北海道新聞記者 佐藤千歳  
 
晩の祈りと四書五経

 

   一年間の中国滞在から帰国して一カ月が経った。一日、一日と、北京生活で身についた皮膚感覚や身のこなしが、夏の日焼けが消えるようにはがれていくのは寂しい限りだ。その半面、北京で暮らしたからこその、新しい出会いもある。

 最近、ある中国人の医師と食事をする機会があった。来日十数年になる彼女の歩みを振り返りながら、「中国の経済が急速に発展して、日本社会の中国に対する見方もだいぶ改善されたのでは?」と私は何の気なしに尋ねた。すると彼女は、ナイフとフォークを動かす手をぴたっと止め、こんなことを言った。

 「人の『素質』の問題があります。経済が豊かになっても、心が豊かになったとは必ずしも言えない。だから、友人や肉親の間ですら金銭的な見返りを求める人が現れ、お金のためには手段を選ばない傾向が中国社会に広がってしまった。宗教心や倫理観が忘れられたからだと思います」
 
 的を射た分析である。ただ、それだけでもないと思った私は、見てきたばかりの大陸の話を始めた。

貧しい村に息づく祈り

 高台の教会を目指し、薄暗い路地を村人が上がってくる。春の夜空に、白いタイルの聖堂が浮かび上がっていた。

 今年3月末、私は北京の記者と、福建省東部の羅源県港頭村にいた。抗日戦争に参加した老兵の林さん(90歳)を訪ねる旅だった。

 林さんは、奥さん(78歳)と2人、路地裏の小さな家に住む。台所で奥さんの手料理を食べていた私は、土壁に貼られた赤地に黒の十字架が気になった。訊くと、人口4200人の村の大半がカトリック教徒という。もちろん林さん夫婦も。

 私は、林さんの四女・香嬌さんに頼みこみ、村の教会で毎日行われる晩の礼拝をのぞいた。

 午後7時、教会堂にはすでに70人近い男女がひざまずいていた。煮しめたような群青色、黄土色の野良着の背中が何列も並ぶ。うなだれた男性信者の首は、深い茶色に日やけしている。ぴかぴかした礼拝堂に似合わない姿に思えた。

 闖入者の勝手な感想をよそに、信者たちは手のひら大の黒い祈祷書を手に、もごもごと口を動かし続ける。すべて福建方言のため、まったく聞き取れない。波のように打ち寄せる祈りの声にぼんやりしてきた私は、キリスト教の歴史を遡っていた。

 2000年前、しがない大工の息子だったイエス・キリストの後に従ったのは、当時のイスラエル社会で最も貧しい階層の人々ではなかったか。中世ヨーロッパの教会で、農作業を終えた農民が、やはり晩の祈りを捧げてはいなかったか。

筆者が訪れた農村のキリスト教会

 港頭村は、中国経済の牽引車である沿岸部にありながら、その恩恵を十分に受けているとは言い難い。谷底に広がる村には、舗装されていない細い路地が続き、街灯もない。

 まして高齢の林さん夫婦は、文字通り爪に火をともすように暮らしていた。古傷が化膿し、足が腫れ上がっても医者には行けない。そんな林さんの枕元にも、表紙のまくれ上がった祈祷書が置いてあった。

 香嬌さんに教えられ、祈祷書を目で追ってみた。「主は私たちのために御身を捨てられた」。誰かが、苦しく不公平な世界でもがく私たちを見守っている。私は何ともいえない心の平安を感じた。「小さきものと共にある」というキリスト教本来の姿が、福建の晩の祈りと二重写しになった。

 中学高校時代、私は毎朝聖書を読み、教会にも行っていた。だが、福建で覚えた平安を、日本の礼拝堂で感じたことはついぞなかった。明治期に西洋の学問と抱き合わせで受容され、思想や哲学が偏重されがちな日本の主流キリスト教会と、農民の生活に根付いた福建の宗教の違いだろうか。

都会にも根づく信仰

 宗教の伝統と断絶した都会でもまた、草の根に広がる信仰を目の当たりにした。

 長江クルーズの観光客船の上で私は、北京の中関村でIT企業を経営するZ氏という男性に出会った。時代の波に乗ったお金持ちのZ氏と話しながら、ふと彼の手元に目をやると、木製の数珠を絶えず爪繰っている。チベット仏教に傾倒し、活仏の下で修行を積んでいるという。

 北京に戻り、Z氏とともに活仏のマンションへ行った。全中国に1700人しかいないという活仏も、信者と交流するときは、黄色いTシャツにトレーニングパンツと、ぐっとくつろいだ格好だった。

 集まった男女は、外資系企業の幹部や有名企業の社員と、北京のエリートばかりだが、その割に素朴な質問が多く、宗教的な素地は乏しかった。

 「最近、同僚の男が携帯にちょくちょく電話してきて迷惑なんだけど、どうしたらいい?」。信者たちがあまりにコマゴマとした相談を持ちかけるのには、私も驚いた。

 だが気さくな活仏は、どんな相談にも乗る。質問によって、丁寧に答えたり、時に微笑むだけだったり。日々の煩悩に悩む北京人にとって、また、寺の中で大きくなった活仏にとっても、宗教は当然のように、生活上の問題を解決する手段だった。「こんなこと相談していいのかな」などと気に病んでいた自分が、滑稽に思えてきた。

 仏教、キリスト教、イスラム教。中国を歩きながら、様々な宗教の祈りの場に居合わせたことは、私自身の硬直した宗教観を見直す契機になった。怒涛のような現代化に洗われる中国でも、宗教はしっかりと草の根に息づいていることを知った。

市場原理と異なる価値観

 「中国全体の人口からすれば、信仰を持つ人はごく一部に過ぎません」

 私の長い話を聞き終えた彼女は、簡潔に答えた。倫理や道徳が軽んじられる風潮には、一部の人が信仰を持ったところで焼け石に水、ということか。確かに、中国国家宗教事務局の統計をみても、中国で何らかの信仰を持つ人は一億人。13億人のわずか7.5%だ。

 ただし、そう話す彼女は実は、孔子の七十六代目の子孫なのだ。休日はボランティアで教壇に立ち、華僑・華人の子どもに中国語を教える。教材は四書五経。言葉を学びながら、儒教の内包する倫理観に小さい頃から親しんでほしいという。徹底して悲観的な態度は、故郷を真剣に心配する裏返しだった。

 高度成長期の日本人が自らの「精神の貧困」を嘆いたように、現代の中国人も経済の発展と裏腹に進む道徳の衰退に敏感に反応している。そして、それぞれの生活の中から、市場原理とは別の価値観を追い求めているのだ。(2006年12月号より)

 

 

 
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