四川省の雅安で14基の戦国時代の墓を発見


 四川省の考古学専門家は1カ月余りにわたる発掘を経て、「古代の民族文化の回廊」とたたえられている雅安市石綿県の永和郷で14基の戦国期の墓を見つけ、極めて珍しい巴蜀式の鉄の剣、巴蜀青銅剣などの副葬品が200点余り出土した。

 四川省文物考古研究所の雷雨副研究館員の説明によると、永和郷の戦国期の墓は大渡河南岸の台地の上に位置し、三方を水に囲まれ、一方は山に臨み、面積は約3万平方メートルで、1993年にかつて初歩的な発掘が行われたことがある。四川省の瀑布溝発電所の建設に協力するため、四川省文物考古研究所が石綿県文物管理所とともに今回の考古学的発掘を行った。
今回発掘、整理された14基の墓はいずれも長方形のタテ型土坑墓であった。整然として並んでいる墓は、長さ約2.5メートル、幅約0.8メートルで、出土した200余点の器物の中には主に銅器、陶器、鉄器、銀製品及び玉、石、骨器があった。陶器の中には主に碗、かめ、釜、紡ぎ車などがあり、銅器は主に銅銭、小刀、剣、位牌の装飾品、耳飾り、指輪などで、鉄器は主に剣、輪などであった。それと同時に出土した一部の装飾品は主に銅の装飾品、瑪瑙で作られた首飾りであった。

 考古学者はまた大型銅製の位牌飾りを2点も見つけ、その中の1点の位牌飾りの下に4枚の海の貝があった。墓に埋葬されていた人の下肢の骨の両側にはそれぞれ副葬品の陶製紡ぎ車がついていた。

 雷雨氏によると、永和郷の墓から出土した副葬品は岷江の上流、四川省西部と東部および雲南省の西北地域における戦国時代の中・末期の墓から出土した同じ種類の器物ときわめて似ているものであった。これによって、永和郷の墓の年代は戦国時代の中・末期と見るべきではないかと推定できる。

 雷雨氏の説明によれば、戦国、秦、漢の時代においては、さまざまな部落の人が前後して石綿県に居住していたため、石綿県は古代の民族文化の回廊として文化往来が頻繁に行われていた。今回の発掘は南西地域の民族構成および各民族の古代文化を探求するうえで重要な役割を果たし、大渡河の中流と上流地域の古代文化を研究し、この地域の考古学体系を確立する面でも重要な価値がある。

                         「チャイナネット」 2004/07/26