【放談ざっくばらん】


日韓の技能の逆転に思う

                 文  馮昭奎
 

 韓国は、2001年の国際技能オリンピックで、5年連続のチャンピオンになった。

 国際技能オリンピックは、世界各国で順番に開催され、旋盤、フライス削り、電気溶接、精密機器組み立て、コンピューターを使ったCAD(キャド)製図などの生産技能の分野でしのぎを削る国際的な競技会である。2001年9月に韓国で開かれた国際技能オリンピックでは、総合成績ですでに4年連続のチャンピオンの韓国が、また一挙に20個の金メダルを獲得し、製造技術に長じているといわれてきた日本やドイツをはるかに引き離して優勝した。ちなみに日本の獲得した金メダルは4個、ドイツは5個にすぎなかった。

 旋盤やフライスを使った削りや研磨などの技術は、生産現場における基本的な能力である。日本の作家で旋盤工でもある小関智弘さんは「脳から手に伝わって始めて技能になる」「技能とは体温を持った技術である」と言っている。「技能」が「技術」と区別されるのは、知識や経験といった「知識面」と、手を動かす能力や労働態度などの「実践面」が結びついているところにある。ある基本的技能を習得するのには、普通、長期の努力と蓄積、それに忍耐が必要であり、数十年あるいは数代の奮闘と継承が必要である。

 つまり技能は技術に比べ、「属人的」で「継承される」性質を持っているのだ。技能を競う競技会は、人(あるいは人のある器官)が本来備えている基本的な能力を、最高に発揮させる性質を持っていて、スポーツ競技や演芸活動と大変共通しているところがある。

 1980年代以来、「世界の工場」といわれ、生産技術と生産現場を重視する、優れた伝統を誇る日本は、国際技能オリンピックでかつては毎年のようにチャンピオンであった。70年の東京大会と85年の大阪大会で、日本はそれぞれ17個と11個の金メダルを獲得したが、これは日本が製造技術を重視し、その水準が高いという一面を反映していた。

 日本の優秀な製造技術を語るときに、真っ先に日本の有名な大企業を想起する人がいるかも知れない。もちろんそれも間違いではない。しかし同時に、忘れてはならないのは、その大企業に原材料や加工部品を供給している多くの中小零細企業もまた日本の製造能力の重要な源泉であることだ。中小零細企業の存在は、日本の工業製品の競争力を急速に増強し、ハイテクの成果を速やかに産業化させた重要な秘密である。

 ある調査研究の結果によると、「日本の優秀な製造能力と製造技術は、都市の小さな工場や町工場によって支えられている」「その優秀な技術は、日本のハイテク産業が世界との競争の中で決定的な役割を果した」という。

 小さな工場や町工場の中の一部は、その専門領域で「日本一」であるばかりか「世界一」の地位を勝ち得ている。彼らの専門領域は狭いので、その専門性をさらに深めることができる。また、それぞれが特技を持っていて、「こうした加工の手仕事は、ウチの工場でしかできない」と豪語している。

 

 中国科学院のアカデミー会員の沈鴻氏はかつて「専門家の設計した図面がいかに良いものでも、職工がうまく造らなければ無駄になる」と言った。本当に研究開発に従事しているハイテクの専門家たちにとって、もっともあこがれるのは、こうした職工がいる地区である。そこでは、専門家が何か新奇な考えや設計を思いついたり、新しい試験装置を製作したいと思ったりしたとき、腕のいい職工が助けてくれ、紙に書かれた図面上の考えを実物に変え、見たり触ったりできるものにしてしまうのだ。

 その職工たちも「もっとも良いもの、誰もできないものを造ることができる」というプライドを持ち、自分の人生の価値をこの仕事にかけている。東京の大田区、大阪の東大阪市などはまさにこうした地区だということができる。

 しかし90年代に入ってからは、技能競技で日本は明らかに後退した。97年の国際技能オリンピックでは、獲得した金メダル数で八位に後退した。それは一面では、日本の生産技術のレベルが下降線をたどりつつある現状を反映している。ある調査では、日本企業の70%が「高度の熟練した技能は継承するのが難しい」と述べている。と同時に、大田区や東大阪市のような中小の製造業が密集しているところでも、企業の経営は困難になり、人材が次の世代につながっていかないなどの問題が出てきている。

 日本の評論家、森谷正規氏は、日本人が生産技術と生産現場を重視する所以は、日本の歴史上、700年の長きにわたって武士階級が支配する社会が続き、「尚武の国」の伝統が形成されたことと切り離すことはできない、と書いている。

 これとは対照的に、中国の歴史上、長く存在したのは文官の支配する社会であり、科挙によって選抜された「文人」が、国家を統治する官僚と権力機構を構成した。韓国にいたっては、約千年前の高麗王朝時代に中国の科挙を導入し、その後、500年間続いた李朝時代に、完璧な文官支配体制をつくり上げた。要するに、中韓両国の「文を重んじ、武を軽んずる」考えや肉体労働の蔑視、生産現場の伝統の軽視が、両国が技術面で遅れた重要な原因になったと、日本人の眼には映るのである。

 しかし、日本人に「文を重んじ、武を軽んずる」と見なされた韓国が、生産技能を競う国際競技で、日本をはるか後ろに引き離したのである。しかも韓国の製造業は、総合的な競争力で世界第3位になり、日本に迫っている。韓国の半導体メモリー、大型液晶ディスプレーの生産は、日本を抜いて世界第一位だし、韓国の船舶の生産は、日本と雌雄を競うほどだ。韓国の自動車生産量は世界第四位だし、韓国のブロードバンドの利用率は人口の55・8%に達し、世界一だ。こうしたことはまさに、「韓国の奇跡」を象徴している。

 韓国にこの「奇跡」をもたらしたのは、「改革」である。日増しに激化する競争が、韓国の「文を重んじ、武を軽んずる」観念を次第に変えた。これに反し日本は、経済が発展するにつれ、豊かになった生活の中で育った若者たちが、技術の習得に没頭したがらず、職人の技を受け継ぐ人が少なくなった。

 日本と韓国の「技能」を比べることは、中国にとっても一つの良き示唆を与える。中国は目下、技術労働者がまったく足りないという現実に直面している。日韓の経験と教訓は疑いなく、今後中国が関連の政策を調整する際に、格好の鏡となるだろう。(筆者は全国日本経済学会副会長)(2003年1月号より)