知られざる敦煌・楡林窟

第二十五窟 21典雅なる「弥勒変」の世界

                                   段文傑

段文傑氏 敦煌研究院前院長。長年にわたり敦煌壁画の模写や敦煌学の研究に携わってきた。

 楡林窟第二十五窟は、楡林窟東岩中央に集まる唐代石窟群の中にある。造営されたのは、吐蕃が瓜州を占領した初期、すなわち大暦十一年(七七六)から建中二年(七八一)の間、あるいはそれよりやや遅い時代と見られる。

 主室は方形、前室は横長の長方形をしており、前室に通じる甬道が長く広々としているのが特徴だ。全体の構造を平面図にすると、「古」の字を逆さまにしたような形になっており、これは初唐期に長安やトルファンで造られた墓室の構造に似ている。主室の中央には、仏像を安置した方形の台が設けられている。「覆斗藻井」、つまり枡を逆さにしたような形状の天井は傷みが激しいが、全体として唐代の宮殿建築様式を模したものであることが分かる。

 前室と甬道の壁画は五代の時代に描き直されたものだが、主室の壁画はすべて唐代に描かれたものだ。西壁の門の両脇には文殊変と普賢変が、南の壁には観無量寿経変が、東の壁には八大菩薩曼陀羅が、北の壁には弥勒変が、それぞれ描かれている。

 前室の門の南側には毘琉璃天王、門の北には毘沙門天王が描かれているほか、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩などの姿も見ることができる。この窟の壁画が大乗浄土を宣揚するためのものであることは一目瞭然だ。主室そのものが極楽世界を立体的に表しており、門の南北の両天王は、魔鬼の侵入を防ぐべく天国の大門を守護しているのだ。

 弥勒変は、「弥勒三会」の場面を主体にしている。正面に描かれた初回の法会では、竜華樹の下で弥勒が説法しており、手前に転輪王しょうかの姿が見える。しょうかは弥勒に国家鎮護の七宝妙台を献上し、弥勒はこれを婆羅門に施すのだが、婆羅門はすぐに七宝台を壊してそれぞれ分け合ってしまう。弥勒は七宝妙台が烏有に帰すのを見て人生の無常を悟り、竜華樹の下に座したまま成仏する。これを見たしょうかは、王侯貴族や民を率いて出家する。壁画の七宝妙台の両脇に描かれているのは、この時しょうかが民衆とともに剃髪して出家する場面である。

 二回目の法会は北壁の右側に描かれている。弥勒は横向きに座り、机の上には袈裟が置かれており、比丘(具足戒を受けた男の僧)が静座して弥勒の説法を聴いている。机の前には剃髪した男たちが描かれているが、すべて唐代の庶民の服装をしていることから、彼らが受戒を待つ庶民であることが読みとれる。

 北壁の左側に描かれているのは第三回目の法会で、弥勒はやはり横向きに座っており、ちょうど二回目の法会の弥勒と向き合うような形になっている。机の上には袈裟が置かれ、比丘尼(具足戒を受けた尼)が合掌して弥勒の説法を聴いている。その手前には髪を剃って受戒を待つ女たちの姿がある。

 第二回、第三回の法会の壁画の両脇には、弥勒世界の美しさや素晴らしさが描かれている。弥勒世界の女性は五百歳になってはじめて嫁ぐとされているが、壁画には弥勒世界での結婚式の様子を描いた場面もある。青廬という天幕の下に山海の珍味が並び、男女の賓客たちがそれを囲んで宴を楽しんでいる。天幕の外に設けた衝立の前ではチベット人の花婿と漢人の花嫁が婚礼の儀を行っており、「男子は拝謁し、女子は跪かず」という則天武后以来の儀礼と風俗が受け継がれていることが分かる。壁画には結婚式の様子のほかに、「路に遺ちたるを拾わず」「夜戸を閉めず」といった理想郷としての弥勒世界の姿も描かれている。

