雲南省楚雄イ(彝)族自治州・銅鑼祭り

 銅鑼の音が村を守る


文・写真 楊振生

   

 雲南省楚雄イ(彝)族自治州双柏県雨竜村には、イ族の古い一支族であるロウ(羅貽)人が住む。毎年、旧暦6月23日から28日、ロウ人は「銅鑼祭り」を盛大に祝う。五穀豊穣、無病息災を祈るこの祭りは、もとはシシと呼ばれる美しい娘を記念するものだったという。

 村の言い伝えでは、ロウ人の山村に暮らしていたシシは、幼いころからそれは美しい娘だった。成長するにつれてシシはさらに美しさを増し、姿をみた農民は土地を耕すのを忘れ、放牧中の者は牛や羊の世話を忘れてしまうほどだった。美しいシシの噂は、土地の土司(元明清時代、少数民族の首長に与えられた世襲の官職)ノンドンの耳に入り、ノンドンはシシを手に入れようとたくらんだ。村の青年と恋仲になっていたシシは、ノンドンを拒絶したが、ノンドンは断れば村を滅ぼすと脅した。窮地に追い込まれたシシは、村を救うため自分が犠牲になる道を選んだ。ノンドンの要求に従って6月24日に嫁取りが行われることになった。

 その日、兵を従えてノンドンがやってくると、シシは村人に山頂をとりまくかがり火を焚かせた。シシはかがり火を一周し、最後に火の中に飛び込んだ。それを合図に村人は銅鑼を鳴らし、武器を携えてノンドンに立ち向かった。ノンドンと兵はあわてて逃げ去った。

 以来、村人は村と恋人への愛情を貫くために自ら犠牲になったシシを悼むため、旧暦六月に祭りを行うようになった。時間がたつにつれ、次第にそれはロウ人独特の内容を伴うようになった。

 昨年、私は銅鑼祭りの期間に村を訪れロウ人と共に過ごした。

 カメラ仲間と共に省都・昆明から定期バスに乗り、正午に村に着くと、祭りはすでに始まっている様子だった。華やかな伝統衣装をまとった老婦人たちを含む、村の老若男女すべてが村の入り口に集まっている。日頃は辛い労働に明け暮れ、めったに笑顔を見せない村人たちもこの日は興奮のせいか、嬉しそうな微笑みを浮かべている。私たちにもそんな祭りの気分が移ってきて、カメラを手にさっそく撮影に取りかかった。

 午後、村の長老の采配のもと、最も強い牛が選ばれ、山の中腹の神樹の下につながれる。そして若者たちは牛を押す力比べを始める。力比べのあと、天、地、それに山の神を象徴する三叉に分かれた松の枝を神樹の下に置き、牛を屠り、それぞれの神に捧げる。

 翌日は、シシを悼む日で、村人は丸一日、歌、踊り、煮炊きを慎み、冷えた食物を食べる。そして村を救った美しく勇敢な娘シシをしのぶ。

 三日目、村の青年たちは、酒、タバコを持ち、銅鑼を鳴らしながら祭りを取り仕切る長老を迎えにでかける。それからまた青年たちは別の家に向かい、次々と老人たちに酒を勧め、自ら歌い踊って老人達を祭りに招く。

 人々が会場にみな集まったら、村の最年長の老人が薪の山に火をつける。そして各人は一つずつ松明を手に持ち、かがり火を囲んで、歌い、踊る。金と紅の炎が揺らぐなか、辺りには銅鑼の音、歌声、そしてリズムをとる足音が一体となって響きわたる。一年の厳しい労働の疲れが炎のなかに溶けていくようで、私たちも思わず一緒になって踊らずにはいられない。

