【お祭り賛歌】


貴州省南部・ミャオ族の茅人節
ミニスカートが華やぐ

             写真・文 孫占礼


歌い踊る、兩汪の若者たち

 貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州にある両汪、空申などのミャオ族の村は、「世界ミニスカートの里」「東方のバレエスカートの里」の別称がある。

茅人のそばで恋人探し(写真 朱法智)

 ミャオ族は、伝説の炎帝、黄帝の頃には、黄河・淮河流域に生活していた。2000年以上前に、一部がいまの江蘇省や浙江省の辺りを経て貴州省東南部に移住し、土地を切り開き、自給自足の生活を始めた。そして長い歴史の中で、多くの支族に分かれ、居住地によって山ミャオ族、高坡ミャオ族、装飾によって黒ミャオ族、花ミャオ族、細ミャオ族、長裙ミャオ族、短裙ミャオ族などと呼ばれるようになった。

鉄砲を打って、お祭りの開催と客人の訪問を祝う(写真 朱法智)
超短裙ミャオ族の後ろ姿

 「超短裙ミャオ族」(ミニスカートミャオ族)の名は、女性のスカートの丈が、わずか20センチしかないことから名づけられた。超短裙ミャオ族は、榕江県境の密林の中にある両汪、空申、空烈などの七集落を中心に、約四千人強が暮らしている。何千年も、ほとんど外界との往来がなかったため、同県城の住民でさえ、彼らの服装を眼にすることは少なかった。

 1999年6月28日と11月28日には、榕江県と黔東南ミャオ族トン族自治州で、それぞれ民族祭りが開かれ、超短裙ミャオ族が初めて公開の場に登場し、大きな反響を呼んだ。

20枚以上重ねるため、自然に跳ね上がる「ミニスカート」

 超短裙ミャオ族について、簡単に説明しよう。伝説では、約600年前の明代中期、彼らの祖先は、それぞれいまの江西省や湖南省から、貴州省の食べ物にも困るようなへんぴなところに移住した。

 風雨から身を守るため、女性は木の皮でとんがり帽子を作ってかぶり、バショウの葉で下半身を隠した。山や水辺での仕事で生計を立て、猛暑にも耐えなければならなかったため、衣服の丈が長すぎては不便で、徐々にわずか20センチの「ミニスカート」が定着した。

娘たちが踊り歌うと、装飾の美しさが際立つ

 このような古代から伝わってきた「ミニスカート」には、バショウの葉のようなしわがあり、花模様はない。お祭りでは、20枚前後を重ねるのが普通で、こうすることで、ようやく、当地のミャオ族が美しいと考えている「跳ね上がっている形」に見える。

 超短裙ミャオ族は毎年、茅人節(新芽の芽吹いた枝や葉っぱで作った人形の祭り)を開く。これは、1年1度の「愛の告白」のチャンスで、独特の社交民俗として、その伝統が守られてきた。お祭りは毎年、暖かくなり花が咲き始める旧暦3月中旬から約1カ月間続く。

草笛の音は、意中の人に届くかもしれない
晴れて両思いになれた嬉しそうな2人

 いまとなっては、正確な起源を知るのは難しい。伝説上の彼らの祖先は、山中での新生活を始め、共同で外来の侵入者を食い止めるために、兄弟の契りを結び、ともに家族のように助け合うことを誓った。そして、「超短裙ミャオ族同士の結婚を禁止する」との厳しい村の掟を作った。

 それ以降、村の少女は成人すると、両親のすすめる男に嫁ぐために故郷を離れ、心を引かれた男性の元を去らなければならなかった。彼女たちは毎年、茅人節の時に故郷への懐かしさを抱き、かつて心を寄せた相手に心の奥深くにしまっていた想いを告白するため、里帰りした。

徳望の高い老人が鶏をつぶし、神々に捧げる

 そして、若い男女は連れ立って、故郷の一番高い丘に登り、その丘の最高点に、大小さまざまな茅人を、つがいではなく、一体ごと地面に立てた。中央の茅人が一番大きく、周りのものは少しだけ小さい。男女は、昔を思い出してふざけあい、相思相愛の者同士が、茅人のところで密会し、こんな歌で想いを伝え合う。

 「私たちのこの土地は、山と水に恵まれ、丘は踏みつけても低くはならない。強く踏んでも崩れない。ここの山水は、お兄さんたちだけが幸せに暮らすことを許してくれる。私のような娘たちは、そんな幸せを味わえない。みんな嫁いでしまうから……」

 娘が山頂に茅人を差すのは、故郷の村の方角と、密会の場所を確認するためだった。嫁いだ家に戻ったあと、故郷の茅人を眺めると、里帰りしたような気分になれ、かつて想いを寄せた相手の側にいるような気がしたからだ。

遠巻きに見物している女性と子どもたち

 歴史は流れ、この心を打つ風習は、いまでは、若い男女が恋愛を楽しみ、恋人を探す社交活動に変わった。毎年旧暦3月、超短裙ミャオ族は、歌合わせなどをしながら茅人節を楽しむ。少女は誰もがお祭りの盛装を身につけ、蘆笙(ミャオ族やトン族が使う日本の笙のような楽器)のリズムに合わせて踊り、美声を披露し、丘に登って茅人を立てる。

女の子も「ミニスカート」でおしゃれをする

 「茅人の坂を登る」は、茅人節の重要なイベントだ。たとえ天気がどんなに荒れても、若者は、ミャオ族独特の「アズキ餡のおこわ」を作り、同世代の仲間とともに、ワイワイ騒ぎながら丘を登る。途中で木の葉を摘んで、草笛を吹きながら歩く。軽いメロディは風に乗り、どこかの少女の心をかすめることがあるかもしれない。

 若い男女は、「茅人の坂」を登り、茅人のそばで三々五々群れをなし、歌で想いを伝え、気の合う恋人を探す。女性が男性から腰帯をもらうか、男性が女性から銀の首飾りをもらうと、それぞれが両思いになったことを意味する。

 茅人節は、昔日の同胞の苦い恋愛の歴史を記念しているが、今日では、自由恋愛と自由結婚、それに幸せな生活へのあこがれの恋歌に変わった。いまでは盛大なお祭りで、老若男女が、各地から両汪に集まってくる。娘は盛装を身につけ、歓迎の酒をふるまう関所を設けて、来客を心を込めてもてなす。人びとは、酒を飲み歌を歌い、服装や装飾の美しさを競い合い、夜通しで楽しむ。(2003年2月号より)