 弥勒変の上部に描かれているのは、弥勒世界の美しい花園の様子だ。広々とした大地が、遥かかなたまで続いている。山々からは香気が漂い、泉がこんこんと湧き出て辺りを潤している。その水を吸って木々が生い茂り、たわわに実った果実の重みで枝がしなるほど。あちこちに名花が咲き乱れ、緑草がしとねの如く地を覆っている。そして明珠や宝柱から放たれるまばゆい光が、世界を明るく照らし出している。

 この花園の人々は皆善良で穏やかな心を持ち、仲睦まじく暮らしている。用を足そうとすると地が裂け、事が済めばひとりでに元のように合わさるので、汚物や汚臭というものが一切存在しない。まさに理想の極楽世界なのだ。

 弥勒変の右側に描かれているのは翅頭末城である。城郭は方形をしており、四隅に楼閣、四方に城門がある。堀が城郭を囲み、城門に通じる四本の橋が架かっている。場内には二つの場面が描かれている。一つは弥勒菩薩が兜率天の内宮で父母を求める「弥勒、父母を観ず」という故事。梵摩越王女という女性が殿堂の中に横臥し、その頭上に弥勒菩薩が雲に乗って降臨している。これは、梵摩越王女が天帝の妃の如くに美しく、健康で、老いすぎても若すぎてもいないことから、弥勒菩薩が自らの母となるにふさわしいと認め、その母胎に投じようとしている場面だ。

 もう一つは毛頭羅刹の故事で、彼は民がみな寝静まった夜中、裸身で地上の汚れを掃き清める。続いて竜王が空中に現れて、地面に香水をまいて風が吹いても砂や塵がまき上がらないようにする場面が描かれている。

 南壁の観無量寿変では、中央部に極楽世界を、その両側には「未生怨」と「十六観」を描いている。中央の七宝池の中には多くの宮殿・楼閣があり、曲がりくねった欄干と露台が黄金色に輝いて美しく、壮観な眺めを見せている。蓮華座にあぐらをかく無量寿仏の両脇に観音、勢至両菩薩が立ち、その周囲を衆僧が取り囲んで、荘厳で静粛な雰囲気に溢れている。

 露台の上には「ハ」の字型に並んだ楽隊が、法螺、縦笛、笙、琵琶、横笛、拍子木などで音楽を奏で、踊り子が鼓を叩きながら踊っている。旋回しながら舞う踊り子の衣装や帯が空中に波打ち、リズムが高揚するにつれて迦陵頻伽(美音鳥)も歌い出す。衆僧は哲理に富んだ法音・法楽(仏教音楽)の世界に浸っている。

 七宝池の中に蓮の花が咲き誇り、天真爛漫さと慎み深さを合わせ持つ托生童子が蓮の蕾の中に座っている。ほかの托生童子たちは鴛鴦を追い回したり、蓮の葉に席を争ったり、欄干に身を預けて景色を眺めたり、池の中で泳いだりしている。彫刻を施した欄干の上には鸚鵡や孔雀、迦陵頻伽、共命鳥などが翼を広げて飛び回っている。

 未生怨については、仏教経典に次のような物語が記されている。頻沙王は子宝に恵まれないことに悩み、占い師に相を見てもらうことにした。すると占い師は「山中に道士が一人おり、彼が死んだらその霊魂が王妃の母胎に入って王の子として生まれ変わるだろう」と告げた。これを聞いた王はただちに人をやって道士の糧を絶えさせた。道士は餓死したものの、その霊魂は王妃の母胎には入らず、白いウサギとなって王府の御苑に身をくらませた。国王はすぐに兵を遣わしてこのウサギを捕らえさせ、はりつけにして殺した。その後、果たして王妃は身ごもり、王子を産んだ。成人した王子はある日突然、謀反を起こそうという衝動に突き動かされ、大臣と謀って国王を捕らえた。そして国王を宮中の奥深くに監禁し、食べ物も与えようとしなかった。王妃は獄吏を買収して密かに国王に会っていたが、これを知った王子は激怒し、剣を振り上げて王妃を殺そうとした。大臣に阻まれ、殺すことはやめたものの、王子は王妃をも監禁してしまった。その後王妃は獄中で熱心に御仏に祈り、それを見た釈迦仏は弟子を遣わせて見舞いをさせ、自らも霊鷲山から宮中に降臨し、王妃に仏の法を説いた。

