知られざる敦煌・楡林窟

第三窟 際立つ自然描写の妙

                                   趙声良

趙声良氏 中国敦煌研究院助理研究員。

 楡林窟第三窟はその他の窟と比べて規模が大きく、その中央に珍しい形の壇が設けられている。これは「壇城」と呼ばれるもので、この窟が密教と深いつながりを持っていることを示している。

 天井部の中央に見えるのは五方仏曼荼羅で、その周りを巻草紋や動物の文様、そして精緻な仏の絵が取り囲んでいる。窟の正面にあたる東側の壁には、中央に八塔変、その北側に十一面千手千眼観音変、南側に五十一面千手千眼観音変が描かれている。北壁は天請問経変の左右に五方仏曼荼羅と観音曼荼羅が、南壁には中央に観無量寿経変、その両脇に金剛曼荼羅と五方曼荼羅が描かれている。西壁は入り口にあたり、門の上に展開しているのは維摩詰経変、門の南側は普賢変、北側は文殊変である。

 東壁に描かれた八塔変は宋代以降によく描かれた題材で、莫高窟第76窟、五個廟石窟第一窟にも同じ内容の壁画がある。ただし、莫高窟第76窟では八つの塔が一列に描かれているのに対し、この窟の八塔変は八つの塔が降魔塔を挟んで向き合っている。つまり、実際には九つの塔が描かれているわけである。八つの塔は釈迦が誕生して成仏するまでの八つの故事を表し、中央の降魔塔は釈迦が道を得て成仏したことを象徴する。興味深いのは、これらの塔の形が莫高窟近くで見つかった宋代の土塔の形と酷似していることだ。ここから、この壁画が当時の社会に実在した建築様式を忠実に反映していることが分かるだろう。

 東壁の南側に描かれた五十一面千手千眼観音変は大変ユニークなものだ。田を耕す人、酒を醸造する人、曲芸をする芸人、鍛冶職人など、当時の実生活をほうふつとさせるような図案が多く、とりわけ鍛冶や酒の醸造の場面は古代科学技術の発達史を辿る上で重要な資料となっている。

 また、この壁画には筝、拍子板、排簫、琵琶、胡琴、鳳首こうこう、方響、扁鼓、腰鼓など、数多くの古代楽器も描き込まれている。特に胡琴の絵は弦楽器を描いた絵としては世界最古のもので、研究者たちはこれを「弦楽器の始祖」と位置づけている。扁鼓なども大変個性的な形をしており、音楽史の研究において高い史料的価値を持っている。楽器のほかに、のこぎり、曲尺、墨つぼ、双尾船、鉄ばさみなどの道具も描かれ、古代の生産技術を研究する上での重要な画像資料となっている。

 南北の壁の中央に描かれた経変画は、いずれも実にスケールの大きな作品だ。南壁の観無量寿変は画面いっぱいに楼閣が展開し、画面下部の殿堂では、舞妓が長い帯を翻しながら踊っている。そこから両脇に向かって回廊が伸び、その両端に建つ楼閣でも舞楽の宴が開かれている。庭園の両脇には二棟の大きな殿堂、中央奥には正殿があり、そこで仏が仏法を説いている。庭園内で蓮華座に座して仏法を聴いているのは、菩薩とその弟子たちだ。

 普通、経変では仏国浄土の世界、あるいは仏法が説かれる聖なる場所が描かれる。しかし、この壁画ではそれを現実世界の寺院建築に模して描き上げることで、神聖な仏教世界をより近しいものに感じさせている。仏法を聴く菩薩も、後頭部に後光が差している以外は、表情も衣服も普通の人と大差がない。画面の下部に仏法を聴く俗人の姿が多く描かれていることもあり、この壁画は一見すると庶民が寺院で仏に祈っている絵に見えさえする。こうした特徴は、当時の経変画が写実性を重んじていたことの現われと言えるだろう。

 経変画の両側にある曼荼羅はチベット仏教の密教的内容を反映したもので、神秘的な雰囲気に満ちている。そこに描かれた菩薩と金剛などの姿は、いずれも伝統的な仏教芸術のそれとは異なる。例えば、北壁の曼荼羅に描かれた優雅に舞う供養菩薩の姿などは、大変珍しいものと言えるだろう。

 珍しいと言えば、西壁の入り口の両側に描かれた文殊変と普賢変も忘れるわけにはいかない。二つの経変で特に注目されるのは、背景として描かれている自然の風景だ。すべて墨で描かれており、宋代以降に現れた山水画の新しい画風の特徴が見て取れる。

