四川省ガルズェチ ベット族自治州・ヤンル祭り
毎年夏になると、チベット族が住む地域では、各地で祭りが繰り広げられる。私達は幸いにも四川省西部のガルズェチベット族自治州デゲ県で、チベット暦の七月1日に行われるヤンル祭りに遭遇することができた。 祭りの準備は、毎年五月中旬から始まる。デゲ県の寺院はみな山門を閉め、境内にこもって45日、ヤンル経をあげる。6月30日、読経が終わり、7月1日、僧侶たちは山を下り、何人かの組になって、各地で経をとき、活仏を拝み、お布施を集める。またチベット族に伝わる伝統の舞踏や芝居、それに「灌頂」と呼ばれる、信徒の頭に聖水をふりかけ清める儀式を各地で行う僧たちもいる。清代の初めころから、7月1日のヤンル祭りは、デゲ県の人々の最大の祭日となった。 この日、各家庭では、美酒と肴を用意する。老若男女はみな盛装に身をつつみ、商人たちはトラクターやトラックに様々な商品を積みあげ、農牧民は、自分で仕上げをした刀や装飾品、漢方薬材などを草原に並べる。ヤンル祭りは、このように、土地の人々にとって、宗教的行事であると同時に交易の機会であり、また親交を温める一日ともなっている。 私達は、デゲの中心の町である更慶鎮から四十キロほど車を走らせ、コルコンギ郷に到着した。コルコンギ郷は、デゲ県の中心部にあり、セルチュ河にはさまれている。今年のヤンル祭りは、コルコンギ郷の門扎寺が主催することになっていた。門扎寺は、サキャンパ派の寺院で、百年余りの歴史があり、百人以上の僧侶が暮らす、大きな寺院だ。だが、ヤンル祭りを主催するのは、初めてだという。今年の祭りのために、デゲ県の人々と僧たちは、一月以上も前から準備を進めていた。 私達は、約2時間をかけ、セルチュ河に沿って車を走らせ、草原に到着した。 草原の上には彩り鮮やかなテントがすでにたくさん並んでいた。各地からすでにたくさんの人が集まっており、みなの盛装がさらに場に華やぎを添える。特にチベット族の娘たちの頭飾りは、色も形も様々で、私達の目を楽しませた。 僧たちは、大型のテントのなかで準備を進めている。美しいタンカ(チベット仏像画)や、ザンバ(チベットで栽培されるハダカムギの一種を炒って、バターと混ぜた食品)、それにヒツジの乳脂を固め、彫刻を施した「酥油花」と呼ばれる飾りを仏座に供え、その後、読経が始まる。信徒たちは、テントの外で、敬虔な表情で儀式の進行を見守っている。読経が終わると、高僧の手によって、集まった信徒たちにまた、灌頂が行われることになっている。 その後、伝統劇が演じられる前には、まず神を拝み、「煙祭り」を行う。これはチベット族の伝統で、彼らは、クワの葉を焚いた煙は、厄除けになると考えている。まず、青年たちが、手に柏の枝を持ち、炎の中にそれを投げ入れる。柏の枝の燃える音がパチパチと響き、清らかな香りが辺りに漂う。歓声があがり、人々は、手の中の経文を印刷した紙片を大空に高く放り投げる。この時、チャルメラと、ラッパが「九層吉祥」と呼ばれる曲を奏でる。空中には彩り豊かな紙片が舞い、耳元には朗々と音楽が奏でられ、辺りはまた熱気と神聖な雰囲気に包まれる。 続いて、面をつけたまじない師が登場し、滑稽な芝居をすると同時に、場を修める役割を果たす。 ヤンル祭りの伝統劇では、僧の化粧や、道具、音楽を奏でる楽器などに、厳格な決まりがある。いつもは神聖な紅の僧衣をまとった僧が、色鮮やかな舞台衣装に着替え、白粉を塗って登場すると、それだけで観客は笑いさざめく。 いよいよ本格的に芝居が始まる前には、役者の一人が手に香を持って登場し、人々は道を開ける。続いて、役者たちが現れ、物語の一段ずつを歌い、踊ってまず内容を予告する。それから数十名が登場していよいよ始まる劇は、歌、舞踏、それに演技を主体にしたもので、歌と舞踏は分かれており、歌の時は踊らず、舞踏の時は歌わない。セリフは少なく、歌とセリフの間は、舞踏でつないでいくようになっている。劇が終わると、役者たちはもとの僧衣に戻り、各自、縁起のいい歌を一段歌って、お開きが近いことを示す。退場の時、僧侶たちは、太極図の形に並び、歌い踊りながら去っていく。 チベット語の分からない人間にとっては、彼らの歌は、さっぱり聞き取れず、しかも舞踏のリズムは実にゆっくりしている。これだけでは退屈してしまう人もいるかもしれないが、幸いなことに、中間に面白い出し物がある。デゲの伝統劇では、まじない師による滑稽な芝居があり、彼らは、劇全体を盛り上げる重要な役割を担っている。 また途中では、劇の筋とまったく関係なく、舞踏が始まる。これはその間、役者たちが衣装を取りかえ、休憩できるように行なわれるものだ。 伝統劇の内容は実に豊かで、そこには悲劇も喜劇もある。一つの劇は、およそ数時間かかり、長いものは数日かかってようやく演じ終わるほどだ。私達が見学した日は、シャカに関する内容で、その誕生から、出家、修業、そして円寂までが丸々一日をかけて演じられた。 私達は、その間、チベット族の招きにあずかり、ミルク茶や、新鮮な骨つき羊肉をいただいた。一家の主人は、休みなく私達に自家製の酒をふるまい、みないい気持ちになって歌いだす。 日が暮れ、すべての行事が終わると、私達は、一人一人、チベット族が客に尊敬の印として献ずる帯状の白絹、「ハダ」を受け取り、その気持ちをありがたく受けて町に向かった。(2001年4月号より)
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