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 第二十五窟の壁画の人物は、すべて線描によって描き出されている。簡潔で正確、流れるようで軽快な筆致が特徴的な「蘭葉描」という画法が用いられ、バラエティーに富んだ造形美を生みだしている。例えば浄土変には、あぐらをかいた菩薩が描かれているが、変化に富んだ顔の輪郭線、足まで届く肩掛けの滑らかな線、蓮の花弁に垂れた帯の曲線などは、絹の質感や光沢を余すことなく表現している。また、天竜八部神将のうち頭に虎の皮の帽子を被った一神も、線の太さやタッチの変化が実に豊かで、ほとんど無色に近いにも関わらず、今にも動き出しそうな躍動感に満ちている。

 この窟の壁画の色彩的な特徴としては、盛唐期の壁画文化を基礎としつつ、そこから新たな発展を見せている点が挙げられる。早期の壁画のような素朴で鮮烈な色遣いでもなく、また初唐や盛唐の壁画のように絢爛豪華でもない。全体的には、華麗さや濃厚さよりもすがすがしさを感じさせる色調と言える。

 草木や水を表現する緑には、緑 青がふんだんに用いられている。赤も鮮紅から紅褐色もしくは樺色に変わっている。壁画の多くの部分には青と緑を重ね塗りし、天国の人物の白玉のような肌の美しさを引き立てている。色調全体があっさりとしており、素朴で典雅な美しさを湛えているのが特徴的だ。線描と色彩とが長い年月の中で見事に溶け合い、なんとも言えない調和を醸し出しており、それによって壁画自体の生命力や美しさが大いに増しているように思える。

 唐の時代の人は「形神兼ね備える」「形を以て神を写す」という美の理想を追求した。つまり芸術は、現実の形象だけでなく、その精神世界をも表現すべきであるとされた。それだけに絵画の優劣の基準は、精神の世界、すなわち「神」を表現できているか否かというところにあった。その点、第二十五窟の人物像は、身分や地位などが異なる神仏や人物の内面のあり方を、見事に描き出していると言えるだろう。

 天国の大門を守る毘琉璃天王はその一例だ。背筋を伸ばして悪鬼を踏みしめ、両の眼を見開いている姿は威厳に満ちており、何者の侵入をも許すまいという気概がひしひしと伝わってくる。一方、浄土変の思惟菩薩があぐらをかきながら、うっすらと目を開けて思索に耽っている姿は落ち着きに満ちており、「対 境(目の前に現れる対象)に心なく、八風(周りにある動き)に動ぜず」という境地を具現しているかのようだ。前出の未生怨で王子が王妃を殺そうとする場面でも、生と死がせめぎ合う緊迫感とそれぞれの人物の精神状態が見事に表現されている。

 敦煌の壁画は、ある種の精神的な境地を表現することに重きが置かれている。第二十五窟に描かれている極楽も、神仏や人物が存在する客観的空間と、画工の感情や想像、理想といったものを表す主観的境地の両方を含んでいる。仏教芸術は現実の事物によって宗教的な情熱や高度の想像力を表現するが、その想像は決して人や現実世界と乖離することがない。

 極楽世界の創造の中で、画工たちは中国の壁画芸術の優れた伝統を十分に受け継ぎ、大いに発揚させた。現実と想像を結びつける創作手法、線描による造形、色彩による装飾、大きな画面の中に複数の主題をちりばめて描く構図、形を以て内面を写し出そうとする審美的な理想などは、そうした伝統の賜物である。彼らは外来の芸術的要素を大胆に採り入れた上で高度な想像力を発揮し、中国的な雰囲気と時代精神に富んだ新しい民族的作風を作り上げたのだ。そうした作風の発現とも言える楡林窟第二十五窟の壁画は、まさに中国仏教芸術の至宝というにふさわしいだろう。(2001年2月号より)