隋・唐時代の大規模水利施設跡を発見、洛陽で


 河南省洛陽で先ごろ、隋(581〜618年)・唐(618〜907年)時代の大規模水利施設の遺跡が見つかった。隋・唐時代の洛陽は南北を結ぶ大運河の中心地。専門家は「この発見は古代都市の建設史、水利施設整備史の研究にとって重要な意義がある」と話している。

 発掘を担当した洛陽市文物調査チームの史家珍氏によると、遺跡は東西の長さが40メートル、南北の幅が10メートルのほぼ長方形で、残存する高さは約2メートル。南北の2つの壁の中間部分は半円形で、それぞれ弧を描くように外側に突き出ている。西端と中間に石壁が築かれており、石の大きさは不揃いだが、大半が1メートル四方。また東西の両側で長さ千メートル近い土を固めて造った土手が見つかった。

 専門家は「遺跡は2つの時代に区分される。第1期は隋・唐時代で、中間部分はその後に改修されて利用されたと思われる。暫定的だが、古代の水利施設の遺跡と考えられる」と推測している。

 発見されたのは、洛陽市洛竜区夜叉磨村の東部で、隋・唐時代の東都城外城にあった厚載門遺跡からは千メートル未満の地点。『元和群県志』などの史料には、同時代にかつて水利施設があったと記されている。

 水利施設が洛陽市で発見されたのは初めてで、しかも類を見ないほど珍しい構造の施設。何度も論証を行ってきた専門家の間でも、施設の機能についての見解は分かれている。現場を調査した黄河水利委員会のある専門家は現段階で、「引水とともに、水エネルギーを機械エネルギーに転換する機能とを備えた総合水利工事で、設計は科学的で、構想も優れており、現代においてすら、水力学の設計理論や工具を用いても精確に設計することはできない。古代の人はおそらく、実際に運用する状況に即しながら絶えず細部の変化を調整して、このように科学的に設計された水利工事を完成させたのだろう」と推断する。また、水を調節する工事で、隋・唐時代の洛陽に給水するのが目的だったと考える専門家もいる。

 水利施設跡は洛陽市の文化西路を修築する過程で発見された。同市は遺跡を保護して展示することを決定。貴重な文化財が破壊されないよう、遺跡を避ける方向で修築プランを見直すことにしている。

                          「チャイナネット」 2004/09/07