人はある情景を見ると、「悲しみ」の思いを抱く。だから文学作品は「ものの哀れ」を描くことに重きを置き、「哀れ」によって読者の共感を得る。日本人は「哀れを感じる民族」である。

 日本の古典文学の長編『源氏物語』は、こうした特徴をよく表している。上村菊子さんらの統計によると、『源氏』には1044カ所、「哀れ」の情が描かれて、「ものの哀れ」は13カ所描かれている。

日本の花嫁衣裳は「素雅」であり、中国人にはなかなか理解しがたい

 カラオケは、ご承知のように、近代日本の「一大発明」で、多くの流行歌は、カラオケを通じて広められ、よく歌われている。しかし、明治、大正の時代から130年の間に流行した歌曲の中で、いまだによく歌われ、衰えをみせず、前にもまして人気がある歌は、豪放な民謡でも、気分を高揚させる行進曲でもない。その多くは、婉曲に悲しみや恨みを切々と歌い、別れの悲しみや恨みを歌った歌なのだ。

 それはまさに、中国人にも愛されている名曲『北国の春』の、あのムードである。映画やテレビドラマでも、例えば『赤い疑惑』や『絶唱』『愛と死』『遥かなる山の呼び声』『幸福の黄色いハンカチ』などのように、いつも悲壮感、あるいは恨みの感情で、物語は終わる。喜劇映画に属するシリーズ『男はつらいよ』でさえ、苦渋と悲壮の余韻をぬぐい去ることはできない。これは、ハリウッド映画とまったく異なる芸術的特徴だ。

 また、蓮の花は、中国人から見れば神聖にして清らかで、高貴な品格を持つ花として、釈迦や観音菩薩の座る壇を飾り、人々の頂礼を受ける。蓮の花は、吉祥であり、喜びの象徴なのだ。しかし、日本人から見ると、蓮の花は神聖で清らかではあるが、仏教の寺院や堂宇で使われるもので、「仏事の花」と見なされている。日本人は、死者に対する祭祀を「仏事」としているので、蓮の花は、哀悼の意を託す花であり、「ものの哀れ」を示す題材である。だから決して、一般の贈答品に使うことはなく、これを室内に飾ることもない。

 日本文学研究家の葉渭渠教授はこう指摘している。 「『哀』こそ、日本文学の美学論と文学的評価の基準である」

気高さ

 「孤独」「寂寞」といったムードにマッチしているのが、日本の「素雅」(質素で気高い)という芸術的特徴である。島国という空間的な制約を受け、日本人の美意識は、大陸に住む人々のように絢爛で多彩を好む美意識とは違って、あっさりとした簡素さを基調としている。

 婚礼を例にとれば、婚礼は人生最大の慶事であるので、大陸の人々は一般に、あでやかな服装と髪飾りで花嫁を飾る。しかし日本の婚礼の色調は「素雅」であり、盛大ではあるが派手ではない。花嫁の服装の主な色調は、まさに「素雅」である。頭には被る角隠しの色は白で、これは純白無垢の意味を表しているのだ。皇室の婚礼も例外ではない。

 日本の伝統的絵画も、その筆法は中国の影響を深く受けているが、色調は日本的風格を保っている。それは色が薄くて淡く、素朴でさわやかなものである。

 日本の伝統的建築物には、彫刻や絵画を施した梁や棟は少ない。その多くは石や木をそのままつかっている。皇居や城郭も、その基調は白壁と黒の庇であり、それは威厳と質朴の感を与える。室内の装飾や家具も、素材そのものの色をつかっていて、大自然のなかで生活しているような感じを与える。

 日本庭園の配置も、中国のように奇岩怪石や珍しい草花でその艶やかさを競うというものではない。例えば石灯籠や草庵など、わずかに象徴的な意味合いを持つ天然の素材を用いてつくられ、静謐と優雅の気にあふれている。庭の中の建物にも極力、自然、素朴が求められ、装飾が施されることはない。

