中国人は日本に何を言いたいか?(下)

         

 8 世界のためにアジア平和非戦国の模範を確立する

 古い文明の伝統を持つヨーロッパには、幾つかの伝統的「平和中立」国家(例えばスイス、スウェーデン)があり、これらの国は社会資本主義民主国家の模範といってよく、その生活福祉レベル、社会秩序、国民の資質、道徳的修養などは市場経済国家の手本だといえる。しかし、シンガポールがこのような国になる可能性はあるにしても、アジアにはこのような国はまだなく、多くの人々が日本がこのような国になることを望んでいる。日本人は過去における戦争の特殊な記憶を遺留しているが、戦後の「永久に戦争を放棄する」と言う憲法の精神を基礎とした経済的実力は、非軍事的手段によって国際的地位と影響力を確保することができることを実証しているといえる。中国人も自分自身の財力を国民の生活改善にさらに集中したいのである。人類が発明した軍備競争下での抑止力バランスゲームは、すさまじい量の資源を浪費している。私は決して理想的平和主義者ではないが、復讐のために一般市民の生命の犠牲を惜しまないテロリストに対して深い怒りを感じている。私はさらなる幸福な生活を渇望する新たな世代が、さらなる高みに立った政治的インテルジェンスによって政治、経済、民族、宗教など各方面の争いを解決し得ると信じている。 

 9 日本も民族主義称揚をすることはできない

 日本は集団の力を非常に重視する民族であり、この種の一致協力して努力する民族精神が、現在日本が獲得している強大な経済力に重要な役割を果たしてきた。しかし、日本国民の心理状態には、一種の特殊状況下における民族主義的気分も潜在しており、この気分が経済発展が政治的影響力にマッチしない状況下、社会的転換点が出現する危機的状況下で、急速に蔓延しつつある。写真で見る毎年の「8・15」靖国神社参拝には、過去によく見られた旧日本軍の帯刀軍装隊列による表敬風景がみうけられる。私はこれを見ると、現在ドイツの街路でナチの軍服を着て、ナチの軍礼を行っている集団を想起し、ドイツ国民がこれをどう受け止めているか?を考える。私はこれらの旧軍人或いはその遺族団体には民衆的基礎が無いが、最終的には一種の心理的象徴として一般庶民は「理解し難い」のではなく「理解できる」という反応を示している、と判断している。したがって、過激な民族主義的気分が「社会的要求」となった場合、この種の気分は簡単に別の方向へ走る危険な一面を持っている。

 10 国際スタンダードにより符合した開放社会の建設

 総じていえば、日本社会はアジア各国の中では比較的開放された国家である。私は具体的統計データを入手してはいないが、散見するデータと観察によれば、日本の各分野で働く外国人(外国籍と外国人を含む)の比率は、アジア各国の中では相対的に高い。しかし、日本の各政府部門で働く外国人はあくまでも外人であって、「寛容」の基準で待遇されているが、権力行使構造の範囲に入ることが不可能である。日本の公共施設の表示は全て日本語であり、英語圏の旅行者には極めて不便である。日本の一般市民を先進国家基準で判断すれば、外国人とのコミュニケーション能力はやや低く、外国旅行に行くのも団体旅行が多い。したがって、日本人の個人的思考は、簡単に集団意識の影響を受けることになる。日本人は中国人と同様、白人との婚姻を受け入れられるし、甚だしきに至っては光栄と見なす意識があるが、有色人種との婚姻に対しては非難する場合が多い。日本が世界に向かうには、経済発展レベルに適合する民間の、一般庶民の、個人的な対外交流、意思の疎通、理解が必要であり、さらに国際社会スタンダードに符合する開放社会を建設していくべきなのである。

「チャイナネット」 2004/11/18