【放談ざっくばらん】


「小」にして「巧」なる日本

                 陸マ 中国政法大学人文学院教授

 

 半年ほど前、私は招かれて、学術交流のため日本に行った。滞在期間中、日本の研究者たちと学術討論をしたほか、この訪問の機会を利用して、当今の日本の社会や民俗を観察し、理解することができた。

 私にとってもっとも印象の深かったのは、日本の国土面積がきわめて狭いということである。日本の土地は「土一升、金一升」である。だからそのために、日本人は土地をきわめて大切にするのだろう。

 家屋以外の土地はほとんど厚い緑に覆われ、見渡す限り青く、生気に満ちている。さらにおもしろいのは、日本人が狭い空間の中で十分、想像力を発揮し、自然界の美しい風景を作り出して、心の安らぎをもたらすようつとめていることだ。

 ある日、伊勢市に行ったときのことを思い出す。友人たちが私たちを食事に招いてくれたのは、当地ではもっとも由緒ある「大喜庵」という日本料理店であった。この店は、山の中腹にあり、周囲を深い林に囲まれ、草花が咲き乱れ、まるで仙境にでも入った感覚にとらわれた。店の中に入って見ると、店は大きくはないが、出された料理は本当に念入りに造られ、使われている素材も選び抜かれたものだった。

 食事が終わってから、曲がりくねった廊下を行くと、すこぶる幽玄な庭に出た。庭はきわめて小さく、五十平方メートルか六十平方メートルしかなかったが、その設計には工夫が凝らされていた。

 高いところには、根をはり、葉の茂った大木を配し、やや低いところにはやや小ぶりの木を、さらに低いところには常緑の喬木などの植物を植えてあった。さらにその下には、地植えや盆栽の草花が置いてある。この店の主人は、ビルを造るのと同じ考え方を庭の設計にも用いて、できる限り空間を利用し、土地を節約しているということができる。

天理大学の「空中楼閣」

 庭の中央には、豆粒ほどの大きさの白い砂利が敷き詰められていた。その白い砂利はまるで熊手でかきならされたように、一筋一筋、起伏ができている。その前後左右のあちこちに、黒い大きな石が並べて置かれていた。

 「この中にどのような意味が隠されているのか、当ててごらんなさい」と、一人の日本の教授が私たちに言った。私たちがいろいろ考えてもわからないでいると、教授は笑いながら「黒は山、白は水を表す。『枯れ山水』と呼ばれる日本の造園芸術です」と言った。

 この教授は、自分の家にもこれと似た小さな庭を持っていて、毎晩、庭の木の下に座り、山水の傍らで満天の星を仰ぎ、中国の「烏竜茶」を飲んで暮らすのだ。

 「大喜庵」の塀にそって、人の背ほどの美しい籬が造られていた。その後ろには何があるのか、と後ろに回り込んで見ると、二本の大きな箒と一つの箕が置いてあった。この美しい籬の役割は、もともと醜いものを覆い隠すためだったのだ。私は思わず、日本人の精緻さと美的環境の追求に感心してしまった。

 訪れた場所のうち、私がもっとも満足したところは、有名な古都の奈良と天理大学だった。奈良はいたるところに、いにしえの情を感じさせるに足る遺跡、例えば東大寺や唐招提寺、平城京址などがある。天理大学は、古いものと新しいものとが結合した建物で、遺跡も多く、その図書館はもっとも有名で、蔵書は量も多く、質も高い。きわめて貴重な明代の書物『永楽大典』さえあるのだ。

 私たちが図書館を出た時はすでに黄昏だった。ちょうど下校する学生たちとぶつかり、周囲は歓声や笑い声に満ちていた。まさにそのとき、突然、奇妙なことが起こって、私たちはそれに釘付けとなった。私たちが通ってきた道路の上に、東から西へ、空を横切って、世にも珍しい長い長い「橋」が出現したのだ。

 しかしそれは橋ではなく、一つ一つが非常に明るい宿舎や教室の窓の明かりだった。学生たちの影法師は、その中から次々と出てくる。かすかに彼らの笑い声や話し声も伝わってくる。この空中楼閣の下は道路になっている。自動車やオートバイ、自転車や通行人が絶えず行き交っている。

 こうした情景を目の当たりにして私は心の中で、日本人の空間利用の巧みさに、もう一度敬服せざるを得なかった。

 よく考えて見ると、日本に比べて中国人の土地に対する保護と利用は、少なからぬ差がある。身近なことで言えば、私の住む家の近くにある住民のアパートのわきに、決して小さいとはいえない空き地がある。数年前、ここが整備され、最初は自転車置き場が造られるといわれ、次には緑地になるといい、最後は健康維持のための運動場になるといわれた。しかし数年経つのに、自転車置き場も緑地も運動場も、まったく姿を現していない。そしてこの空き地の表土は、風がちょっと吹くと終日、土ぼこりとなって舞い上がる。付近住民の怨嗟の声は大きい。

 どういう原因で私たちは環境を軽視するようになったのだろうか。私はだいたい以下のいくつかの原因によるものだと考える。

 第一に、中国の経済が長い間遅れた状態にあり、人々は生 カ環境の問題を往々にして二の次にするからだ。戦争直後の日本の映画を見ると、すべてが廃墟となり、まだ復興していない中で始まった生活の情景は、汚く、雑然としていたことを覚えている。

 第二に、今日の中国人はすでに豊かになりつつあるとはいえ、多分、いっぺんに豊かになりたいと成功を焦るからだ。そのせいで、「沢の水を干して魚を捕る」という、目先の利益ばかりで将来を考えない行為に走る。

 第三に、豊かになりつつはあるが、中国人は精神文化に対する追求に、まだ自覚がないからだ。昔から「衣食足りて栄辱を知る」という。

 第四に、伝統文化の教育が非常に欠けているからだ。

 しかし、にもかかわらず、中国の現在の状況は大いに改善された。人々の環境保護意識は日増しに強まり、生活や仕事の空間である、美しい、快適な、調和のとれた「緑の住まい」を、だんだんに人々は追求するようになってきた。

 実は中国では、人間と環境の関係は非常に良い伝統を持っていた。夏王朝の時代に早くも、政府は山林水沢の保護のため、はっきりとした禁令を出した。後代の子孫に利するよう、草木の生長期、鳥獣や魚類の繁殖期には、山林水沢を閉鎖し、捕獲を厳禁した。

 ほどなく私は北京に帰ってきた。自動車で広々とした道路を走っているとき、あたりをぐるりと見回して、心中、誇らしい気持ちが自然に湧き上がるのを禁じ得なかった。私たちの北京は非常に大きい。

 しかしこうした誇らしさを感じた後で、日本は国土があれほど狭く、資源も相対的に不足しているのに、できる限り環境を保護し、世界第二の経済大国になるという奇跡を成し遂げたということをもう一度考えた。

 私たちは、持てる「大」なるものを、あまり大切にしてこなかったのではないか。今日、私たちは隣国日本のやり方の中から、その長所を取り出して、自らの短所を補うべきではなかろうか。(2003年2月号より)