 もっとも典型的なものといえば「枯れ山水」であろう。それは白砂を用いて山や水、島、さらには流水の波紋まで作り出し、あたかも「静中に動ある」大盆景のようである。

 日本の詩歌も、美しい文章の語句を競うのではなく、余韻や余情を感じさせるかどうかが重んじられる。とりわけ俳句や短歌は、わずかな言葉の中に、豊富な「情」と「景」とを包含することができ、その余韻と味わいはきわまるところがない。

礼 儀

 大陸にくっついていない島の上で生きていくには、互いに助け合わなければならない。このため日本人は、人に接する際の物腰や礼儀に、とくに注意を払っている。これによって日本は、礼節を重んずる「礼儀の国」となった。

 日本人は、知らない人と会ったとき、必ずこう言う。「初次見面、請多関照」(お初にお目にかかります。どうぞよろしく面倒を見てくださるようお願いいたします)

 3、40年前、私は通訳の仕事をしていたが、ものごとが良くわかっていない中国人はいつも私にこうたずねたものだ。「日本人はどうして『面倒をみてくれ』と求めるのか。彼はまだ何も要求を出していないではないか」と。確かに、一般的に言えば、中国人は良く知っている人や親しい友人に対してのみ、面倒をみてほしいとか、何かをお願いするとか、自らの要求を出すのだ。

日本の自然の風景が、日本特有の文化を育んだ

 ご承知のように、どの国でも、挨拶の言葉は、間違いなくその国の文化の一種の表現である。それは何回も篩にかけられ、生活の中で練磨されてきたもので、その国の民族文化の沈殿物であり、民族意識の反映でもある。例えば、もし中国が飲食大国でなかったならば、「ニン吃飯了??」(ご飯を食べましたか)という挨拶語は決して生まれなかっただろう。

 日本は、「初めて」ということを重んずる国柄である。日本の岩波書店が出版した日本語の辞典『広辞苑』(1998年第5版)をめくって見ると、「初」という字で始まり、「初めて」という意味を持つ語句は130以上を数える。新しい年が始まって最初に行われたことにはみな「初」の字がつけられる。例えば「初詣」「初荷」「初日の出」などである。人の一生で初めて行われる行為にも、「初」の字がかぶせられる。例えば、「初産」「初顔合わせ」などである。

 日本人はどうしてかくも「初」を重視するのだろうか。遠く大陸から離れた孤島での生活で、生存し、繁栄していくために、一種の不撓不屈の性格が形成された。「初」を重視するのも、初志をしっかり覚えていて、その後の歳月の中で、あらゆる手を尽くして、当初の計画を実現させるためである。

 さらに日本人は、初対面で良い印象を与えれば、二回目、三回目と接触する機会ができると考えている。もし、初対面で嫌がられてしまえば、目的を達することはできない。それは日本人の心の中に根ざしている危機意識がそうさせているのだ。中国人の「時間をかけて人の心を見る」という習慣とはまったく対称的である。

 それに関連したことだが、日本語には複雑な敬語の体系があり、人によって使われる敬語は違う。言葉の丁寧さと使われる音節の数は正比例する。これはもとより封建社会の身分制度が残したものではあるが、人に接する際の礼儀をも反映している。同時に言葉遣いは極力、婉曲な言い回しが求められ、相手を刺激しないようにする。そのため曖昧な表現方法が多く用いられる。

 例えば、主人が客に、ご飯やお茶をもう一杯いかがでしょうかと勧めるときに、客はそれをストレートに拒絶するのではなく、「もういいです」とか「もう結構です」とか言って断る。文字の意味は「いい」ということだが、実際は「もうたくさんです」という意味だ。こうした微妙な意味を理解している人から見れば、これは一種の「含蓄の美」ということができるが、外国人から見れば、それは誤解を生みやすく、わずらわしいものである。

 中日両国は、地理的には一衣帯水だが、文化的には大きな隔たりがある。だから相互に、長所と短所を補い合う余地は非常に大きい。両国は20世紀まで長く交流の歴史を積み重ねてきたが、いまだに本当の相互理解に達していない。21世紀中には、IT革命の大きな潮流を利用し、われわれは「互いに知って発展を促し、互いに利して協力を促し、互いに信じて安全を促す」ということを実現したいものだ。(2002年6月号より)