 四日目、また村人のすべてが山の中腹に集まり、銅鑼祭りはいよいよ山場を迎える。まずは、祈祷師役一人、神の使者役一人、それに頭に羽を挿し、草で編んだ衣装をまとい、面をつけ、手に棒を持った鬼退治役の男女二人からなる一隊が登場する。その後また鈴を持った一人と鉄の鎖を持った二人が登場する。こうした鈴や鉄の鎖は鬼を捕らえ、脅すための道具となるものだ。そのほかに休みなく銅鑼を鳴らす一隊がいる。銅鑼隊は、銅鑼を鳴らし踊りながら輪を作り、鬼退治役の二人を囲み、その中で二人は鬼を撃退する模様を演じる。鉄の鎖を持った二人は、それを何度も振りまわし鬼を捕らえる様子を演じる。鬼退治は正午まで続き、取り囲む観衆は二重、三重にもなる。

 夜になると、銅鑼隊は松明を手に持ち、村を練り歩き鬼退治を行う。各家は果物や菓子を準備し、門をあけて銅鑼隊の訪れを待つ。

 辺りに松明の光が赤々とさし、銅鑼が聞こえると隊の到着だ。銅鑼隊は家の庭になだれこんで踊り、鬼退治役は鉄の鎖と鈴をもった三人を連れて部屋の中に入り、三人はひっきりなしに部屋のなかで鉄の鎖を振り、休みなく鈴を鳴らす。鬼退治役は部屋のあちらこちらをたたいてまわる。続いて二人の祈祷師も家に入り、鬼を退治する呪文である「駆鬼経」と「駆白老虎経」を唱える。村の老人が説明してくれて私達はようやくその意味が分かったのだが、それは「鬼を河へ送れ、鬼を山へ送れ、鬼を外へ送れ、そのままずっと戻らぬように」というような内容だという。この一節を舞い終えると、銅鑼隊は、供された菓子や果物を袋に入れ、また次の家へと向かう。深夜まで村を巡り続ける銅鑼隊について、私達も家から家へと巡り、鬼退治に熱狂する村人の様子を撮り続けた。

 最後の日、銅鑼隊はまた山の中腹にのぼっていく。この時は男女の鬼退治役は役割を終えたことになり、森に入って面をとり、服を着替え、顔を洗い、銅鑼隊のなかに加わる。村人は銅鑼隊とともに要らなくなった家具を担いでまた山の頂上に集まる。集まった家具は一つに積まれ、そこに火が放たれる。銅鑼隊は火を囲んで踊り、銅鑼を鳴らしながら火の上を飛び越え始める。取り囲んでいた村人も続いて次々に火を飛び越え、小さな子供を抱いた女性までも火の上を飛び越える。火の上を飛び越えることで村人は、災いを消滅させ、一家の平安と繁栄が続くことを願う。その後、村人はまた神樹のもとに集まる。銅鑼の音の高まりのあと、人々は銅鑼を高く掲げ、それを神樹の下にそっと置く。村人にとって銅鑼はふだんみだりに触れないもので、このような動作でまた来年も銅鑼を鳴らすことができるようにと願うのだ。

 銅鑼の音が鳴りやむと、銅鑼隊は組になり、でんぐり返しをしながら山を下っていく。これは男女の愛情は山を転がっていく石のように決して振り返って後悔することがない、ということを表すのだという。山を下りると、次は四つんばいの人間が数人組みになって、その足を一人が支え、そして苦労しながら力をあわせ一歩一歩、また山をのぼる。この動作は、人々が互いに協力しあい難関を乗り越えていくことの大切さを表している。最後に銅鑼隊の人々は手に手をとり、人の上に人が乗って、二層の「羅漢塔」になる。そして村人は銅鑼を裏返しにし、そこに酒杯を載せ酒を満たし上の列の村人に飲ませる。酒を飲み終わると下の列からは「今年の実り具合はどうかね? 娘たちは嫁に行けるかね?」と問いかけがある。上の列からは村人が望むような芳しい答えが返って来る。それから「羅漢塔」は左に三周、右に三周まわり、村人みなの円満な関係を表現する。これで「銅鑼祭り」はすべてが終了だ。

 数日を共に過ごすうち、私達は土地の人々の素朴さに深く打たれた。祭りの華やいだ気分がまだ続くなかで、彼らの平和と繁栄を心の内で祈らずにいられなかった。 (2001年2月号より)