 文殊変では、青い獅子に乗って悠然と雲や霧の間を進む文殊菩薩の姿が描かれている。背後には茫々たる大海や文殊菩薩が法を説いた場所とされる五台山が描かれ、その雄大な姿と神秘的な雰囲気が表現されている。そのふもとに寺院が建っており、画面に宗教的な雰囲気を添えている。主峰の前方には二つの峰が向かい合ってそびえ、その間から炎が噴き出しているのが見える。右側の峰の山麓に洞窟があり、半開きになった二つの扉から一筋の光が射し込んでいる。また、主峰の右側には虹が掛かっており、その上を七人の人が歩いている。

 これらの情景はいずれも五台山の伝説をもとにしたもので、主峰の右手には虹のほかに三重に連なる山並みも描かれている。これによって画面に奥行きが生まれ、主峰の存在を一層際立たせている。画面の右下に広がっているのは海で、岸辺には岩や樹木も描き込まれている。宗教的な内容を描いた壁画ではあるが、画工たちは自然風景の描写をおろそかにすることなく、そこに神秘的な色彩を添えることに成功している。

 画面の左側は剥脱した部分があるが、全体の構図的な狙いを見て取ることはできる。遠方に見える峰は中央の主峰と向かい合っており、二つの峰が主客の関係にあることがはっきり表現されている。建物の多くは山々や樹木の陰に隠れており、いずれも側面から描かれている。主峰のふもとに描かれた建築物が正面から描かれているのとは対照的で、これも建物の主客関係を示すものと考えられる。画面左側の下部にはいくつかの岩が描かれ、近景と遠景を結び付ける効果を生んでいる。近景と遠景との間には雲や霧、樹木なども描き込まれ、これによって空間の広大さが巧みに表現されている。

 普賢変の上部に描かれた山水画は、左右二つの部分に分かれている。左半分には二つの雄大な峰が描かれ、その間に一筋の滝が流れ落ちている。主峰の奥には雲と霧に霞む木々が見え、山なみと渓流が遠景から近景へと、流れるように描かれている。手前には巨大な岩が配され、その上から水が流れ落ちている。

 普賢菩薩の左手の岸辺に目をやれば、一人の僧とその背後で馬を引く猿の顔をした行者姿に気がつくだろう。前号でも紹介した通り、これは小説『西遊記』のもとにもなった唐僧取経図で、猿顔の行者は孫悟空である。

 右半分に描かれた風景は、構図が比較的単純だ。そびえ立つ孤峰に向かって画面手前から切り立った崖が続いている。峰の左手に雲や霧に包まれた木々が描かれ、左側の峰に連なっている。峰には亭や楼閣、殿宇が点在し、左画面の景色と呼応し合っているかのようだ。また峰の間を流れる渓流は「深遠技法」と呼ばれる画法によって、奥行きのある描写がなされている。画面の右手には「平遠技法」によって描かれた風景が広がり、その下には緑豊かな木々やかやぶきの小屋、木の柵が点在している。小屋に通じる岸辺の小道には、この山が持つ人の住む場、遊ぶ場としての特性が表現されている。

 この壁画の創作者は複数の視点から風景を描き、「高遠」「深遠」「平遠」(「三遠」と呼ばれる中国画の画法。「高遠」は山の麓から頂上を仰ぐ視点、「深遠」は山の手前から山の裏手を眺める視点、「平遠」は手前の山から遠方の山を眺める視点、を表現する)というそれぞれ異なる技法の特徴を活かしながら、景色に奥行きを持たせることに成功している。

 普賢変の中でもっとも注目すべきは、何といっても、構図の中心的地位を占める雄大な峰だろう。そこには荊浩、関どう(いずれも五代・後梁の画家)らの一派の画風が典型的に現れている。「高遠」技法を用いて主峰の雄大さと壮観さが強調されており、これは范寛(山水画に秀でた北宋の画家)にも通じる北方山水画に特徴的な画風である。また、楡林窟の壁画では「高遠」「深遠」「平遠」以外に、さらに多くの技法が用いられていることは一目瞭然だ。例えば、幾重にも連なる峰の表現では、相互の主客の関係や呼応する関係が示され、それによって深くて複雑な重層感が生まれている。

 楡林窟第三窟の造成時期については西夏とする説と元代とする説の二つがあるが、いずれにせよ、その時までに南宋の山水画風の影響が西北地区にまで及んでいた可能性は高い。楡林窟にこうした水墨画の作風を備えた壁画が現れたというのは特筆すべきことで、中国の石窟芸術全体においても重要な意味を持っている。(2001年4月号より)